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山本益博の ずばり、この落語!

第二十四回『三遊亭円丈』 令和の落語家ライブ、昭和の落語家アーカイブ

毎月連載

第24回

三遊亭円丈@落語協会

1970年代後半、渋谷の「ジァン・ジァン」と言う小劇場で「実験落語」の会が開かれていた。「新作落語」と言わず「実験落語」と名乗っていたのは、「古典落語」に対抗するのではなく、時代に即した社会的テーマを、落語的な視点でとらえるストーリーを創作することを目的にした落語会だったように思えた。練り込んだ話芸ではなく、現代社会のコメンテーターを目指す。その中心的存在が、三遊亭円丈だった。

当時、私は渋谷の東横劇場で「東横落語会」の企画委員をしていて、若手落語家を起用しての「若い東横落語会」を立ち上げ、1980年5月、第3回に円丈師匠に出ていただいた。

当日のプログラム

  • 番 組
  • 兵庫船
  • 三遊亭友楽
  • 妾馬
  • 三遊亭栄馬
  • 紺田屋
  • 入船亭扇橋
  • 仲入り
  • 竹の水仙
  • 柳家小きん
  • 稲葉さんの大冒険
  • 三遊亭円丈
  • 居残り佐平次
  • 古今亭志ん朝

円丈以外はすべて古典落語、トリは志ん朝の『居残り佐平次』で、お客様はすべて、志ん朝目当てだったと言ってよい。

円丈は四面楚歌のような高座でも、多いに笑いを呼んだのだが、後日、読売新聞の寄席評で、志ん朝の高座が荒らされてしまったと、お小言を頂戴するほどだった。当時、それほど円丈らの新作、創作、実験落語は評価されていなかったのである。

それが一夜にして円丈にスポットライトが当たったのが、1981年の関西テレビ(フジテレビ系列)『花王名人劇場』ではなかったか。円丈は『グリコ少年』を高座にかけ、グリコキャラメルの江崎会長を追悼しながら、「丸美屋ののりたま」「渡辺のジュースの素」などを懐かしみながら、「落語」というより「世相講談」で客席を沸かした。しまいには、キャラメルを客席に豆まきのようにばらまき、自らも口に含んで「一粒300メートル!」と叫びながら、客席を駆け抜けていった。

TV『花王名人劇場』は1979年10月、テレビ時代の名人たちに登場願おうと企画され、芝居では森繁久彌、落語では古今亭志ん朝を新しい名人像とした。この番組の総合プロデューサーが澤田隆治で、かつて『てなもんや三度笠』『スチャラカ社員』『ごろんぼ波止場』(TBS系列)の生放送三本で週間視聴率100%を取った名物プロデューサーだった。

澤田さんに声をかけられた私は、この番組で演芸部門の「落語」を中心に制作陣に加わったのだが、澤田さんが最も心血を注いだのが漫才で、1980年1月20日放送の『激突!漫才新幹線』と銘打った「横山やすし・西川きよし、星セント・ルイス、B&B」の漫才がゴールデンタイムの視聴率二けたを記録し、「漫才ブーム」の火付け役となったのだった。

この「漫才ブーム」のおかげで『花王名人劇場』では、「落語」でも新しい挑戦が可能になり、三遊亭円丈の出番が回ってきたのだった。

このほか、王道の『まってました!志ん朝VS枝雀』、ギャグ満載の『円鏡・ツービート爆笑二人会』など、それまで、テレビのゴールデンタイムではありえなかった演芸番組が「漫才ブーム」の余韻で可能になっていった。

三遊亭円丈は、昭和19年(1944年)名古屋生まれ、昭和39年(1964年)六代目三遊亭圓生に弟子入りし、前座名はぬう生。昭和53年(1978年)、真打昇進し、三遊亭円丈を名乗る。六代目三遊亭圓生からは、五代目三遊亭円楽はじめ、逸材の落語家が何人も育っているが、三遊亭円丈こそは、昭和の名人から生まれた落語界の異端児、風雲児、革命児と言ってよい。

『グリコ少年』は桂三枝、春風亭昇太、柳家喬太郎らに大きな影響を与え、円丈一門からは三遊亭白鳥を輩出している。

『グリコ少年』の昭和の郷愁を感じさせる世相講談、『悲しみは埼玉へ向けて』の北千住の都市伝説、『ぺたりこん』のサラリーマンの哀愁の不条理など、どれも傑作と言ってよい。

三遊亭一門では、後世、最も落語界に貢献した落語家と呼ばれるに違いない。

豆知識 『落語に出てくるたべもの:鯉のあらい』

(イラストレーション:高松啓二)

「あらい」とは、魚の刺身を冷水にさっとくぐらせて、身を引き締めたものをいう。白身の魚によく使う調理法である。

江戸っ子は「さっぱり」したものが好みで、「脂ののった」ものは敬遠した。淡泊な食べ物は「小粋」で、脂ぎった食べ物は「野暮」と呼んで、見下した。ひょっとすると、少々、やせ我慢もあったのではなかろうかと思うのだが。

「鯉」は川魚の代表で、鰻より、鮎より、上等の魚だった。

平安時代より伝わる包丁師による「庖丁式」の俎板の上にのるのも、多くは「鯉」である。いまでも、「寅さん」の故郷葛飾柴又には、「鯉のあらい」「鯉こく」など鯉料理を名物にする老舗「川甚」があるし、京都にも「鯉のお造り」を初夏の名物にする料理屋がある。

また、「端午の節句」には「鯉のぼり」が欠かせないし、「鯉の滝登り」は出世の象徴と言われている。

落語の『青菜』に登場する「鯉のあらい」だが、それに合わせる酒が「柳蔭(やなぎかげ)」である。この「柳蔭」、じつは「みりん」のことで、今でも岐阜の酒造メーカーが作っている。

プロフィール

山本益博(やまもと・ますひろ)

1948年、東京都生まれ。落語評論家、料理評論家。早稲田大学第ニ文学部卒業。卒論『桂文楽の世界』がそのまま出版され、評論家としての仕事がスタート。近著に『立川談志を聴け』(小学館刊)、『東京とんかつ会議』(ぴあ刊)など。

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