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田原俊彦は過小評価されている? 取材・検証の積み重ねと著者の愛情による『田原俊彦論』評

リアルサウンド

18/9/5(水) 8:00

 芸能人に関する本は、多く出版されている。ファン目線で応援するもの、内幕の暴露、生真面目な評論など傾向はいろいろ。事実に迫ろうとするものがある一方で、ひたすら妄想を膨らませるものだってある。そうしたなかで、岡野誠著『田原俊彦論 芸能界アイドル戦記1979-2018』(青弓社)は、尋常ではない内容になっている。

(関連:近藤真彦は、なぜジャニーズ最年長で“ギンギラギンにさりげなく”あり続けるのか

 田原俊彦はジャニーズ事務所に所属し、1979年にドラマ『3年B組金八先生』第1シリーズに出演後、1980年に「哀愁でいと」で歌手デビューした。すぐにトップアイドルとなり、1979~1989年に放送されたランキング形式の人気歌番組『ザ・ベストテン』では、最多ランクインの記録を残している(2位松田聖子、3位中森明菜、4位近藤真彦、5位チェッカーズ)。また、月9ドラマ『教師びんびん物語』に主演して高視聴率をとるなど俳優業でも成功した。歌もドラマもヒットして女性からの人気が高く、後の福山雅治みたいなポジションだったわけだ。

 1993年にはモデルとの交際が発覚し入籍したが、マスコミに取材対応はせず、翌年の長女誕生でようやく記者会見に応じた。その会見で「僕くらいビッグになっちゃうと」と発言したことが傲慢だと批判される。バッシングによる逆風が吹くなか、1994年にジャニーズ事務所を辞め、以後は低迷期に入ってテレビであまり見なくなった。だが、2009年にラジオ番組『爆笑問題の日曜サンデー』にゲスト出演したのを契機として、2011年からは同じく爆笑問題がMCを務める『爆報!THEフライデー』のレギュラーになるなど、メディアに再び露出するようになった。

 田原俊彦の歩みを大雑把にまとめるとそのようになる。人気絶頂、「ビッグ」発言でのバッシング、長期低迷、復活という、世間の目から見てもわかりやすい波瀾万丈ぶりである。それに対し、岡野誠の『田原俊彦論』はそんな単純な話ではない、田原俊彦は過小評価されていると訴える。

 著者の岡野誠は、1978年生まれの遅れてやってきた田原俊彦ファン。テレビ番組制作会社を経てライターとなり、写真誌『FLASH』や『週刊ポスト』の記者を務め、現在はフリーで活動している。彼は2009年と2014年に田原俊彦本人にインタビューしたほか、作詞家やバックダンサーなど多くの関係者に取材し、テレビ番組や雑誌記事など過去の膨大な資料にあたっている。そのうえで田原の歩みを再検証したのだ。

 迷惑を考えずに追いかける報道陣への皮肉まじりの冗談だった「ビッグ」発言は、当初注目されず、後に文脈から切りとられ悪い方向にクローズアップされたものだったこと。人気低迷を印象づけた『an・an』の嫌いな男1位選出は、投票方法が不透明だったこと。独立直後にはジャニーズアイドルとともに出演していたし、共演NGは周囲のいきすぎた忖度なのではないか。岡野は、過去を丹念に掘り起こしていく。その結果、浮かび上がるのは、歌って踊れるエンターテイナーとして研鑽を積みつつも、媚びたりいいわけしたりすることをよしとせず、ただ己の道を行く田原俊彦の一本気な姿だ。

 『3年B組金八先生』で近藤真彦、野村義男とともにたのきんトリオとして注目された際、実際には2学年上だった田原は同級生役を演じていた。デビュー時の可愛らしい風貌、「ブギ浮ぎI LOVE YOU」で歌の一部にもされた「ハハハハ」というトレードマークの笑い声など、初期には年齢より幼く感じられるキャラクターであり、歌が下手だと批判されもした。やがて男っぽい精悍さが増し、俳優業に成功し30歳を越えてからも、初期のアイドル「トシちゃん」のイメージは根強かった。ゆえに「ビッグ」発言が、アイドルのくせに生意気だという反発を買ったところはある。今からふり返ると、当時の田原の陽性で華のあるキャラクターはアイドル向きだったが、頑なな性格のほうはアイドル向きではなかった。

 それに対し、アイドルかアーティストかの区別は無意味だとする岡野は、田原を擁護する。マスコミや世間一般の一面的でいきすぎたバッシングを批判するとともに、マイケル・ジャクソンのムーンウォークを日本のテレビで初めて披露した田原のエンタテイナーとしての才能を賞賛する。この本を読み始めた時には、論ずる対象を美化しすぎではないかと思ったが、多くの情報の検証や取材の積み重ねに裏打ちされた記述で徐々に説得されていった。

 現在の芸能報道では一般人がかかわる場合はプライバシーに配慮されるが、かつては生まれたばかりの赤ん坊に対しても容赦なかった。今ならSNSなどで取材される側からも発信できるが、以前はそんな対抗手段はなかったのである。また、アイドルに対する感覚が現在とは異なり、疑似恋愛の対象となる異性という傾向が強かった。30歳を過ぎて結婚し子どもができてもアイドルでいられるという状況ができたのは、田原がいったん表舞台から姿を消して以降のことだ。

 『田原俊彦論』は、芸能界や世相のそのような変化を映し出した点でも興味深い。とはいえ、岡野の力点は、そこにはない。彼は、人気が低迷していた時期の田原のライブを観ており、そのパフォーマンスに魅せられている。岡野は、そうあるべきと考える田原の理想像を抱いている。本人にインタビューした際にも、なぜテレビ出演でわざわざ感じが悪く見えてしまう受け答えをするのか、なぜステージでオリジナルの振付をはしょるのかと、苦言めいた質問もしている。それに対し田原は、「あなたは特にわかってるよ」と認めつつ「だから、こうしたほうがいいとか言うわけじゃない? 生意気にも」と返した。

 不器用なほど一本気で露悪的な言い方もする田原に対し、ファンである岡野も好きな相手から「生意気にも」と言われるほど、一本気である。本書の最終章では、俳優業の再開、年一枚のシングルなら踊る曲で勝負をなど田原への提言がなされる。しかも、最後の言葉は「もし体に異変を感じたら、ちゃんと病院に行ってください」なのだ。膨大なデータを駆使した冷静な論考でありつつ、「好き」の熱い気持ちにも溢れているという、稀有な内容になっている。

 岡野は、「人気」とは「ふわっとした空気をいかに自分のモノにするか」だと書いている。その意味では、「ビッグ」発言後、「僕のいいところも悪いところも理解してくれる人だけに応援してほしい」「僕はいつも自由にいきたい」と話した田原の頑なさは、「ふわっと」から遠いようにも感じられる。

 岡野は、田原復活のキーマンとなった理解者、爆笑問題の太田光が作詞したシングル「ヒマワリ」(2011年)を高く評価している。普通ならスターである田原を太陽に喩えそうなものだが、この曲で太田は、ファンが太陽であり、その光を見守っているヒマワリが田原だと想定して詞を書いた。東日本大震災の年にリリースされた「ヒマワリ」は、太陽であるファンにありのままでいてと呼びかける応援ソングになっていた。

 ヒマワリは強靭な生命力でにょきにょき上へ上へと伸びていくけれど、太陽のほうを向いている。ヒマワリには「ふわっと」した陽光が注がれる。一本気で頑なな姿勢だけれど、ファンのために歌い踊る田原俊彦は、そんな「ふわっと」した光を浴びてきたのだなと、本書を読んで思った。(円堂都司昭)

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