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『スパイダーマン:スパイダーバース』に心を揺さぶられる理由 ストーリーや画期的な演出から探る

リアルサウンド

19/3/17(日) 10:00

 第91回アカデミー賞長編アニメーション賞を受賞したのは、マーベルコミックスの有名ヒーロー、スパイダーマンの活躍を描いた、『スパイダーマン:スパイダーバース』だった。世界で大ヒット作となったのはもちろん、内容についてもとにかく評判が良く、すでに観た観客からは絶賛の声が多く、「実写を含めたスパイダーマン映画の最高傑作」との意見もあがっている。

参考:『スパイダーバース』プロデューサーが語る、これまでの“スパイダーマン映画”との違いと普遍性

 スパイダーマン映画といえば、現在、大河のようになったアメコミ映画ブームの流れの源になったといえる、2002年からのサム・ライミ監督による『スパイダーマン』シリーズも含まれるのだ。それを超えたというのか。しかし、実際に本作『スパイダーマン:スパイダーバース』を 観てみると、確かにそのような意見が出るのも納得できるのだ。ここでは、なぜここまで本作が支持され、心を揺さぶられるのか、ストーリーや画期的な演出などを追いながら考察していきたい。

■かつてないヴィジュアルのアニメーション

 アカデミー賞長編アニメーション賞の対抗馬だったのが、天才監督ブラッド・バードの『インクレディブル・ファミリー』である。40、50年代の古いハリウッド映画を想起させるような風格と、キレのあるアニメーションならではの演出、そして観客を楽しませる趣向の数々。監督の冴えと、ピクサー・アニメーション・スタジオの技術による洗練の極みに到達したと思わせる完成度は、もはや“完璧”と言いたくなるほどである。

 総合的な作品の質や洗練を問うなら、統一感を持った美しさのある『インクレディブル・ファミリー』に軍配が上がるかもしれない。だが、『スパイダーマン:スパイダーバース』は、それを凌駕する新しさを持っている。それは、3DCGに2Dの感覚が複雑に混じり合うような、かつてない幻惑的なヴィジュアルだ。

 キャラクターたちの“なめらかでない”カクカクとした動きは、1秒あたりの動画の枚数にあたる“フレームレート”を意図的に通常の劇場用アニメーションの半分ほどに落とすことで生まれる。本作は、観客がこれを“作りもの”であると意識させてしまうことをおそれない。むしろアニメーションであることを声高に叫んでいるようにすら感じられる。

 さらには、まるで画面がアメリカンコミックの1ページであるかのように、ときにマンガのコマのように割られ、キャラクターの心情が文字として表示される。そしてスパイダーマンの危険を察知できる能力“スパイダーセンス”が、漫画的な記号によって表現されるなど、3D表現のなかに平面的な表現が被さってくる。

 コミックへの接近は、驚くほど周到に行われている。ページに印刷されたドット状のインクによって構成される。コミックの独特な風合いを、ここでは拡大・誇張し、ある意味でコミック以上にコミック的であろうと自己主張を始める。それは、同じようにコミックの特徴を強調し平面の魅力を追った、ロイ・リキテンスタインのポップアートをも想起させられる。本作の昇華された表現は、作中に配されたウォールペイント、ヒップホップなどのストリートカルチャーとも合流し、もはやここにおいて、コミックやアニメーションが、オシャレでかっこいいと思える存在にまでなっている。本作はその意味でも、非常に重要な価値を生み出しているのだ。

■スクラップブックのような自由な表現

 ヴィジュアルにおけるキーマンとなっているのは、美術監督のジャスティン・トンプソンだ。これまでアニメーション業界で活躍し、ハイセンスな2Dアニメーション『パワーパフガールズ』(1998年)や、『サムライジャック』(2001年)のスタッフとしても活躍したトンプソンは、10代のうちからコミックブック・ショップで働き、熱心な読者としてコミックの大胆な線や、ドットで構成される色彩に魅せられていたのだという。そして、多色刷りにおけるプリントのズレによって起こる、線のブレや微妙にはみ出した色彩にすらもフェティシズムを感じていた。

 トンプソンは早いうちに本作の製作者フィル・ロード&クリス・ミラー(『くもりときどきミートボール』『LEGO ムービー』)と話し合い、画面作りについての構想を練っている。そして主人公の少年が、スパイダーマンと出会うことでヒーローに目覚めていく過程で、画面の印象がどんどん派手に、ついにはサイケデリックな領域にまで突入していくという演出が生まれた。エフェクトを使いまくる派手な色彩のクライマックスでは、「いくらなんでもやり過ぎた」ということで、あるバージョンを不採用にするなど、一部で創造性をセーブするところもあったらしい。

 その手法は、もはやアメコミであろうとすることすら超えて、あたかもセンスの良い10代の学生が趣味で切り貼りして作成する、何でもありのスクラップブックであるかのようだ。荒削りのように見えながら、“ものをつくる”ということの楽しさがダイレクトに伝わってくる。そしてアニメーションという表現は、そのような感覚的なアプローチでも成立するような懐の深さを持っていることに気づかされるのである。

■パラレルワールドから現れるスパイダーヒーロー

 この独特なスタイルは、本作の設定やストーリーとも調和を見せる。『スパイダーマン:スパイダーバース』は、SF作品でおなじみ、理論物理学の考え方にある“平行世界(パラレルワールド)”が登場する。これは、いま自分がいる現実以外の“現実”が、異次元に無数に存在しているというものだ。

 本作では、それぞれの平行世界に、あり得たはずの様々な姿のスパイダーマンがそれぞれ存在しており、それぞれに活躍しているということになっている。それら別次元のスパイダーマンたちが、本作の主人公となるマイルス・モラレスの世界に集結する。じつは彼は、オリジナルのコミックとは設定の異なるスパイダーマン関連作『アルティメット・スパイダーマン』にて、ブラックカラーのコスチュームを着たスパイダーマンになる運命にあるキャラクターなのだ。

 オリジナルと設定の異なるスパイダーマン関連作は、他にもまだまだ存在し、スパイダーマンとして活躍するキャラクターも無数に存在する。本作にもグウェン・ステイシーや、スパイダーハム、スパイダーマン・ノワールなどが、それぞれの平行世界から現れた者として登場する。つまりここでの“平行世界”とは、スパイダーマンに関連する別作品・別設定のことを指している。そして、会うはずのない別設定のスパイダーマン(ガール)たちが共闘するのである。

 別作品ということは、その画風も別々である。本作ではそれらを統一した絵柄でまとめるのではなく、絵柄の違う者同士が一緒の画面に収まるという、下手をすればごった煮で見苦しいものになるおそれがある危険を冒している。しかし、前述したようなスクラップブックのような自由な表現手法が、本作のキャラクターたちの統一性の無さをカバーする。そしてむしろ無秩序な楽しさへと転化させてゆくのである。

■胸を熱くさせる、キャラクター中心のストーリー

 これだけでもう本作の実験性や楽しさを評価するのに十分だが、さらに、いかにもコミック的なストーリーがヴィジュアルに熱を吹き込んでいる。それは、キャラクターを中心とした王道的な作劇だ。“人間をしっかり描こう”とするような、いまでは古風ともとれる信念によって、展開にむやみな“ひねり”を加えるのではなく、ここではあくまでキャラクターの魅力を際立たせるストーリーを構築している。

 なかでも、別次元からやってきた中年のピーター・パーカーが面白い。彼はいまだ青春を卒業できないまま年を重ね、現実の問題にうまく対応できないという“ミッドライフ・クライシス(中年の危機)”に突入している。だが、そんな葛藤する内面のせめぎ合いが、セクシーだと感じるまでに、彼に複雑な魅力を与えているのだ。そんな彼も、マイルスを育て上げることで成長を遂げることになる。

 そして主人公マイルスは、ヒーローになることに逡巡する少年として描かれる。自分の能力に自身を持てず、一歩を踏み出せないのだ。彼は、父親がアフリカ系、母親がヒスパニック系である。これらの人種は、アメリカ社会でたびたび差別の被害者になり得る。彼が大作映画において“ヒーロー”となることは、『ブラックパンサー』(2018年)がそうであったように、同じ人種の子どもたちに将来の希望を与えることにつながる。

 「自分はやれる」と信じ、マイルスはついに高層ビルから跳躍し、高所からの“ウェブ・スイング”を試みる。努力を繰り返し、自分を信じ、困難に立ち向かう覚悟を決めれば、新しい世界が開ける。本作におけるストーリーも、ヒーローに近づくにつれて色彩が輝き出す表現も、そのメッセージを伝えるために存在するのだ。本作は、一人の少年が自分の人生を選び取る瞬間を描く。それは、どんな観客にとっても他人事ではいられないと思わせる普遍性を持っている。だからこそ、マイルスの跳躍に我々は胸を熱くせざるを得ないのだ。(小野寺系)

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