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高橋一生は“語られない物語”を想像させる俳優だ 『竜の道』放送前に必見ドラマ3作品を振り返る

リアルサウンド

20/4/24(金) 6:00

 新ドラマの多くが新型コロナウイルスの影響で延期となり、玉木宏・高橋一生が復讐に燃える、火曜21時ドラマ『竜の道 二つの顔の復讐者』(カンテレ・フジテレビ系)も例外ではない。放送スタート日は未定のままであり、高橋一生の主演舞台『天保十ニ年のシェイクスピア』も、東京公演の最中、大阪公演を前に中止になってしまったため、尚更気を落としているファンも多いことだろう。さて、今回は数ある高橋一生出演作品の中で3作品を厳選し振り返ることで、ほんの僅かでも空白の時間を補うことができたら幸いである。

参考:高橋一生演じる政次の死が意味するものーー『おんな城主 直虎』が描く喪失と再生

●『おんな城主 直虎』(NHK総合)

 NHK大河ドラマ『おんな城主 直虎』で高橋は、柴咲コウ演じる女城主・井伊直虎を陰ながら支え、あえて「裏切り者」として死ぬことで彼女を守った井伊家家老・小野但馬守政次を演じた。

 囚われ磔にされた政次を直虎自ら手にかけた第33回における、「地獄へ落ちろ、小野但馬」「やれるものならやってみろ、地獄の底から見届け(てやる)」という呪いの言葉の応酬は、上司と部下として、幼なじみとして、恋愛関係を超越した2人の濃密な信頼関係だからこそ通じ合う、賞賛と鼓舞の言葉の裏返しであった。

 だからこそ、昨今の大河ドラマでは珍しい凄絶な死の光景として、また、これ以上ない愛の光景として、多くの視聴者の心に残っているのである。それは、「大河ドラマ」という素材を自由に料理した森下佳子脚本の凄みであったと共に、演者たちの凄みであったと言える。

●『カルテット』(TBS系)

「片想いって一人で見る夢でしょ」

 『カルテット』第8話において、高橋が演じた家森諭高の台詞。同年放送の『おんな城主 直虎』の政次役と共に、高橋の人気を爆発させることになった坂元裕二脚本の傑作ドラマである。政次もまた、直虎への秘めた想いを抱きながら、言葉では欺いてばかりで「一人で見る夢」に生きていたわけだが、碁を通して、まつりごとを通して、彼らは井伊家再興を「二人で見る夢」にし、さらに昇華して「皆で見る夢」に変えたのである。

 家森が前述の台詞を言った相手は、満島ひかり演じる世吹すずめだった。すずめは松田龍平演じる別府に片想いしている。そして家森はそんなすずめに恐らく片想い中だが、その感情を表に出すことはほとんどない。彼は自分のことも世界のことも、誰よりも「わかってしまう」男だからだ。片想いの人からの告白を「好きです・ありがとう・冗談です」の「SAJ三段活用」だと揶揄しつつ、すずめ相手の実演という遊びの中に本音を混ぜる。そして「冗談です」とかわす。そんな、どうにも愛おしく、切ない男である。

 理屈っぽく面倒くさいヴィオラ奏者の彼がまくし立てる数々の理論は『カルテット』の代名詞とも言える「唐揚げにレモンをかけるか問題」等様々な名言を生み出した。躊躇なく壁に画鋲さしたりできない、パセリの存在を慈しまずには唐揚げを食べられない「こっち側」の人間。高橋一生にはどこか、「こっち側」の人間だと思わせる何かがある。

●『凪のお暇』(TBS系)

 コナリミサト原作、大島里美脚本の昨年放送TBSドラマ『凪のお暇』。黒木華演じる28歳空気読みすぎOL・凪が、仕事と恋とSNSを捨てておんぼろアパートで始める、新しい生活と恋と友情の物語。ここで高橋一生が演じた元彼・我聞慎二も、『おんな城主 直虎』の政次、『カルテット』の家森と同じく、片想いを募らせる男だ。

 彼の場合は、爆発寸前の激しさである。だが、慎二の口から溢れる、素直じゃない上に、理屈っぽく人格を否定する言葉の数々は、家森とは正反対で凪を追い詰め、危うく彼女の心を潰してしまいそうになる。困った曲者である。

 初回で見せた、どうしようもないモラハラ男ぶりと、各回終盤で見せる凪が好きすぎるゆえの号泣シーンの憎めないキュートさとのギャップは強烈だった。やがて、正反対だと思っていた2人が、似た境遇を同じ心境でやり過ごして生きてきたことを理解しあった時、寄り添わず、あくまで距離を置いたまま同じ思いを共有して泣く。それはまるで、彼らがそれぞれに憧れていた「群れからはぐれた一匹のイワシ」のようで、我々現代人の恋物語のあるべき姿のような気がして、かっこよかった。

 新潮社発行『波』(2019年3月号)において、村上春樹『騎士団長殺し』(新潮社)について、高橋一生による書評が5ページに渡って掲載されていた。そこには、『騎士団長殺し』を通して、自分自身のこと、自分自身が置かれている状況を模索する彼がいた。『天保十二年のシェイクスピア』の最終公演日、カーテンコールにおいて高橋は「想像力」、及びそれを共有することの重要性を語っているが、この書評における本との向き合い方の愚直なまでの真摯さは、彼自身が誰よりも深く「想像する人」であることを物語っていた。(出典:「天保十二年のシェイクスピア」公式サイト、書評出典:「Book Bang」)

 高橋一生という俳優は、いつも我々観客に想像させる。何気ない言葉の裏に秘められた正反対の思いを。語られない物語の存在を。

 坂元裕二作品などのドラマや映画の片隅を生きていた時期から、高橋は「彼は一体どんな人生を生きてきたのだろう」と視聴者・観客に想像させる余白を持っていた。ヒロインを見つめる眼差しに込められた、たじろぐほどの愛情の深さ、真摯さ、優しさ。物事を見つめる時の思慮深い眼差し。零れる涙を隠すために、バイバイをしたままの手でさりげなく目を覆った(『カルテット』4話)高橋一生という俳優の、静かな目の奥にある深淵を覗いてみたいと、観る者は思わずにいられない。

 復讐に燃える男は、一体どんな目でこちらを見つめてくるのだろう。楽しみに待とう。(藤原奈緒)

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