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菊地成孔の『天才作家の妻 40年目の真実』評:よく言うよね<愛すべき佳作><小品だが良品>でも、今時そんなモンあるのか?この作品以外で

リアルサウンド

19/2/23(土) 12:00

■もう、絵に描いたような「愛すべき小品」

 この、昨今ではとんと見なくなった、絵に描いたような<愛すべき佳作><小品だが良品>である本作は、先月末から公開されているし、先日、仕事で北京往復のJAL機に乗ったのだが、既に機積されていたので、たった今評を出すのは、若干遅きに失した感は拭えないのだが、とにかく、まだ公開中である劇場を見つけたらぜひ足を運んで頂きたいし、海外旅行や出張で、機内鑑賞の機会がある方は、迷わず本作を選んで頂きたい(『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:リミックス』とかにしたい気持ちは抑えて頂いて)。あなたの行く先が、如何なる国で、如何なる要件であろうと、その旅は、幾分、ハートフルな温かみが加味される事になるだろう。筆者と本作は、あなたの期待を絶対に裏切らない。

■「ノーベル賞受賞者映画」として(へー、こんな風なのね)

 「ノーベル賞受賞者」が、どう言う過程を経て受賞を知り、その後、どう言う過程を経て授賞式に赴き、授賞式の会場内はどんな景観で、出されるディナーはどんなもので、、、、といったほとんどを、結構な頻度でノーベル賞受賞者を出す我が国の国民である我々は、テレビのニュース番組などによって、既に知っている。例のあの、悪くもない雰囲気を、本作はきちんと抑えた上で、さらに深い詳細ーー1人の受賞者につき、通訳や滞在期間中の従者がどのぐらい付くのか、報道カメラマンの存在、充てがわれるホテル、授賞式のリハーサル、授賞式中の式典テーブルでの、スエーデン皇室の人々や、全く多ジャンルの受賞者との会話、等々ーーを、劇映画のリージョンの中で、過不足なく捉え、描いている。

 思い返せば、「あっても良さそうだが、意外となかったジャンル」である。恐らくドキュメンタリー・フィルムでも無かったのではないか? テレビの報道カメラによって既知のものを、劇映画で初めて追体験する感覚は、端的に懐かしいし、心地よい。劇映画というメディアが持つ、古い人工性の癒しを、本作は101分間、惜しげも無く満たし続ける。それはまるで、北欧の強烈な酒の香りが、暖炉のある広いバーラウンジに立ち込めているようでもあり、我々がサウナ風呂と呼ぶ、北欧式蒸し風呂に満たされている湯気のようでもある

 「新・北欧映画」としての、例えば『フレンチアルプスで起きたこと』『ザ・スクエア 思いやりの聖域』『THE GUILTY ギルティ』のような、現代北欧のリアル、を描く作品群が一律持っている、ある種の奇妙な悲惨さや荒廃、といった感覚が全くなく、夫婦愛を描いたヒューマン(コメディ=相当笑わせるんで)ドラマとして、寒い国だけに、暖かい、暖炉の前でくつろいでいるような通奏感は、おそらくサンタクロースまで繋がっている。これは、変形したクリスマス映画であると言っても良い。

■しかし、ゴリゴリの「ハリウッド映画」ではない

 資本はイギリス、スエーデン、アメリカの合作制、監督のビョルン・ルンゲ(57歳)は、案の定、監督業の他にも小説を出版したり、有名な国立劇場スエーデンシアターで舞台の演出などもしている、文芸の総合派である。脚本のジェーン・アンダーソンはアメリカ人の壮年女性、原作者メグ・ウリッツアーも壮年の女性ニューヨーカー、物語は、一歩間違えばハードコアなフェミニズム映画にでもなってしまいそうな危険な橋を、避けるでも逃げるでもなく、ギリギリで上手く渡り切る。一方、美術系とも言えるプロダクションデザインン、衣装、音楽は共に英国人。

 その結果、前述の通り、ハートフルかつ、安易な夢物語ではない、苦味もしっかり込めた、しかしながら「夫婦愛を描いたヒューマン(コメディ=相当笑わせるんで)ドラマ」の範囲にきっちり収めている。50年代までのハリウッドにはお家芸だったこの路線も、今やハリウッド単独では無理になってしまった。しかし、こうした方法があるのか、と、軽く目から鱗が落ちる作品でもある。

■肝心要のストーリーは

 もう、脚本の巧みさ(これ見よがしのスキルフルではなく、もう安定の軽い素材を、手を抜かずにしっかり調理して、ホスピタリティ満点である)に、安心して乗っかり、誘導されるがままに、笑ったり、ドキドキしたり、考えさせられたりしていると、最後のオチが来る。ここのショックとその直後の感動を生じさせるさじ加減は抜群で、とにかく品が良くて良くて感心してしまう。

 オチ以外は、全部書いてしまっても良いぐらいだ。何せ、宣伝媒体である、小さなフライヤーから、公式サイトまで、ほとんど、オチ直前までの、物語設定が全部書いてある(笑)。私感では、もっと伏せても良かったのではないかと思うほどだが、まあ、事前に知っていても鑑賞の妨げにはならない。

 地味ながら実直に執筆活動を続けていた夫に、ある日、ノーベル文学賞受賞の知らせが入る、ベッドの上で手を繋いで飛び跳ねる老夫婦、しかし、夫の作品は、少なくとも夫が単独で執筆してはいない。どうやら妻が関与している。

■「手柄の取り合い、と言うバディもの」として

 こんなによく出来た作品はない。静かだが凄まじいサスペンスは開始直後から一点に集中する。それは「果たして、妻はどのぐらいの割合で、夫の小説に関与していたか?」である。極左では、妻は完全なるゴーストライターで、夫は1文字も書いていない、極右では、妻はちょっとしたアイデアをキッチンやベッドからアシストしただけ、しかしそれが作品のコアとなる、と言った具合である。

 昨今は、1曲の良くできたポップチューンのクレジットが、作詞、作曲、編曲、アイデア提供、共作者、等々、10名にも及ぶことがある。「芸術とは、作家たる芸術家個人が、たった一人で書いている(描いている)」と云うロマン派的な幻想は、文字通り、音楽におけるロマン派が勃興する19世紀に肥大し、20世紀までなだれ込んだ幻想で、中世の宗教画や建築を、ベラスケスやダ・ヴィンチ、ブラマンテやミケランジェロ等が、たった一人で作り上げた、と思っている人々さえ、20世紀には存在した筈だ。

 単に物量的なスペクタキュラがある建築や大絵画、あるいは2時間に及ぶ交響楽やオペラでなくとも、やろうと思えば一人だけで創出することが十分可能である小絵画、小説、俳句や詩、軽いポップソングですら、バディの存在がビハインドされている可能性は常にある。まだ誰もが、佐村河内事件をご記憶の筈だ、あの事件が示唆するものの大きさは、アンフェアだと思うと、取り囲んで徹底的に責め潰すことしかできない、才能のないいじめられっ子の集団であるネット社会の幼稚さに押さえ込まれてしまい、芸術論としての大きな問題提起のチャンスを潰してしまった。

 本稿を筆者は紛れもなく一人で書いていることを神に誓うことはできる。しかし他回によっては、共に鑑賞した者の感想や発見から大きなインスパイアを受けたり、場合によってはそのまま原稿に含ませてしまう場合も、例外的ではあるが、無くはない。その場合、市井の民間人であり、文筆業者でも無い知人の名を、ある種の倫理的誠実さによってクレジットすべきだろうか?

■「受賞スピーチのクリシェ(決まり文句)である」

 「この受賞は、私一人のものでは無い(その後、多くは家族の名を呼び、感動を誘う)」と云う、アレを、受賞スピーチ界の北の極点であるノーベル賞を描いて、根本から現代の問題として揺さぶってみせる物語は、やりようによっては、前述の「夫婦という階級制度」とのコンフリクトも含め、主にフェミニズムの問題として、どこまでもシリアスに、どこまでもエグく描くことが可能だろう。しかし、作品はそうならない。ゴシップ記者すれすれの伝記作家を演じるクリスチャン・スレーターの見事なサポートも含め、物語は、社会性への漏洩を許さず、夫婦愛が発する笑いと涙、危機とその回避、安楽と許し、と云った世界から一歩も出ないまま、小さなどんでん返しを繰り返して、紛うかたなき、苦いハッピーエンドを迎える。

■グレン・クローズにスタンディングオベーションを

 『ガープの世界(82)』も、『危険な情事(878)』も、共にフェミニズムの映画である。厳密に言えば、かなりツイストしたフェミニズム映画で、前者は極めて難解かつ宗教的な女難喜劇であり、後者は、かなり悪どいリビドーに直結される、エロティック・サイコ・サスペンスだったが、根底にフェミニズムの問題が通奏されているという点では、何と本作とも同様である。

 「とうとう誰それがオスカーを獲る」というトピックは非常にポップだ。「絶対に、死んでも、こんな女とセックスしたいとは思わない」「と、男たちに言わせない」という、恐ろしい狂女の性的魅力を、自分以外の誰ができるのかと云った、あらゆる適性で演じきった『危険な情事』から30年後の彼女の円熟は、気骨さえ感じる本当に素晴らしいもので、個人的に筆者は、彼女がこれで初戴冠することを強く希望している。

 72歳の女性としての、あらゆるリージョンを完璧に演じ、しかも激昂するようなお安い名演技は全く行われない。名優、ジョナサン・プライス演じる、男根が黄金だった時代を生きてしまった男の弱さと狡さと哀れを、楽勝でパッキングした、しかし誠実な善人である夫はスピーチで言ってしまう、前述のクリシェを。「この賞は妻と共にある。妻がいなかったら書ききれなかった。世界一愛する、最も大切な妻を紹介します」この、すべてのフェミニストが対峙しなければいけない、全時代的で悲しく美しい偽善と抑圧。その瞬間にグレン・クローズの堪忍袋の尾がとうとう切れる。

 ここでの演技は、全女性が必見、全夫婦、特に老夫婦に特別割引券を、と言うのは容易すすぎるだろう。SNSや周辺通信テクノロジーの完全な定着によって、ほとんどの脆弱な孤独が一掃されてしまった世界で、我々は、神経症的に肥大した孤独感に苛まれながら、何かをクリエイトし、表現し、発信し続けている。そんな我々が「自分は一人ではない」と言うとき、それは、ファンタジックなまでのヒューマニズムに立脚していることが多い、しかし、夕食のカレー1杯でも、共作している夫婦は多い筈だ。あなたの言葉は、様々な他者の言葉の集積かもしれない。ジョナサン・プライスの偽善と、グレン・クローズの抑圧と葛藤、そこからの暴発は、我々現代人が誰しも抱いている構造的なもので、社会性とすら絶対関係ではない。人類学的な根底なのである。そして、この構造的な軋轢から我々を救うのは、結局、愛と死しかない。本作が<愛すべき小品>であること、その小ささこそが我々を暖める。(文=菊地成孔)

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