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タル・ベーラのもとで学んだ小田香監督が語る『サタンタンゴ』の魅力 彼からの影響やその人柄まで

リアルサウンド

20/9/9(水) 17:00

 56歳の若さで映画監督からの引退を表明したハンガリーの巨匠、タル・ベーラが、4年の歳月をかけて完成させた7時間18分の大長編『サタンタンゴ』。日本では昨年ようやく劇場公開が叶った伝説の1作が、今度はいよいよBlu-rayとなって9月9日にリリースされた。

 そこでタル・ベーラに師事した経験を持ち、9月19日から新作『セノーテ』が公開される小田香監督に、彼との想い出、『サタンタンゴ』の魅力を聞いた。(水上賢治)

「自分の中にあった映画の固定観念を覆して、まっさらにしてくれた」

――はじめに、小田監督がタル・ベーラ監督の作品との出会いは?

小田香(以下、小田):一番最初に観たのは、『倫敦から来た男』でした。たしか20歳前後ぐらい、TSUTAYAでDVDを借りてきて、自分の部屋で観たと記憶しています。そのあと、『ヴェルクマイスター・ハーモニー』もDVDを借りて観て、『ニーチェの馬』は公開されたとき、劇場で観ました。

――はじめてタル・ベーラ作品に触れたとき、どんな印象を?

小田:みなさんそうだと思いますが、まず映像といいますか。いままで自分が経験してこなかった映像体験に圧倒されました。これまで自分が観てきた映画とはまったく別の体験でした。たとえば、それまで私にとっての映画体験というのは、テレビで放送されるようなストーリーがしっかり語られて、それについて自分が共感したり、感動したりするものでした。ただ、タル・ベーラ作品はまったく違う。でも、なぜか自分でイメージを掻き立てられて、いろいろなシーンが頭から離れない。特に『ヴェルクマイスター・ハーモニー』のクジラの目のショットとか、目に焼き付く。ある意味、自分の中にあった映画の固定観念を覆して、まっさらにしてくれたというか。自分がそれまでまったく知らないでいた映画があることを、ストーリーを飛び越えて何かが伝わってくる、別次元の体感ができる映画があることを教えてくれたのが、タル・ベーラやペドロ・コスタでした。

――それでタル・ベーラが陣頭指揮するfilm.factory(3年間の映画制作博士課程)で学んでみたいと?

小田:そうですね。自分の中で尊敬する映画作家でしたから、ぜひ彼のもとで学びたいと思ってサラエボにあったfilm.factoryに行くことにしました。

――そこからタル・ベーラのもとで3年間学ぶことになるわけですが、『サタンタンゴ』はいつご覧になったのですか? 伝説の1作としてその存在は知っていたと思うのですが。

小田:そうですね。映画の存在はもちろん知っていましたが、サラエボに行くまでは観るチャンスがありませんでした。初めて観たのは、サラエボに渡った2013年か2014年のこと。タル・ベーラの講義の一環でです。その後、『サタンタンゴ』を観て、タル・ベーラがすべてを解説するという。

――それはそれは、すごい贅沢な講義ですね。死んだはずの男が戻ってくることでハンガリーのある田舎町がざわつき、なにか不穏な空気に包まれていく物語、約150カットで構成された7時間を超える長編を本人がひとつひとつ解説した。

小田:そうです。地元の小さな劇場をお借りして、1日目は『サタンタンゴ』を全編観る。翌日、ひとつひとつ解説して学生たちからの質問にも答えてくれる。ポストイットを貼ってワンシーン、ワンショット、すべて解説してくれたと思います。カメラの位置だとか、構図のこととか細かいことまで丁寧に教えてくれました。この講義を録画していたら、今回のBlu-rayの最高の特典になったでしょうね(笑)。

――その講義で覚えていることはありますか?

小田:やはり猫については虐待シーンを含めて、いくつか質問が出て。猫がミルクを飲んで、朦朧として目を閉じるシーンがありますけど、友人がどうやって撮ったのかを聞いたんですね。それでタル・ベーラは、危害は一切加えていないと。あれは1カ月ぐらい前から少女エシュティケ役のボーク・エリカと同じ部屋に住まわせて、実際の映画と同じような遊びをトレーニングじゃないけど、やって馴れさせたと言っていました。あの目を閉じるシーンも、当時、ベーラが飼っていた猫の面倒をみてくれていた獣医さんを呼んできて、害のない睡眠薬で眠らせただけといっていました。このシーンひとつとっても、これだけ用意周到な準備をしていたんだと驚いたことをよく覚えています。

「どういう風に作ったら、こんな映画になるんだろう」

――肝心の『サタンタンゴ』を初めて観たときの感想は?

小田:終わった直後は、なにも考えられなかったですね。身も心もとけたというか、打ちのめされたというか。7時間を超える映画を観ることは自分にとっては初体験。そういう作品と向き合うことってそうあることではないですから。映画を鑑賞するという自分の行為がさらに更新したというかアップデートされたというか。特別な体験でしたね。ずっと目は覚めていたんですけど、なにか夢と現実の狭間というか、意識と無意識の間というか、どこかをまどろんでいた感覚がありました。目の前の映像の世界に入り込んでいるようでもあり、それとはまったく別の意識の中へも入り込んでいるような、自分でもいまどこにいるのかよくわからなくなる瞬間がある。「どういう風に作ったら、こんな映画になるんだろう」と思いましたね。

――その後は、見直したことはあるんですか?

小田:その後、オンラインで観させていただく機会があって、昨年公開されたとき、劇場でまた観ました。何度観ても、発見があるんですよね。たぶん、次にまた観ても、「こんなショットあったっけ」と思うこときっとある。どのショットもすごくて印象深いんですけど、その中にまた新たな発見がある。一方で、何度観ても変わらないのはボーク・エリカ。『ニーチェの馬』での彼女の演技も見入るところがありますが、『サタンタンゴ』も甲乙つけがたいです。

――そのタル・ベーラならではの映像の魔力はどこから生まれるていると思いますか?

小田:あくまで自分の見解ですけど、キャスティングのすばらしさとロケーションの強さからくるものではいかなと。キャスティングで言えば、プロの俳優ではない人もいる。でも、そういうことはベーラには関係ない。その役の人物をベーラは粘り強く探して見つける。それで、ベーラはその人自身を見抜いているから、その人はその人自身としてそこに立っている感じなんですよね。だから、誰もが無二の存在になっている気がします。このキャスティングはひとつの奇跡といっていいかもしれません。ロケーションもすごい。よくこんな場所を見つけてくるなと思いますよね。『サタンタンゴ』も何年もかかってやっと見つけたと本人が言っていました。いまこれぐらいこだわりをもった監督がどれぐらいいるか。ほとんどいないのではないでしょうか。実際、彼は言っていたんです。映画作りは「前段階が大事だ」と。クランクインの前が大切で、映画学校でも劇映画を撮る人にベーラが立ち会うのは、キャスティング決めとロケーション選びのときだけ。あとは任せていました。そこさえクリアすれば、あとは作り手に誠実さがあればなんとかなる、そう間違った方向に行くことはないと言ってましたね。

――『サタンタンゴ』でとりわけ好きなショットは?

小田:ほぼ全ショット好きなんですけど、まだ未見の方もいるので言えませんけど、ラストは好きですね。ネガティブにもとらえられるんですけど、自分は違うというか。映画学校を設立するにあたって、彼は『人間の尊厳のために学校を作る』と言っていて、ものすごく映画の未来を信じている。そういう彼の前を向く姿勢が出ている気がするんです。わたし自身は『サタンタンゴ』に限らず、タル・ベーラの作品に触れると、自分がしっかりと大地に立つというか。世界を考えるときでも、それこそ日常を送る上でも、自分の底辺が広がる。足場が大きくなって、しっかりといろいろな物事を見れるようになる。あと、もしかしたら、こういう映画があること自体に、ひとりの映画の作り手として安心しているのかもしれません。「いろいろな映画があっていいんだ」と。なにか勇気づけられるところもあるような気がします。

――9月19日から『セノーテ』が劇場公開。それに先駆け、『セノーテ』公開記念として『小田香特集』が開催されています。タル・ベーラの影響を受けた作品はありますか?

小田:短編の『呼応』は影響を受けているというか、ベーラと一緒に作った作品と言っていいです。ボスニアのあるところに行って1週間ぐらい日常を撮った作品で、映画学校で一番最初に創作した作品になります。ベーラとほぼ一緒に編集しました。彼が監修してくれた作品と言っていいです。半ばに、お葬式のショットがあるんですけど、もともとの長さは10分ぐらいあったんです。でも、ベーラに『長い』と言われて、観ている人がわからないように中を抜いて、6~7分になっているんですよ。自分としては長いことに意味があるんじゃないと思ってはじめそうしたんです。あれだけ長回しする人に言われて、当時は「なんで?」と思ったんですけど、いま改めてみると、7分でも長いんですよ。それで、悔しいけど彼が合ってたことに気づく。そういうやりとりが、長編デビュー作の『鉱 ARAGANE』でもたくさんありました。編集とショットに関してシビア。わたしの中では及第点だけど、ちょっと弱いかなというショットを残したりしていると、すぐに見抜いてこれはダメと言われる。悪いショットでなくても、ほかと同じような役割になっているとか、映像に少しでも乱れがあったりすると容赦なくダメを出されましたね。

――3年間学んだわけですが、彼の素顔は? 過去のインタビューや作品から、ともすると冷徹な印象も受けるのですが。

小田:実際はものすごく熱いハートをもった人です。これだけのこだわりをもって映画作りをしてきて、いろいろな苦渋を味わったでしょうから、ときにぶっきらぼうになったこともあるかもしれない。でも、ふだんはものすごく優しくて、チャーミングな人です。私が初めて会ったのは映画学校でですけど、生徒の中でも私は一番乗りでサラエボに入ったんですね。そしたら、ベーラもすでに来ていて、アシスタントの方と食事の後に、一杯飲みに行ったんです。それが初対面で、ものすごく緊張していたんですけど、彼はこんな主旨のことを言ったんです。「これから自分たちがすることはものすごい革命的なこと。ボスニアには厳しい現実があるが、あなたたちはそれを体験して、正直に作品を作っていかないといけない。そのために僕はなんでもする。あなたたちのシェルターになって助ける。だから、映画をすぐ作ろう」と。そのときの彼の瞳の力がすごくて。まっすぐに思いが伝わってきた。すごく大きなハートと情熱をもった人だと思いました。実際、口だけではなくて、ほんとうにシェルターになってくれました。映画学校に集まったメンバーは年齢もバラバラで、20代前半から40代までいて。すでに監督のキャリアがある人から、私のようにほぼ一から学ぶ人もいた。さらに劇映画でいわゆるジャンル映画を志す人もいれば、私のような作風、先鋭的な実験映画を撮ろうとしている人もいた。映画を志す人間だったら分け隔てなく受け入れて、ひとりひとり対応していました。ほんとうに度量が広い。でも、これだけ多くのメンバーを個別で対応するのはほんとうに大変だったと思います。日に日にやつれていってましたから(笑)。

「タル・ベーラの妥協しない映画作りは見習いたい」

――小田監督が相談したことで心に残っていることは?

小田:『鉱 ARAGANE』の初期段階、炭鉱が気になってちょくちょく行って撮影するようになったころ、自分がこの場所に惹かれていることもわかっていたし、撮影もうまくいっていると思っていました。ただ、これをどうすればいいのかという疑問が、進める中でわいてきた。同時並行で編集もしていたんですけど、どうしても自分の中で意味を見つけたくなってしまう。それで「どうしたらいいのかわからない」と相談したんです。すると、彼は「自分が好きなものを撮っているんでしょ? その好きなものに誠実であったら、おのずと形はみえてくるから、このまま進めなさい」と。そう断言されたんです。そのときは、もう少しこうしたほうがいいんじゃないかとか、具体的なアドバイスがもらえるのかなと思っていたんで、ちょっと拍子抜けしたんですけど、進めていったら、「これは映画にできる」という手応えのようなものがあって、確かに続けなければそうならなかった。あのひと言がなかったら、背中を押されなかった気がして、心に残っています。

――タル・ベーラは小田監督にとってどんな存在ですか?

小田:師弟関係に思われることが多いのですが、自分の中ではちょっと違って。近しい先人というか、先達のような存在。もしくは善き指導者ということでしょうか。実際、彼自身も私たちのことを同志のように見てくれていたところがある。なので、「サー」とかつけようものならすごく怒っていました(笑)。通常の師弟関係とはちょっと違うと思います。尊敬すべき先達ですから、彼が何歳でなにを撮っていたか気になります。『サタンタンゴ』は完成させたのは彼が40歳手前ですけど、35歳ぐらいから取り掛かっている。いま、その年に自分が近づきつつあって、ちょっと焦ります。「自分は同じようなことができるかな」と。実際、私は学校にいたとき、20代でしたけど、35歳ぐらいの人はベーラに「俺は35歳ぐらいのとき、『サタンタンゴ』を撮ってたよ。大変だと思うけど、頑張らないといけない」とよくはっぱをかけられていましたね。

――彼の映画への姿勢で見習いたい点とかありますか?

小田:ベーラのすごいところは、映画産業や映画界にほんとうに絶望しているけど、希望を失っていない。絶望しきって嘆くだけの人がほとんどだけど、それでも自分でやれることをやろうとしている。そこはすごいなと。決してあきらめない。その姿勢は『サタンタンゴ』にも感じられる。お金もなかったろうし、作品も困難の連続だったと思うんです。でも、出来上がった映画は貧相じゃない。手抜きなしでリサーチして時間をかけてリハーサルもやって、フィルムで撮る。どこか端折って簡単に作ろうと思ったらたぶん作れる。でも、わざわざいばらの道とも言えるしんどい方を選んで妥協しないで作ることを選んでいる。だから、画面の隅々まで安っぽいところがない。作品に彼の誇りが映っている。それはベーラの映画への誠実さでもある。彼のあきらめない、妥協しない映画作りは見習いたいと思っています。

――最後に小田監督流の『サタンタンゴ』のBlu-ray での楽しみ方は?

小田:もちろん、何度も観て、まずは新たな発見を楽しみたい。あと、これは正しい楽しみ方か怪しいし邪道かもしれないんですけど、壁に映像を投影してずっとループでかけていたい。そこにあるものとしてずっと再生しておいて、あの音楽が部屋でずっと流れている。視界のどこかにあの映像が入ってきて、あの音楽が流れている。そんなふうに自分の生活の一部として楽しみたいです。

■リリース情報
『サタンタンゴ』
Blu-ray発売中

価格:10,600 円(税別)
仕様:1994年/ハンガリー=ドイツ=スイス/本編約438分+映像特典/2層/モノクロ/MPEG-4 AVC/複製不能/セル専用/16:9[1080p Hi-Def]ヨー ロピアンビスタ(1:1.66)/音声:オリジナル[ハンガリー語] 2.0ch モノラル dts-HD MA/字幕:日本語字幕/3枚組/リージョンA・日本市場向/字幕翻訳:深谷志寿

<特典映像>
日本版劇場予告編(2分)

<封入特典>
解説リーフレット【執筆:秦早穂子(映画評論家)、遠山純生(映画評論家)】

キャスト:ヴィーグ・ミハーイ、ホルヴァート・プチ、デルジ・ヤーノシュ、セーケイ・B・ミクローシュ、ボーク・エリカ、ペーター・ベルリング
監督・脚本:タル・ベーラ
原作・脚本:クラスナホルカイ・ラー スロー
撮影監督:メドヴィジ・ガーボル
音楽:ヴィーグ・ミハーイ
発売・販売元:TC エンタテインメント
(c)T.T.Filmmuhely Kft.

■公開情報
『セノーテ』
9月19日(土)〜新宿K’s cinemaにてロードショー、全国順次公開
監督・撮影・編集:小田香
エグゼクティブ・プロデューサー:越後谷卓司
プロデューサー:マルタ・エルナイズ・ピダル、ホルヘ・ホルヘ・ ボラド、小田香
現場録音:アウグスト・カスティーリョ・アンコナ
整音:長崎隼人
ナレーション:アラセリ・デル・ロサリオ・チュリム・トゥム、 フォアン・デ・ラ・ロサ・ミンバイ
企画:愛知芸術文化センター、シネ・ヴェンダバル、 フィールドレイン
制作:愛知美術館
配給:スリーピン
日本、メキシコ/2019年/マヤ語、スペイン語/75分/ デジタル/原題:Ts’onot/英題:Cenote

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