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ミュージカルの話をしよう 第4回 原田優一、“肩の上から見た景色”を胸に(後編)

ナタリー

21/2/12(金) 19:00

原田優一

生きるための闘いから、1人の人物の生涯、燃えるような恋、時を止めてしまうほどの喪失、日常の風景まで、さまざまなストーリーをドラマチックな楽曲が押し上げ、観る者の心を劇世界へと運んでくれるミュージカル。その尽きない魅力を、作り手となるアーティストやクリエイターたちはどんなところに感じているのだろうか。

このコラムでは、毎回1人のアーティストにフィーチャーし、ミュージカルとの出会いやこれまでの転機のエピソードから、なぜミュージカルに惹かれ、関わり続けているのかを聞き、その奥深さをひもといていく。

4人目は原田優一。前編ではミュージカルの世界に飛び込んだ子供時代から、「レ・ミゼラブル」「ミス・サイゴン」などの大作で活躍した二十代までを振り返ってもらった。後編では、近年数多く取り組んでいるオリジナル作品への思いや笑いへの情熱、舞台を共に作り上げてきたクリエイターたちへのリスペクト、さらには30年近い芸歴の中で最も“忘れられない”景色を聞いた。

取材・文 / 中川朋子

“ピーターパン”玉野和紀と出会い、オモシロが大爆発

──「レ・ミゼラブル」や「ミス・サイゴン」以降、原田さんは玉野和紀さん、そして板垣恭一さんとの舞台をたくさん経験されています。お二人との出会いと、演出家としてのお二人にどのような魅力を感じられているか教えてください。

玉野さんとの出会いは、2010年の「CLUB SEVEN 6th stage!」です。当時は玉野さんも僕を「どういうことができるんだろう?」と見ていたのか、あまり笑いのパートは与えられず(笑)。でも「面白いことが好きそう」だと玉野さんが思ってくださったようで、そのあとにミュージカルショー「100年のI love you」に呼んでくださいました。これは原田の“ハジケ”が大爆発!という感じで楽しくやらせていただきましたね。

──その後も「CLUB SEVEN」に連なる「GEM CLUB」「CLUB SEVEN -ZERO-」といったショーに出演されました。ミュージカルスターの皆さんがヒット曲や懐かしの昭和歌謡を歌ったり、時事ネタやパロディを全力で演じたり、さらにコントやアドリブのむちゃぶりなど、笑いの要素がたっぷり取り入れられていますね。

コントでは余白を残し、キャストを自由にさせてくれるのが玉野さん流です。稽古で試したことが良ければ「面白い!」、ちょっと違えば「うーん、僕は面白いと思わない」とジャッジしてくれる。自由度の高さと、品があって好き嫌いがはっきりしているのが、素敵なところだと思います。玉野さんはよく「つらい題材も楽しく、でも浅すぎず深すぎず作っていこう」とおっしゃっていますね。玉野さんって、まるでピーターパンのようなんです。「僕こういうことやってんだ! すごいでしょ、楽しいよね!」という感じで。僕は「すごいねえ、がんばってるねえ」と思いながら、一緒にお稽古しています(笑)。

──それを伺うと「お二人はどちらが先輩だっけ?」と思ってしまいます(笑)。

あははは! 玉野さんのそういう天真らんまんさが、楽しいステージを生み出しているんだと思います。

理論の中で自由に泳ぎ回って…“板さん祭り”は続く

──板垣さんとの出会いはいかがでしたか?

板垣さんとは2010年に、平幹二朗さん主演の「アントニーとクレオパトラ」で初めてお会いしました。当時は「あのさあ! そんなふうに動いたらだめだよ!」ときつくお叱りを受け、怖い演出家さんというイメージで(笑)。でもしばらくして別の作品で再会したら、「そうそう、いいね」とうなずいてくれた。それがだんだん「いいねいいね、面白いね」に変わり、今では「自由にして。何かあれば言う」と泳がせてくれるスタンスになりました。これは板さん(板垣)が変わったのではなく、きっと自分自身が変われたのだと思います。

──2014年の音楽劇「瀧廉太郎の友人、と知人とその他の諸々」以降、「晦日明治座 納め・る祭~あんまり歌うと攻められちゃうよ~」、ミュージカル「TARO URASHIMA」オフブロードウェイミュージカル「グーテンバーグ!ザ・ミュージカル!」など、板垣さんの演出作が続きます。

はい、“板さん祭り”が始まって(笑)、年に2・3回はご一緒しています。昨年末は僕が演出したPAT companyのミュージカル「グッド・イブニング・スクール」、板さん演出の「チャオ!明治座祭10周年記念特別公演『忠臣蔵 討入・る祭』」(「忠る」)、それからミュージカル「マリー・アントワネット」の稽古が重なりました。「忠る」の稽古場にはなかなか行けませんでしたが、それこそ板さんは「好きなようにやってね!」と言ってくれましたね。

──玉野さんと板垣さんとでは、作品のタイプがかなり異なりますね。

そうですね。玉野さんは感性で動く方。振付家でもあるのでステージを映像としてイメージされているのだと思います。一方の板垣さんは「物語がこういう理屈で動くから、演技をこうするといい」という感じで、理論をとても大事にされていて。ご本人は「板垣理論」と呼んでいて、動きやセリフ、リアクションなど、すべてが理論と計算に基づいています。だから板垣さんは、若手に教えるのも抜群にお上手ですね。板垣さんがなぜ僕の“オモシロ”を許してくれるかというと、僕が彼の理論の中で演じているから。たくさんの作品でご一緒してきたので、僕なりに板垣理論を消化できているんだと思います。たまにはみ出ると「優ちゃん、今はみ出たよ!」と教えてくださいますし。その範囲をわかったうえで自由に演じられるので、すごく楽ですね。

反骨精神から飛び込んだオリジナルの世界、そして“笑い”への開眼

──原田さんは「レ・ミゼラブル」「ミス・サイゴン」といったミュージカルを経験され、近年では玉野さんや板垣さんの、オリジナル要素が強い作品にも数多く携わっています。大作ミュージカルとオリジナル作品の制作現場で、一番違うのはどんなことなのでしょう。

伝統ある作品では、いかに音楽を大事にしながら自分の“色”で役を染めようかと、パズルを解くように稽古しました。でもオリジナル作品や新作の現場は、すべてがアイデア勝負。どうにでもなるけど、もし途中で方向転換があれば、それまで作ってきたすべてがガラガラガラ!と崩れていきます。1つ要素を組み替えるだけで目的地が変わってしまうので気が抜けませんが、挑戦的で面白いです。

──高い評価を得ている既存の作品からオリジナルへと、お仕事選びの傾向が変わるきっかけはありましたか?

「(古いものを)壊してやりたい」という反抗期めいた気持ちは、どこかにあったと思います(笑)。「レ・ミゼラブル」や「ミス・サイゴン」といった練り上げられた作品では、もともときれいな文字が薄く書いてあって、それをなぞるようにして舞台の基本を学びました。でもオリジナル作品や初演作にはその薄い文字はないので、「もうなぞらなくていいんだ!」と解放感を得られたんですよね。ただ基礎がなければ既存のスタイルを崩すことはできませんし、チャレンジのしようがないということも、“伝統”の外に出てわかりました。基礎も挑戦も両方大切にしつつ、新作を作る刺激や、俳優として“試されている感”が欲しかったんですね。

──玉野さんや板垣さんとの出会いを機に、新作を作る面白さに目覚めた?

そうですね。オリジナル作品を通じて、コメディの楽しさに触れたことも大きかったです。特に玉野さんの舞台からは、笑いについて多くを学びました。稽古場でウケることと本番でウケることって違いますし、お客様はヒントがないとどこで笑えばいいかわからない。玉野さんは感覚で「ここ笑ってね!」とヒントを示せる方なので、自分もその姿から勉強しました。「レ・ミゼラブル」のような作品はカッチリとシリアスに決められるのが魅力的ですが、とっさの判断力は玉野さんの舞台で鍛えられたんです。初めての「CLUB SEVEN」や「100年のI love you」では、楽屋に戻るたびに「どうしてこう返せなかったんだ」「もっと面白くできたのに」と落ち込みましたが……。

──あははは! その頃のご経験が、トークやアドリブで客席を爆笑で包む、今の原田さんにつながったんですね。

そういう瞬発力って、ミュージカルをやるうえでは考えなくていいかもしれませんけど(笑)。でもコメディやコントはすごく糧になりました。笑いのない場面でも、その場で起きたことに即座に反応する力は大切にしたいですね。

創作を支えてきた数々の出会い、舞台出身の誇りを忘れない

──演出家でもある原田さんは、2013年にミュージカルレビュー「KAKAI歌会」、2014年にはオフブロードウェイミュージカル「bare -ベア-」を手がけています。子供時代には脚本を書くこともあったそうですが、お仕事として演出をすることになったきっかけは?

どちらもオファーを受けてのお仕事だったので、ある意味で人から背中を押されての挑戦でした。「KAKAI歌会」はコンサートの延長のような感じで始めたのに、気付けば笑いの要素でいっぱいになりましたね。初めて演出した演劇作品「bare」ではノウハウが全然わからず、見よう見まねで。その結果、今思うと演出家が関わらなくていいところにまで口を出し、とても疲れてしまったんですが……。

──すべてお1人で背負ってしまわれたんですね。

板垣さんに相談したら「コツがあるんだよ」と言われて。「コツ……?」と思いつつ、それを探しながら取り組んでみたら、力を抜くべきところは抜いていいとわかった。人の意見を聞き、専門のクリエイターさんにお任せすることも演出家の仕事だと気付けました。“団体芸”で舞台を作り上げることを学びましたね。

──その後もたびたび「bare」を上演されています。公演を重ねる中で、特に印象的だった出会いはありますか?

「bare」で出会えたキャストやスタッフは多いです。その後自分が舞台を作るにあたって特に欠かせなくなったのは、演出助手の守屋由貴さんと、振付の中村陽子さん。2人とも「bare」初演が初対面で、守屋さんはそれ以来ずっと演出助手をしてくれていますし、今では僕と同じ事務所に所属しています。陽子先生は「bare」で初めてミュージカルの振付をされたそうで、そこから何度もお世話になっています。

──中村さんはミュージカル「デパート!」や「KAKAI歌会」「グッド・イブニング・スクール」など、いくつもの原田さんの演出作で振付を担当されています。

陽子先生とは、2人で飲みに行くくらい仲良しです。でも「bare」で初めてお会いしたときは怖くて……「この台本、どこが面白いと思いますか」って聞かれたんです(笑)。今考えれば、「演出家としてどこを押し出すべきだと思う?」という意味だったんでしょうけど、事務所のスタッフと「怖い、僕あの人と一緒にやれるのかな……」とおびえて帰りました。でも次にお会いしたら、笑いのツボがぴったり合うことがわかって。プロデューサーそっちのけで大盛り上がりし、すっかり仲良くなりました。ご本人にはいまだに、「第一印象、最悪でした!」って言ってますけど!(笑)

──(笑)。これまで多くの作品に関わって来られた原田さんが、俳優として、また演出家として舞台を経験された中で、特に忘れられない光景はありますか?

そうですね……頭の中のアルバムに残っているのは、ガブローシュを演じたときの「レ・ミゼラブル」千秋楽での、「One Day More」で見た景色です。肩車されて行進するとき、その場の誰よりも高い位置から客席を見渡したときの光景は、きっと生涯忘れません。あの経験が、僕が「ミュージカルを続けたい」と思った原点なのだと思います。

──最後に原田さんが目標にしているアーティストや、出演してみたい作品があれば教えてください。

憧れは、三谷幸喜さんの作品です。三谷さんの作る物語は品があって、どこかかわいらしくて、そして伏線回収の鮮やかさが天才的。伏線好きの僕としてはとても憧れますし、いつか出演できたらうれしいです。それに三谷さんの映像作品も、土台に舞台への愛が感じられて好きですね。コロナ禍の影響もあり、今後は面白いエンタテインメントを作るために、配信や上演に新しいスタイルがいろいろ生まれてくると思うのですが、僕はどんな作品に関わるにしても舞台愛を忘れずに向き合っていきたい。舞台で培ってきたものの強さ、舞台出身であることの誇りを持ち続けたいですね。

プロフィール

1982年、埼玉県出身。9歳で劇団若草に入団し、子役としてキャリアをスタート。1994年には「レ・ミゼラブル」でガブローシュ役を演じ、その後も「ベガーズ・オペラ」「ミス・サイゴン」「ラ・カージュ・オ・フォール」などに出演。「レ・ミゼラブル」ではアンジョルラス役、マリウス役も務めた。近年の出演作に「FACTORY GIRLS ~私が描く物語~」「Fly By Night~君がいた」など。「bare -ベア-」「明治座の変 麒麟にの・る」などでは演出も担当し、オレノグラフィティ、小柳心、鯨井康介とのオリジナル舞台制作チーム・PAT Companyの一員としても活動している。現在、東京・東急シアターオーブでミュージカル「マリー・アントワネット」に出演中。3月にライブ「『the Song of Stars』~Live entertainment from Musical~」、7月に「Being at home with Claude ~クロードと一緒に~」が控える。

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