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山本益博の ずばり、この落語!

お気に入りの落語、その三『大工調べ』

毎月連載

第29回

(イラストレーション:高松啓二)

棟梁・政五郎の江戸っ子の啖呵ーCOREDOの柳亭小痴楽は、超高速スピードで爽快な気分にさせてくれた。

もし、落語初心者が寄席か何かの落語会で、出合い頭的に『大工調べ』という噺を聴くと、落語の魅力の一つ「呪文のような言葉」にはまってしまうはずである。

「呪文のような言葉」とは、『寿限無』や『金明竹』に出てくる、一種の早口言葉。リズミカルに囃し立てる言葉の羅列の快感に酔わされるのである。『大工調べ』でいうと、長屋の家主に毒づく大工の棟梁政五郎の、立て板に水の如くの啖呵ということになる。

そこに至るまでの『大工調べ』のあらすじは次のようなものである。

「頭は少々弱いが、親孝行で大工の腕もよい与太郎のところへ棟梁の政五郎がやってくる。長いこと休ませたが、大名屋敷のいい仕事が入ったから、今日のうちに道具箱を入れてしまおうと。ところが、与太郎は、その道具箱、店賃の抵当(かた)に家主が持っていってしまったという。滞った店賃は、一両二分と八百文。

棟梁は、懐にあった一両二分を与太郎に渡し、家主のところに行って、道具箱を返してもらってこい、という。

ところが、八百文足らないと、家主は首を縦に振らず、与太郎の言う、御の字だ、あた棒だの口ぶりから、誰かの差し金と察して、与太郎を追い返してしまう。

やむなく、棟梁が与太郎を従えて家主に願い出ることになる。はじめは、あくまで、下出(したで)にでて、道具箱を返してくれれば、残り僅かの八百文は、何かのついでに、家のものに放り込ませると言うと、家主は、その棟梁の口ぶりがますます気に入らない。

どうしても願いを聞き入れてくれない家主に、とうとう堪忍袋の緒が切れて、棟梁の啖呵が始まる。立て板に水の如く、家主の前身旧事を暴き立てて、さんざんに毒づく。これが、なんとも爽快な江戸っ子の啖呵」

啖呵を切った手前、棟梁は決まりをつけるため、与太郎にも、追従しろという。あまりの棟梁の勢いに押されて、与太郎は口が滑ったり、言い間違いをしたり、しどろもどろとなってしまう。

この後、御白洲に願い出て、南町奉行所の大岡越前守が裁きをするところから『大工調べ』という題がついた。

通常、裁きの場面までやらず、与太郎で笑いのとれる返しの場面で『大工調べ』の序でございますとサゲることが多い。

去る9月27日の「第23回COREDO落語会」での柳亭小痴楽の棟梁の啖呵は、超がつくほどの高速スピードで、観客は爽快な気分に酔った。そして、啖呵を切り終えると、会場から大きな拍手が沸き起こった。ただ、この後の与太郎の返しが少々長く、観客が胸のすくような気分に浸っているうちに噺を締めてもよかったかもしれない。

『大工調べ』の登場人物は、棟梁、与太郎、家主のわずか三人。小痴楽の場合、家主の風情が出てきたら、いずれ、彼の十八番になるに違いない。

現在だったら、三遊亭小遊三の『大工調べ』がいい。私が過去に聴いたのであれば、春風亭柳朝と古今亭志ん朝と立川談志の『大工調べ』が逸品だった。気が短くて、喧嘩っ早い江戸っ子が見事な啖呵を切って見せた。

立川談志が描く与太郎は、意外や頓智頓才に長け、新鮮だった。

さて、啖呵の陰に隠れているが、忘れてはならないのが、与太郎の存在である。大工としての腕がいいのだから、知能が低いわけではない。常識人と少しセンスが違うのである。そのことを教えてくれたのが、立川談志の『大工調べ』である。

私がまだ早稲田の学生だった、1960年代末、新宿末広亭に初めて出かけて行ったとき、立川談志が高座に上がった。その時の演目が『大工調べ』だった。

何より新鮮だったのが与太郎で、いわゆる愚か者の与太郎ではなく、頓智頓才に長けた与太郎だった。日本の昔話に出てくる「吉四六(きっちょむ)さん」もしくは、イタリア古典喜劇『コンメディア・デッラルテ』にでてくる「アルレッキーノ」を思わせた。例えば、物事を正面から受け止めず、斜めから見る。

いま、残された談志の『大工調べ』を聴くと、噺の冒頭「与太郎は凄いやつで」と言ってから、大工の棟梁政五郎が与太郎の長屋を訪ねると、こんなやり取りから始まる。

「与太っ、いるか?」
しばらくあって「おう」と与太郎が応えると、
「おう、じゃねえや、おいでませくらい言えやい」と棟梁が返す。
すかさず、与太郎が
「こんちはって言わねえもん、そっちも」と切り返す。

馬鹿では、こんな言葉で返せない。

こういう与太郎像を描いた落語家は、私の知る限り談志以外誰もいない。

この与太郎が、棟梁政五郎の啖呵のあと、活躍するのが談志の『大工調べ』なのである。録音、録画に残る、談志の啖呵は、立て板に水の如く、とは言い難く、与太郎にも冴えが今一つだが、1960年、70年代(昭和50年代)の談志の『大工調べ』は凄かった。

その談志が、後年、『大工調べ』で述懐したことがある。

棟梁が見事な啖呵を切った後、棟梁に後押しされて、与太郎が家主の悪口を言い立てたとき、「八百足らないのだから、棟梁が間違っている」と言い出して、家主側についてしまったときがあったという。これぞ、落語の真髄、噺はいつも生きている、その証明。その時、その後、どのように噺が展開し、御白州でどんな裁きが下されたのか。

私は、立川談志の『芝浜』『富久』『らくだ』など名高座にいくつも出合っているが、聴き損ねた中でも、この『大工調べ』だけは聴いてみたかった。

プロフィール

山本益博(やまもと・ますひろ)

1948年、東京都生まれ。落語評論家、料理評論家。早稲田大学第ニ文学部卒業。卒論『桂文楽の世界』がそのまま出版され、評論家としての仕事がスタート。近著に『立川談志を聴け』(小学館刊)、『東京とんかつ会議』(ぴあ刊)など。

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