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THE BACK HORN 山田将司が語る、困難を乗り越え前へ進む意志 「作品を通して自分を認めることがすごく大事」

リアルサウンド

20/7/14(火) 12:00

 THE BACK HORNが配信シングル「瑠璃色のキャンバス」をリリースした。ボーカリスト・山田将司の作詞・作曲によるこの曲は、〈魂の歌を歌おう 僕らの場所で〉というフレーズを軸にしたナンバー。現在の社会情勢、バンドの状況を踏まえたうえで、それでも前を向いて進んでいくという決意、そして、バンドを支えるオーディエンスへの真摯な思いが一つになったマイルストーン的な楽曲だ。

 2019年の秋、声帯ポリープ切除手術・治療のために、開催中であったツアーの延期やイベント出演のキャンセルを余儀なくされたTHE BACK HORN。数年前から喉の不調を抱え、「もう以前のようには歌えないかもしれない」という不安とも戦ってきた山田は、コロナ禍のなかで改めて音楽と向き合い、自分を支えてくれた人たちに対する感謝をさらに強めたという。「瑠璃色のキャンバス」はTHE BACK HORNにとってはもちろん、ボーカリスト・山田将司にとっても、極めて大きな意味を持つ楽曲と言えるだろう。この曲に至る経緯、現在のバンドの状況について、彼自身の言葉で語ってもらった。(森朋之)

「辞めるのは簡単だけど、自分はまだ何もできていない」

ーーまずは去年の秋以降のことについて聞かせてください。アルバム『カルペ・ディエム』を伴った全国ツアー『THE BACK HORN『KYO-MEIワンマンツアー』カルペ・ディエム~今を掴め~』は、山田さんの喉の不調により延期に。山田さんの性格上、自分から「ツアーを延期したい」とは言えなかったんじゃないかと思うんですが。

山田将司(以下、山田):言えなかったですね。言えなかったから、こうなったんだと思います。

(関連:THE BACK HORN『カルぺ・ディエム』評 4人のクリエイティビティが一層結合した新境地

ーー数年前からかなり無理をしていたそうですね。

山田:数年前というか、それこそ20年前から“無理してナンボ”みたいなところはあって。ステージ上の熱量も、自分のなかで一線を越えないと満足できない、納得できなかったんですよ。ハードなスケジュールになればなるほど、当然、身体への負担は増すし、それが年齢とともにのしかかってきていて。ずっと「自分が頑張ればどうにかなる」と思っていたし、ボイストレーナーやスポーツトレーナーのところにも通って、もちろん病院の先生ともタッグを組んだんですけど、去年のツアーの最中に完全に声が出なくなってしまいました。

ーー当然、落ち込みますよね。

山田:もちろん。ただ、ライブでまったく声が出なくなったのは、初めてではなくて。そのたびに病院で処方してもらって、何とかツアーを続けてきたんですよ。

ーー喉に負担をかける歌い方がクセになっていた?

山田:それは絶対ありますね。ここ数年は、叫び声も思うように出せなくなっていて……。自分を追い込まないと叫べないですからね、本来。そういうスタイルを変えることができなかったんですよね。やろうと思えばできたのかもしれないけど、自分が何を信じてるかと言えば、やっぱり全身全霊で届けることで。10代の頃からそういう想いが自分の軸になっていたというか。

ーーファンもそれを求めているだろうし……。

山田:それもわかってたんですよね。ヒリヒリしたライブの方が絶対に刺さるし、余裕のあるライブなんて、誰もTHE BACK HORNに求めてないと思うんですよ。そのままギリギリの状態で続けてきて……。

ーー今年の初めにポリープの手術を受けて、休養に入って。その時期はどんな気持ちだったんですか?

山田:声を出さないこともストレスだし、今後のことを考えると「もう1回ステージに立てるんだろうか?」という不安がどうしてもあって。二度とあの頃のように歌えないかもしれないとも思ったし、精神的に自分を保つのはけっこうギリギリでしたね。

ーーその状態でメンタルをキープできたのは、どうしてだと思いますか?

山田:そうですね……。自分の喉のこともあったし、その直後にコロナの問題があって、バンド自体の活動ができなくなって。その期間にふと冷静になって、今までどういうふうに自分が存在していたのかを客観的に考えたんです。メンバーやスタッフ、周りの人たちに支えてもらっていることを改めて感じたし、感謝の気持ちも自ずと強くなって。声が出なくなったときのライブのことも思い出してました。あのときのお客さんの顔だったり、会場の雰囲気だったり……。辞めるのは簡単かもしれないけど、絶対に恩返ししたかったし、「自分はまだ何もできていない。ここからが新しいスタートだ」と思えたんですよね。

ーーオーディエンスとの精神的なつながりが強いバンドですからね。

山田:そうですね、ありがたいことに。親子連れで来てくれる人も多いし。3世代で来てくれる人もいたんですよ。60代、30代、10代で。

ーーすごい(笑)。20年続けると、そうなってきますよね。

山田:すごいですよね。あと、先輩のバンドや仲間も頻繁に連絡をくれたんですよ。怒髪天の増子(直純)さんが「THE BACK HORNは戦友だと思ってる。また一緒にライブやるぞ」ってメールをくれたり。ありがたかったですね。

「俺たちは大丈夫だ」という気持ちを共有したかった

ーーちなみに自粛期間中は、音楽は聴いてました?

山田:手術の直後は全然聴く気がしなかったんですけど、3月に引っ越してから、少しずつ変わってきて。作業中にラジオを聴くところから始めて、CDの整理をしてるとき、ちょっと聴いてみたり。環境を変えたのは大きいですね。前の部屋は、初めて武道館をやった2008年から12年くらい住んでたんですよ。日当たりが良くなくて、それが自分には合ってなかったみたいで。

ーー午前中に日光を浴びるのは、大事ですからね。

山田:ホントに。それで睡眠の質も変わるし。食べ物もそうですよね。どんなものを身体に入れたらいいか、いろいろ調べるようになって。知識が増えすぎるのもよくないけど、自分の状態によって食べるのものを選ぶことはできますからね。……今日はカッコいいインタビューにならないですよ(笑)。

ーー(笑)。でも、音楽を長く続けるためには、精神的にも肉体的にも健康でいることは大事じゃないですか。

山田:何を大切にするか、ということですからね。生活のリズムを作ることもそうだし、この期間は「自分の人生にとって、何が大事か」ということが浮き彫りになった気がするんですよ。酒も全然飲んでないですからね。もう半年以上飲んでない。

ーーそれよりも体調を整えて、喉を治すことが優先だと。

山田:それも覚悟の形というか。昔は“変わる=流される”と思っていたところもあるんですけど、自分の意思で変わるのは成長だし、カッコいいことだと思えるようになったので。

ーーなるほど。もしコロナ禍がなければ、いつから復帰する予定だったんですか?

山田:4月末のARABAKI(『ARABAKI ROCK FEST.20』)ですね。その後の「荒吐20th SPECIAL -鰰の叫ぶ声-」東京編まで9mm Parabellum Bulletと一緒にやるはずだったんですけど、延期になって。5月に予定していたツアーも延期で、まったくライブができなくなって。バンドマンだけじゃなくて、ライブに関わっている人たち、ライターさんもそうだと思うんですけど、生活の真ん中にあったものがいきなりなくなったというか。俺自身は「この状況をいい方向に捉えて、リハビリに専念しよう」と思いましたけど、やっぱり「バンドマンとして何ができるだろう?」というのは考えましたね。

ーーメンバーとは連絡を取ってたんですか?

山田:チャットやZoomで仕事の予定を共有してました。そのなかで自然と「曲を作ろうか」という話も出てきて。

ーーでは、新曲「瑠璃色のキャンバス」について聞かせてください。コロナ禍による自粛期間も曲は作っていたんですか?

山田:作ってましたね。家でピアノを弾いて、メロディをボイスメモに残して。「瑠璃色のキャンバス」もそのなかにあるメロディから作りました。緊急事態宣言の最中ですね。そのときの気持ちとしては、THE BACK HORNの曲を作るという意識も少しだけあったんですけど、それよりも自分のためというか、何かを作っていないと止まってしまう気がしたんですよ。その後、メンバーと「リスナーの心に寄り添えるような曲を作りたいな」という話になって、この曲のデモを送ったら、「おー、いいね」みたいになって。メンバーもそれぞれ不安を抱えていただろうし、俺も迷惑をかけたから、自分で突破口を開きたいという気持ちもあったんですよね。

ーーまさにこの時期だから生まれた曲ですよね。特に〈魂の歌を歌おう 僕らの場所で〉というフレーズはすごいなと。

山田:歌詞に着手して、最初に出てきたフレーズがそれなんです。そこに向かって曲を作っていったというか。ライブができなくなって、生きていくための糧を奪われた感じがあって。俺たち演者だけじゃなくて、ライブが生きがいだという人もいっぱいいると思うんです。そういう人たちに向けて、「また必ず、あの場所で会おう」と歌いたかったし、「俺たちは大丈夫だ」という気持ちを共有したかったんですよね。

ーーオーディエンスに対する気持ちと同時に、山田さん自身のことも反映されてますよね。〈続いてく青い春 傷だらけのまま〉もそうだし。

山田:確かに。年齢を重ねるにつれて、メンバーひとりひとり、個人的なレベルで背負っているものも増えてるし、(「瑠璃色のキャンバス」に対する)受け取り方は違うと思っていて。自分のことで言えば、たとえば死に際に人生を振り返ったとして、バンドのことを絶対に振り返ると思うんですよ。そのときに「いい思い出だったな」と思える活動をしていきたし、実際、それができてるんじゃないかなと。

ーーバンドを続けていれば、決して楽しいことばかりではないですが、悔いはないと。

山田:……そうか、「何もかもいい思い出になるよ」という気持ちもあるんでしょうね。今気づきました。

「マイクを通して世の中に発信してきたんだな」と改めて実感した

ーーアレンジ、レコーディングはリモートで行われたそうですね。

山田:ドラムと歌はスタジオで録って、ギター、ベースはそれぞれの自宅で録音して。光舟(岡峰光舟/Ba)は「アレンジの細かいところが気になって、時間がかかった」って言ってましたね。逆に栄純は「自分のタイミングでギター弾いて録れるのが良かった」って。アレンジのイメージや展開は、デモの時点からわりとはっきりしてたんですよ。自分で全部打ち込んで、細かいニュアンスはメンバーに任せて。

ーーサウンド自体も希望に溢れてよね。ダークじゃない。

山田:ダークな方向にはいかなかったし、出そうと思っても出せなかったんですよね。今の自分にはどういう音がグッと来るのかを考えたら、こうなったというか。力強くて、聴いてくれる人に寄り添う優しい部分もあって。

ーーボーカルのレコーディングはどうでした? 休養明け、最初の録音だったと思うのですが。

山田:そうですね。半年以上ライブをやってなかったし、家で歌ってはいたけど、レコーディングのテンションは独特ですからね。歌う前は不安でしたけど、いい形になって良かったです。マイクの前に立つと、「ここを通して世の中に発信してきたんだな」ということを改めて実感しましたね。

ーー『カルペ・ディエム』以降の景色を作りたい、という気持ちもありました?

山田:うーん、あまり考えてなかったかな。それは必然的に付いてくるものというか、特に狙いがあったわけではないので。これまでもそうだったんですよね。メンバーのなかから自然に出てくるものをリアルに表現して、それを続けることで自分たちの道は勝手にできるのかなと。特に「瑠璃色のキャンバス」を作った時期は、先のことを考える余裕は全然なかったので……。〈魂の歌を歌おう 僕らの場所で〉という歌詞が最初にできたということは、それが自分にとって自然な言葉だったんだと思いますね。

ーーなるほど。

山田:今こういう状況になっているのも、THE BACK HORNの事実で。自分が迷惑をかけてる部分もあるけど、そこに対してしっかり向かい合うことで新しい道につながるだろうし、それがバンドのストーリーになっていくのかなと。

ーーバンドの活動も少しずつ始まっていて。まずは『KYO-MEI MOVIE TOUR』。これまでに発表されたライブ映像13作品をYouTubeで公開する企画ですね。

山田:同じ時間にみんなでライブを観るっていう。お客さんに楽しんでもらえることをやりたいという話のなかから出てきた企画なんですけど、予定していたツアーの日程通りに集まるというのがいいのかなと。

ーー一体感がありますよね、確かに。

山田:そうそう。俺もお客さんと同じような気持ちで観れるのかなと思ってたんですけど、そうでもないですね。一生懸命に叫んでる自分を観ると、背筋が伸びるし、いろんなことを思い出すんですよ。「このツアーのときはスーパーで野菜を買って、ホテルの部屋でニンニクを刻んでドレッシングを作ったな」とか(笑)。

ーー(笑)。8月2日には生配信ライブ『「KYO-MEI MOVIE TOUR SPECIAL」-2020-(スタジオ編)』も行われます。

山田:個人的にセットリストを考えている段階ですね。配信ならではのライブにしたいし、楽しんでもらえたらなと。

ーーコロナが落ち着いても、配信ライブというコンテンツは残るという意見もありますね。

山田:そうですね。ただ、自分たちはやっぱり、お客さんと顔を突き合わせて、湿気を感じながらやりたいですけどね。こういう状況になって、「こんなにもライブが生きがいだったんだな」と改めて思って。めちゃくちゃ心を動かされるし、あの独特の緊張感もいいんですよね。メンバー、スタッフを含めて、すごいエネルギーを注ぎ込んで……。シーン全体が小さくならなければいいなと思いますね。

ーー本当ですよね。楽曲のリリース、配信ライブとバンドが動き始めたことで、山田さんのメンタルもかなり変化してるのでは?

山田:だいぶ良いですね。いろんな人と会って喋るだけでも違うし、ちょっとずつ生活が戻ってきた感じもあるので。一番大事なのは作品を作ることだと思います。作品を通して自分を認めることがすごく大事で、そのことによって人も信じられるようになるので。あとは喉と向き合いながら、自分に合った生活を送ることでしょうね。
(森朋之)

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