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樋口尚文 銀幕の個性派たち

岩本多代、清潔な笑顔に秘めし憂愁

毎月連載

第60回

写真提供 オフィスピー・エス・シー

個性派俳優というと、ぎらぎらと押しが強い感じがしてしまうが、やんわりとした印象でずっと優しく静かに忘れがたい雰囲気を放ってきたひともいる。八月に急逝した岩本多代は、そういう女優の典型だったという気がする。

1940年3月に和歌山県の西牟婁郡田辺町、いまの田辺市で生まれた岩本多代は、大阪の高校を出た後、1959年に上京、俳優座養成所の11期生となる。俳優座と言えば“花の15期”が有名で栗原小巻、原田芳雄、林隆三、太地喜和子(留年して16期になってしまうが)、夏八木勲、地井武男、浜畑賢吉らきら星のごとき才能が集まったが、それに先立つ11期には勝呂誉や工藤堅太郎らが在籍していた。

俳優座養成所を卒業した後、岩本は1962年に劇団新人会に入る。劇団新人会は1954年に俳優座養成所2期生・3期生を中心結成した俳優座スタジオ劇団であった。立ち上げ公演はサルトルの『墓場なき死者』で、以後は千田是也、石井ふく子らを演出に招き、田中千禾夫、福田善之らの戯曲をとりあげた。主な上演作に『オッペケペ』『初蕾』『石棺』『紙屋悦子の青春』などがある(その後、渡辺美佐子ら主要メンバー脱退による解散、長山藍子、山本學らによる再結成などを経て劇団新人会は浮沈の激しい道のりをたどった)。

岩本はその1963年初演の福田善之作『オッペケペ』や1964年初演の田中千禾夫作『さすらい ―紙芝居のアルファ場』などの作品で好演し、一躍劇団新人会のホープとなる。その一方で1962年9月公開の野村孝監督、吉永小百合・浜田光夫主演の日活『あすの花嫁』で映画にもデビューを果たし、吉永の友人役に扮した。これは世をはかなんで自殺を試みる薄幸な役だったが、続いて翌1963年1月公開の松本清張原作、井上和男監督の松竹『無宿人別帳』では暗澹たる物語のなか、唯一の爽やかな希望たる無宿人差配役の娘に扮した。

『無宿人別帳』のラストシーンは、どす黒い思惑に翻弄される無宿人たちの悲惨な世界を抜け出すべく、津川雅彦扮する若者とともに本土へ向かって舟を漕ぐ岩本の姿で終わる。クレジットにはこの時だけ「岩本美代(新人)」とあったが(おみよという役名にちなんだか)、以後その芸名は使われなかったはずだ。この後、中村登監督の松竹『紀ノ川』などにも出演したが、映画興行の最盛期を過ぎてからこの世界に入った岩本は、むしろテレビドラマへの出演が多かった。

ドラマのデビュー作は1961年のフジテレビ『絶唱』の主演で、早川保とともにあの大江賢次原作の清楚なヒロインをつとめ、1963年の曾野綾子原作のNHKドラマ『青春の構図』では快活な女子大生のヒロインとして主演した。1976年の映画版『青春の構図』ではこの役は清純派アイドルの筆頭だった岡田奈々が演じたが、岩本といえばやはりそういうラインの清潔な美人女優というイメージが思い浮かぶだろう。1965年のTBS『結婚について』第3話『祝婚』は「走れメロス」に材をとった異色の社会派時代劇だが、この時は石原裕次郎(これが初のテレビ時代劇)の相手役として麗しいヒロインに扮した。

こんな岩本には年齢を重ねても当たり障りのないソフトな母親役、おばあちゃん役が順調に回ってきた。そういう作品はあまたあるのでどれかに絞るのは難しいのだが、1975年の山根成之監督の松竹映画『おれの行く道』でのはっちゃけた大学生の西城秀樹の母親役などは記憶に残る。遺作となったのもなんと今夏のTBSの人気ドラマ『私の家政夫ナギサさん』の主役・鴫野ナギサ(大森南朋)のお母さん役であった。誠実で悩み多きナギサを快活に見守り励ますこの役をもって、岩本はまさに自分に期待されるイメージを最後までつとめあげた感ありだった。

テレビ映画『怪奇大作戦』「壁ぬけ男」より Ⓒ円谷プロ

さて、こういうドメスティックな役柄を以て幾多の作品で脇を締めることも立派な個性派だと思うのだが、実は私にしつこくとりついている某ドラマの岩本のイメージは、いつになくひたすら暗いものだ。それは1968年放映のTBS=円谷プロの異色シリーズ『怪奇大作戦』第一話「壁ぬけ男」の終盤に登場する、犯罪をおかした天才奇術師の妻の役で、和服姿の美貌いつにも増して妖しく麗しく、背景を語る台詞とてわずかなのに、夫の妄執に付き合って疲れ果て、しかしそれを受け入れるのは自分しかないというこの妻のありようを言わず語らずして強烈に伝える演技だった。

この番組はタテマエとしては日曜夜7時のゴールデンタイムに流れる子ども向け特撮番組であったが、ここでの岩本のやや気のふれた感もあるウェットな美しさは到底そんなおさまりを揺れ出ており、いま見直してもその取り組みの気合には恐れ入る。大人のこうした万事手を抜かない仕事は、子どもたちの心に半永久的に刻みこまれるものだ。そして、いつもブラウン管におさまりよく柔和さを発揮していた岩本の、この秘められし昭和の憂鬱をたたえた横顔とは、二度と遭遇することはなかった。いつも例外なく、岩本は昭和の理想のお母さんとして屈託なく笑っていたが、あの「壁ぬけ男」の憂愁に沈む表情こそが岩本の「正体」ではなかったか。

まだわずか2年前のことだが、岩本と同じ事務所の先輩・水野久美が毎日映画コンクールの田中絹代賞を受賞するという快挙があった。もったいなくもその祝賀の宴席に招かれた私のすぐ目の前にいたのが岩本多代で、私は田中絹代賞に事寄せてくだんの『おれの行く道』(晩年の田中絹代も主演だった)の話をしていたら、岩本は実によく撮影時のことを覚えていた。それで調子づいて、私にとりついている「壁ぬけ男」の岩本多代の偏愛的記憶について遠慮がちに告白したら大いに驚き、また喜ばれた。生前の岩本にそんなまさかの献辞を捧げられたのは幸運だった。

新型コロナと猛暑が重なったこの夏、ひとりで暮らしていた岩本は心疾患で亡くなり、発見されたのはおよそ二日後だったという。だが、最後まで『私の家政夫ナギサさん』のような人気ドラマではまり役を演って現役のまま逝くというのは、女優としてはひじょうに恵まれた人生だったと言えるだろう。今はふるさとの和歌山に眠る。

プロフィール

樋口 尚文(ひぐち・なおふみ)

1962年生まれ。映画評論家/映画監督。著書に『大島渚のすべて』『黒澤明の映画術』『実相寺昭雄 才気の伽藍』『グッドモーニング、ゴジラ 監督本多猪四郎と撮影所の時代』『「砂の器」と「日本沈没」70年代日本の超大作映画』『ロマンポルノと実録やくざ映画』『「昭和」の子役 もうひとつの日本映画史』『有馬稲子 わが愛と残酷の映画史』『映画のキャッチコピー学』ほか。監督作に『インターミッション』『葬式の名人』。新著は『秋吉久美子 調書』。

『葬式の名人』

『葬式の名人』
2019年9月20日公開 配給:ティ・ジョイ
監督:樋口尚文 原作:川端康成
脚本:大野裕之
出演:前田敦子/高良健吾/白洲迅/尾上寛之/中西美帆/奥野瑛太/佐藤都輝子/樋井明日香/中江有里/大島葉子/佐伯日菜子/阿比留照太/桂雀々/堀内正美/和泉ちぬ/福本清三/中島貞夫/栗塚旭/有馬稲子

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