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『キューブリックに魅せられた男』が映し出す、キューブリックとその作品に人生を捧げた男の生き様

リアルサウンド

19/10/31(木) 14:00

 自宅の棚にはスタンリー・キューブリック作品のDVDやBlu-rayのコレクターボックスやリマスター版のフィジカルソフトがいくつもある。DVDの時代は新しくリリースされるコレクターズボックスで収録作品が重なると、権利元のあざとい商売に舌打ちをしながら以前のボックスを売っ払ったりもしていたので、これまで何回買い直したかよく覚えていない。ちなみに自分は今も昔もほとんどコレクター気質はないのだが、キューブリックの作品に関してはできるだけ完全なかたちで揃えておきたい気持ちになってしまう。一つは、キューブリックが生涯貫いてきた一点の曇りもない完璧主義に敬意を表して。もう一つは、DVD、Blu-ray、4K ULTRA HDとメディアが進化するごとに確認する画質のリファレンスとして。その前提には、あのキューブリックの作品だから、そのクオリティにおいては抜かりはないはずという絶大な信頼があった。もちろん、昨年日本でもおこなわれた『2001年宇宙の旅』70mm版特別上映もチケット争奪戦に参加して駆けつけた。

参考:『2001年宇宙の旅』70mm上映はどう実現した? 国立映画アーカイブに聞く、その背景と役割

 本作『キューブリックに魅せられた男』を観るまで、その「絶大な信頼」を保つために、こんなにも激しく狂おしく一人の人間が人生そのものを「賭けている」ことを知らなかった。本作の主人公はレオン・ヴィターリ、現在71歳のイギリスの元俳優だ。ヴィターリは映画俳優としてキャリアを歩み始めたばかりの1973年、25歳の時に『バリー・リンドン』(1975年)のオーディションに合格。これまで一人の観客として「神」のように崇めていたキューブリックの現場を体験したのち、そのまま俳優としての自身のキャリアを放り出して、キューブリックその人を「神」とするキューブリック組に自ら望んで飛び込んでいった。

 『バリー・リンドン』以降、キューブリックが監督したのは『シャイニング』(1980年)、『フルメタル・ジャケット』(1987年)、『アイズ ワイド シャット』(1999年)の3作品。本作では、それらの作品のこれまで明かされたことがなかった制作の裏話や、ヴィターリとそれぞれの作品の出演者たちとの交流がライアン・オニール(『バリー・リンドン』)やマシュー・モディーン(『フルメタル・ジャケット』)の本人取材を交えて語られていく。ちなみに、散々な言われようのジャック・ニコルソン(『シャイニング』)は残念ながら作品には出てこない。キューブリックに命じられたことは何から何まで「絶対」だったヴィターリも、当時のニコルソンだけには我慢ならなかったようだ。「All work and no play makes Jack a dull boy」ならぬ、「All work and no play except Jack」といったところか。

 そうしたエピソードすべて、キューブリック・ファンとしてはたまらなく興味深いわけだが、ふと冷静になると、本作で描かれているのは典型的なブラック企業としてのキューブリック組であり、そこでいろんなものが麻痺し、疲弊していく労働者としてのヴィターリである(その構図は、併映される『キューブリックに愛された男』も同様だ)。しかし、なにしろ相手はキューブリックである。ヴィターリの体験はすべて「歴史上の人物と歴史を作っている」ということを意味している。それも、後から「歴史を作っていた」ことに気づくのではなく、リアルタイムで「歴史を作っている」ことを実感しながら生きてきたわけだ。ヴィターリがキューブリックの命令に疑問を挟むことは一瞬もないし、観客もまたその価値を知っている。コンプライアンス軽視の劣悪な労働環境は特に日本映画の現場において大きな問題であり、本作のような作品が映画関係者にとって免罪符を与える理由になってはならないと思うが、繰り返しになるがなにしろ相手はキューブリックだ。「天才ならなんでも許されるのか?」というのは一考に値する問題だが、もしあなたが職場のボスから無理難題を押し付けられたら「そいつはキューブリックなのか?」と自問してみてはどうだろう。

 キューブリックが亡くなったのは1999年3月7日。遺作『アイズ ワイド シャット』がアメリカで公開されたのは同年7月16日。日本公開はその2週後。当時、人気絶頂(今も大人気だが)だったトム・クルーズ&ニコール・キッドマン(元)夫妻が予定を大幅に上回る長期間の撮影によって作品に拘束され続けたことでも大きな話題となっていたが、キューブリック死去の第一報と共に届けられたのは「『アイズ ワイド シャット』の撮影も編集も終わっている」という情報だった。我々ファンはキューブリックの死去に悲しみながらも、数ヶ月後に12年ぶりの新作が観られることにワクワクせずにはいられなかった。

 しかし、撮影と編集が終わっているからといって、作品がそのままキューブリックの思い描いていた通りに上映されるとは限らない。何しろ、キューブリックは自身の作品の日本語字幕まで詳しくチェックすることで知られていた(『アイズ ワイド シャット』初公開時の日本語字幕は、残念ながらその体制が崩れたタイミングで世に出てしまったようだが)。『キューブリックに魅せられた男』では、キューブリックの死に最も大きなショックを受けていた一人に違いないヴィターリが、周りがその死の余韻の中で大騒ぎをしている中、いかにキューブリックの遺した作品のためだけに全身全霊を捧げていたが克明に描かれている。ヴィターリは確かに情の部分でもキューブリックその人に魅せられていたが、何よりもその作品に魅せられてそこまでの人生を捧げてきたのだ。本作で自分が最も感動したのは、キューブリックが死んでからの彼の行動とその生き方だ。

 映画監督に限らず、どんな天才もいつかは死ぬ。そこで残された作品を、我々は当たり前のようにフィジカルで所有したり、ストリーミングで観たり聴いたりしている。映画の場合、特別な上映があれば会場に足を運ぶ。しかし、それが「ちゃんと」残されて、「ちゃんと」届けられるためには、ヴィターリのような、「人」だけではなく「作品」に身を捧げることができる存在が必要なのだということが、本作を観るとよくわかる。彼には感謝しかない。今後もキューブリックの新しい規格のフィジカルが出たら買います。(宇野維正)

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