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『五等分の花嫁』は現代のラブコメに一石を投じた名作だーー「選ぶことの難しさ」を示した誠実さ

リアルサウンド

21/2/11(木) 10:00

 「週刊少年マガジン」に2017年8月から2020年2月まで連載され、TVアニメ第2期が2021年1月から放送中の春場ねぎ『五等分の花嫁』はシリーズ累計1450万部のラブコメだ。

 この作品の魅力は序盤と中盤以降で変わり、後半の展開は議論を呼ぶという、物語のフェーズごとに変化していくおもしろさがある。全14巻だが、4~5巻ごとに見せる表情を変えていく。

序盤の魅力は「お互い最悪な第一印象の男女が徐々に接近していく」ベタな楽しさ

 『五等分の花嫁』は、頭はいいが貧乏な上杉太郎が、お金はあるが赤点だらけで勉強する気ゼロの五つ子姉妹・一花、二乃、三玖、四葉、五月の家庭教師となって落第を阻止し、妹・らいはのために&過去のある出来事を踏まえて「なりたい自分」になるために勉強と家庭教師アルバイトに奔走する。

 貧乏だが秀才な主人公が女子に勉強を教えるラブコメとしては、同じく2017年連載開始、20年完結の週刊少年ジャンプ連載の筒井大志『ぼくたちは勉強ができない』がある。かつては「勉強ができるキャラ」は少年マンガでは脇役のほうが多かったが、近年では「ガリ勉」などと揶揄されることなく、勉強すること・できることが素直に肯定される社会になったことを感じさせるし、今や多額の奨学金を借りて大学進学している学生が多いことを考えると「頭はいいがお金がない」主人公設定は地方ではわりとリアルなものだろう。

 険悪な状況から徐々にお互いの人となりを知って距離を縮めていくのはラブコメの定番だが、『五等分の花嫁』も単行本5巻くらいまでは「一筋縄ではいかない勉強ぎらいの五つ子に勉強に目を向けてもらうためにあれやこれや手を尽くす風太郎と、そんな風太郎を見て少しずつ惹かれていく五つ子」という展開で読者を惹きつける。

 もっとも早くデレる、戦国大名好きのヘッドホン少女・三玖が一番人気だったが、三玖に限らずそれぞれキャラの立った5人の内面やバックグラウンドの掘り下げと、ラブコメ定番の学校行事・年中行事などを使った接近イベントで読者を楽しませる。

中盤以降の魅力 「5年前の少女」は誰で、なぜ風太郎と距離を置くのか?

 五つ子全員とフラグが立った中盤以降は、徐々にラブコメミステリーへと様相を変えていく。

 時折差し挟まれる、風太郎が五つ子のうち誰かと結婚式を挙げるという未来を描いたシーンから「これは五つ子のうち誰なのか?」と読者は疑問に思う。

 そして「いったい誰とくっつくのか?」という未来の話が、実は、金髪のやんちゃな小学生だった風太郎が、5年前に京都でとある少女と出会ったことによって「人に必要とされる人間になる。そのために勉強する」と決意したという出来事があり、その少女がどうも五つ子のうちのひとりだったらしい、という過去の話と紐付いた――「運命の出会いをした相手と結婚する」物語であることが見えてくる。

 五つ子は、ふだんは性格、外見がはっきりと描き分けられているので見間違えることはないが、5年前は五つ子がまったく同じ髪型や服装をしており、誰だったのかがわからない。

 そして風太郎の前に再び5年前の姿で少女が現れる。つまり彼女は5年前に出会ったのが風太郎であることを認識しており、しかし、彼の元からなぜか去っていく。

 5年前の少女は誰だったのか。

 なぜ風太郎の想いを知りつつ、なかなか姿を現さないのか。

 ほかの4人は、風太郎に過去の因縁を振り切らせ、振り向かせることができるのか。

「主人公がいったい誰を選ぶのか」はラブコメでは定番の謎だ。双子以上が登場するミステリーでは入れ替えトリックもやはり定番である。『五等分の花嫁』はそれらを合わせてひとひねり加えた恋愛ミステリーとして、より考察しがいのあるものになっていた。

炎上回避のためのハーレムエンドを選ばず、個別ルート(ifルート)を用意しない潔さ

 最終的に誰とくっつくのかについてはネタバレになるため記さないが、この作品はラブコメでよくあるハーレムエンドでの完結を選ばなかった。

 ハーレムエンドは、エロゲーでまず見られるようになり、全年齢向けの作品では「週刊少年ジャンプ」連載の矢吹健太朗『To LOVEる-とらぶる-』(06年~09年。続編『To LOVEる-とらぶる-ダークネス』は10年~17年)が強烈なインパクトを残し、それを前後してラブコメマンガやラノベでも普及していった印象がある。

 ハーレムエンドはほとんどの場合、作中的な必然性があるというより「誰かひとりだけ選ぶと、誰を選んでも読者から叩かれるので全員選ぶ」という消極的な理由、炎上回避を目的とした終わりかたである。

 本編では誰かひとりを選び、完結後に個別ヒロインごとのルート(ifルート)を用意する作品も同じで、「ひとりだけを選ぶと燃えるので個別ルートを用意する」ことが少なくない。

 ハーレムエンドか個別ルートを用意すれば、たいていの場合、誰かひとりを選ぶよりも丸く収まる。現実では不倫やポリアモリーは否定的な目で見られるが、ラブコメでは複数人と結ばれないと叩かれるのが現代日本である。

 しかし、本作はひとりを選んで終わる。それがためにAmazonカスタマーレビューなどを覗くと荒れている。けれども、そうなるであろうことをわかっていてあえて引き受けたことを筆者は買いたい。

 本作では「勉強しない」ことは「自分の将来と向き合わない」ことと結びつけられて意味づけられている。言いかえると、高校生を主人公やヒロインにし、進路選択が差し迫る環境において「なりたい自分を目指す」ために「勉強する」ことを選ばないということが、イコール「将来の可能性をひとつに絞りたくない」というモラトリアム的な気持ちと結びついている。

 五つ子の「勉強ぎらい」=何者にもならずに五人いっしょに居続けたいという初期状態は、ラブコメとして「誰を選ぶか? →誰でもありえる状態にしておきたい」という読者の気持ちとパラレルだった。

 しかし彼女たちは、それぞれに自分のなりたいものを見つけ、それに向かって努力するようになっていく。将来を決める=可能性の幅を狭める。そしてその上で実現に向けて努力していく。けれども、努力しても手に入らないものもある。たておば恋愛が成就しないこともある。思いどおりの結果にならないのだから、当然ながら、その人物にとって納得がいくとは限らない。

 可能性と選択と努力の関係とは、そういうものだ。本作はラブコメとして「誰でもありうる」という選択肢が徐々に狭まっていくのと並行して、5人それぞれが将来の可能性を自ら狭めて選択し、努力していく。

 こういうストーリー展開を用意した作家は誠実だと筆者は思う。進路問題を絡めることで、恋愛においても「誰も選ばない」(可能性を担保しておきたい)とか現実にはありえない「全員選ぶ」のは、やはり不誠実なのではないかと読者に示したのだろう。

 ただ、ヒロインが五つ子という時点で「それぞれが他の誰かのような人生を歩んでいたかもしれない可能性」は示されていたとも思う。

 生物の能力や選好(何を好むか)は「遺伝と環境の相互作用」で決まる。一卵性の五つ子の場合は、遺伝的なスペックという生物としての初期条件は同じで、どんな環境でどんな経験を積んだかという後天的な部分だけが異なる。

 Aはある出来事を経験し、Bは経験しなかったとすると、Aは変わり、Bは変わらない。その出来事が偶然の産物であったとしても、それがのちのち決定的な違いを生むことも十分に起きうる。

 風太郎側から見ても、Aとは決定的な出来事があり、Bとはなかった。

 逆に言えば、5年前に出会ったのが別の誰かだったなら、結末は違っていただろうことを、本作後半の流れは示唆している。五つ子はみな、持って生まれたものは同じだからだ。そういう意味では、直接的にはifルートを描いていないが、五つ子ヒロインにした時点で「他でもありえた可能性」に開かれており、そのことを読者に十分に想像させる作品だった。だからこそハーレムエンドではなく特定のひとりだけを選んで終われたのだと思う。

 選ぶことの難しさと残酷さを知っていてなお選び、しかし、それに耐えられない読者向けに想像の余地を残すやさしさが『五等分の花嫁』にはあった。

 後半以降の展開と結末に賛否があるのは承知しているが(終盤は駆け足なところがあると筆者も思う)、現代のラブコメのありようと受容のされかたに一石を投じた名作だと言いたい。

■飯田一史
取材・調査・執筆業。出版社にてカルチャー誌、小説の編集者を経て独立。コンテンツビジネスや出版産業、ネット文化、最近は児童書市場や読書推進施策に関心がある。著作に『マンガ雑誌は死んだ。で、どうなるの? マンガアプリ以降のマンガビジネス大転換時代』『ウェブ小説の衝撃』など。出版業界紙「新文化」にて「子どもの本が売れる理由 知られざるFACT」(https://www.shinbunka.co.jp/rensai/kodomonohonlog.htm)、小説誌「小説すばる」にウェブ小説時評「書を捨てよ、ウェブへ出よう」連載中。グロービスMBA。

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