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唯一の「京アニ大賞」受賞作、小説『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』に宿る“言葉の力”

リアルサウンド

19/9/8(日) 12:00

 玲瓏(れいろう)という言葉がある。小説『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』の主人公ヴァイオレットの声を描写する言葉として繰り返し登場する。意味は「玉などが透き通るように美しいさま。また、音声の澄んで響くさま」(デジタル大辞泉より)。

参考:“世界を肯定する力”をくれる京都アニメーション その卓越した技術が伝えてきたもの

 本書の主人公を描写するのにふさわしい単語だ。その声は透き通るほどに美しい。しかし、透き通るということは裏返せば色がないということでもあるかもしれない。それは無垢とも言えるし、何も知らないとも言える。

 暁佳奈の『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』は、手紙の代筆業に就く少女の活躍を通して、言葉が人々の心を再生させてゆき、主人公が人の心と言葉の複雑さを知ってゆく模様を短編集のように綴った作品だ。これまでに全3巻(上巻・下巻・外伝)が刊行されている。どこかの島の孤児であり、だれかの命令を聞くしかできない、心を持たぬ「道具」のような存在だったその少女は、戦争に駆り出され「兵器」となり、多くの生命を奪う。唯一心を拓いた相手、ギルベルト少佐の最後の命令「生きろ」を守り、同じくギルベルトが発した「あいしてる」の意味を知るため、自動手記人形と呼ばれる手紙の代筆業に従事し、言葉とともに心の豊かさを身に着けていく。

 アニメーション制作会社、京都アニメーションが主催する「京都アニメーション大賞」全10回の中で唯一の大賞受賞作であり、2018年には同スタジオによってTVアニメ化された。その映像美と瑞々しい物語は大きな感動を呼び、2019年9月6日から『ヴァイオレット・エヴァーガーデン 外伝 - 永遠と自動手記人形 -』が劇場公開、さらに2020年以降に『劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデン』の公開が予定されている。言葉が軽々しく氾濫する現代社会に対して、言葉の大切を切々と伝え、深く心に染み込んでくる作品だ。

■「自動手記人形」という人の心のエキスパート

 上述したが、本書は、京都アニメーション大賞唯一の受賞作である。毎年開催され、10回もの歴史を重ねながら、大賞受賞作が1本のみというのは異例のことだろう。どれだけ厳しい審査基準なのかわからないが、京都アニメーションの公式サイトによると、大賞受賞作品は必ずアニメ化するのだという。少なくとも、応募段階で確実にアニメ化したいと思わせるほどの作品ではなければーーそれも日本最高のアニメスタジオである京都アニメーションの基準でーー大賞受賞はできないのだろう。

 そんな本書を最も特徴づけているのは、手紙の代筆を請け負う自動手記人形というユニークな職業のあり方だろう。人の心に寄り添い、想いを汲み取り、美しい手紙をしたためる。作品世界のモデルと思われる20世紀初頭の欧州の、当時の職業婦人の花形だったタイピストのように、タイプライターを主な仕事道具とし、ただの記録ではなく、人の心の機微をすくい取る技量を求められる。自動手記人形は、文字通りの手紙の代筆ではない、本人も気づかない心の深奥を探り当て、差出人と送り先の心を結ぶ言葉を綴る能力が必要なのだ。

 ヴァイオレットの同僚、カトレアの仕事風景を著者はこんな風に描写する。

 音楽には始まりと終わりがある。印象的に、もしくは優しく朗らかに、奏でる曲によってそれは違うが始まりから中盤までどんどん盛り上げていく。タイプライターの音はピアノ。万年筆の音はヴァイオリン。そして最後はシンバルの音が鳴って終わるのだ。

「・・・・・・どう?」

 出来上がった手紙は、生き物になっている。言葉一音一音が踊りだす、インクの匂いに人の息吹を感じる。手紙が物語になる。(外伝 P207)

 手紙は生き物であることが重要だ。差出人の物語、つまり人生の息吹が宿るように生き生きと感じられるものでなくてはならない。自動手記人形とは言葉で人の人生を伝える「心のエキスパート」なのだ。

■非リアルな少女のリアルな葛藤

 物語は、代筆業を依頼したある小説家の元に、ヴァイオレットが派遣されるところから始まる。TVアニメを観た方ならご存知だろうが、小説版とTVアニメ版は構成が異なる。時系列に沿ってヴァイオレットが自動手記人形となる前から始まり、彼女の成長にスポットを当てているアニメ版に対し、小説版は依頼者と同じ目線で、美しい代筆屋の少女との邂逅を読者に体験させるように始まる。各話短編集のような構成で綴られた本書は、毎回異なる依頼者とヴァイオレットの出会いが描かれるが、毎度ファーストコンタクトの折、ヴァイオレットの外見の美しさを丹念に描写する。

 物語から飛び出てきたような美しさの金髪碧眼の女は、愛想笑いを浮かべることもなく玲瓏な声で言った。

 ヴァイオレット・エヴァーガーデンという女はまさに人形の如く美しく静な佇まいをしていた。金糸の睫毛に覆われた青い瞳は海の底の輝き、乳白色の肌に浮かぶ桜色の頬、艶やかにルージュがひかれた唇。

 どこをとっても欠けることのない、満月のような美を持つ女。

 瞬きさえしなければ、ただの鑑賞物になるだろう。(上巻 P17)

 依頼者の小説家オスカーはあまりの完成されたヴァイオレットの美しさに、ヴァイオレットのことをアンドロイドだと信じ込んでいた。読者にも途中まで彼女が人間であるのか、人形であるのか明かさずに物語を展開してゆく。本書がKAエスマ文庫という、半ばライトノベルに近い体裁のレーベルから出版されていることもあり、20世紀初頭の欧州を思わせる世界観で架空のオーバーテクノロジーを描いた作品なのかと思わせる始まり方をする。

 ヴァイオレットの第一印象はどの依頼者もおしなべて「美しすぎてリアリティがない」というものだ。そんな精巧な人形のような彼女が、依頼者の心に寄り添い、悩み、考え、美しい言葉を紡いでゆく。そのやり取りを通じて、リアリティのない、透き通った透明のような存在に思われた彼女の輪郭が立ち昇ってくる。人の心をどうすれば深く知ることができるのか、喪失をどのように埋め合わせたらよいのかと葛藤する生身の人間でることが読み進めるほどにわかるのだ。本書は、ライトノベル的非リアルと人間の本質のリアルにせまる文学のせめぎあいの緊張感の中に存在し、その立ち位置ならではの独特の読後感がある。

■届かなくていい手紙なんてない

 本書は、美しさを単純に称揚すべきものとは扱わない。しばしば、それは残酷さと併存して語られ、時には残酷さを覆い隠すものとして描かれる。戦争で多くの人を手に掛けた「兵器」である少女が美しい手紙を書くという設定自体にも潜むその両立は、本書の至るところで顔を出す。小説家の愛娘が死んだ日に「とても天気が良かった」りする。世界は個人の死を悼むことなく美しく朗らかであるという、残酷な自然の摂理。

 自然の摂理といえば、雪の描写には目を見張るものがある。アニメ化されていないエピソード「囚人と自動手記人形」の冒頭、死体の山に雪が降り積もるシーン。

 とある戦場ではひとりの少女が空を見つめていた。

 ゆっくりと落ちながら浮遊する白く冷たい物質について、少女は傍らにいた主に尋ねた。

 これはなんですか、と。

「雪だ、ヴァイオレット」

 主は硝煙の香りが染み込み煤けた手袋を脱ぎ、彼女の目前に手を開く。ひとひらの雪が舞い降りてすぐに溶けた。その光景の摩訶不思議さに少女の唇から吐息が漏れた。主の手に降りそそいでは溶けていくその物質の名を初めて口にしてみる。

「ゆき」

 言葉を覚えたての幼児にも似た発言をする。

「そうだ、雪だ」

「ゆきは・・・・・・とけるものと、とけないものがありますか?」

 少女はまだ握ったままだった武器で地面に転がる死体を示した。物言わぬ躯には既に粉砂糖をまぶすが如く雪が降り積もっている。(上巻 P192)

 汚れない純白の雪は、ぬくもりある生者の肌には積もらないが、体温を失った死体には積もり、美しい雪化粧を作り出す。その様を見たヴァイオレットは、「雪は積もると他の色を消してしまうのですね」と言い放つ。美しい純白の雪が、戦場の惨劇を覆い尽くしてゆく。死体を覆い隠す純白の雪は、美しさの裏に消せない過去を持つヴァイオレットのことでもあるかもしれない。

 雪にまつわる死のイメージは、転じて、届けられない手紙の束にそのイメージを重ねる。ギルベルトに向けてヴァイオレットが書いた、出す宛てのない手紙の山をこのように著者は描写する。

部屋を訪ねたホッジンズが見たのは床に散らばる手紙の中で座り込んでいるヴァイオレットだった。その数は一通や二通ではない。数十通の手紙が死体の如く静に積み重なっている。死んだ思いが、まるでしんしんと降り続ける雪のように溶けることなく、ただ存在しているのだ。(下巻 P88)

 後に自動手記人形となるヴァイオレットは、依頼者に「届かなくていい手紙なんてない」と自らに言い聞かせるように言う。病で死にゆく母が幼い娘に手紙を残し、息を引き取る寸前の若い青年兵が最後の力を振りしぼって愛する者への手紙を綴るのをヴァイオレットは手助けする。肉体が滅んだとしても、想いが手紙として届けられるなら、その想いだけは生き続ける。せめて、想いは死なせたくない、だから「届かなくていい手紙なんてない」とヴァイオレットは言う。

 失われた者は決して戻ることはない。それでもその想いが、その言葉が、残された人々に前を向かせてくれる。それが言葉の力なのだ。「あいしてる」という言葉が、どれだけ人の生きる糧となれるのか、「うつくしい」という言葉が本当はどれだけ美しいのか、本書を読んで筆者は知った。インターネットの言葉の洪水に飲まれそうになった時、筆者はもう一度本書を手に取るだろう、言葉の力を思い出すために。(杉本穂高)

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