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「『あまちゃん』的な価値観が次の時代を作る」中森明夫が示す、能年玲奈と日本の未来

リアルサウンド

13/10/10(木) 8:00

 中森明夫氏がNHK連続テレビ小説『あまちゃん』と、ヒロイン天野アキを演じた能年玲奈について語り尽くす集中連載第3回。最終回となる今回は、アイドル批評家の社会的な役割から、能年玲奈の天才性、そして中森氏が『あまちゃん』劇中で心を動かされたシーンまで、深く語った。インタビュアーはアイドル専門ライターの岡島紳士氏。

第1回:「中森明夫が『あまちゃん』を徹底解説 NHK朝ドラ初のアイドルドラマはなぜ大成功したのか?」
第2回:「国民作家の地位は、宮崎駿から宮藤官九郎へ」中森明夫が論じる『あまちゃん』の震災描写

批評家の仕事は、アイドルファンに語るのではなく、社会に語ること

中森:いずれにしても、『あまちゃん』は現実と深くシンクロし、また現実に影響している。僕のツイートにリプしてくれる方々の誘いで「あまちゃんオフ会」を2件ハシゴしました。ひとつは道玄坂にあるクラブで「自分が行っても大丈夫かな?」と思ったのですが、二重扉を開けたら、お座敷列車みたいに若い連中が床に車座になってウダウダやっていた(笑)。もうひとつは六本木の豚しゃぶ屋でしたが、こちらではフェイスブックでつながった40代くらいの人が中心。親子連れで来ている人もいて、みんなで「潮騒のメモリー」を大合唱でした。見知らぬ人々がすでにドラマで仲よくつながっていた。『あまちゃん』ってスゴいな、とあらためて思いましたね。

――当の宮藤官九郎さんは、そのあたりをどう考えているんでしょうね。

中森:宮藤さんがえらいのは、答えを言わないこと。劇中で、アキのミサンガが一本切れずに残った意味も説明していません。少なくとも、「アイドルの力で地域が盛り上がって万々歳」という話ではなかった。もちろん、「現実にもアマノミクスで復興して万々歳」なんてわけはないでしょう。

 たとえば、「アイドル評論なんて意味がない」とよく言われます。今はネットがあるから情報量では僕らなんか全然かなわないほど詳しい人がいる。現場に通っている人のつぶやきをすべてチェックすることもできません。しかし、それはブロガーやウォッチャーであっても批評家ではない。批評家の仕事は、アイドルファンに語るのではなく、社会に語ること。国はクールジャパンだなんだとサブカルチャーをこれだけ持ち上げておいて、一方でやっているのは、非実在青少年マンガ規制のようなナンセンスな話。これは、マンガ業界が持っている社会に対する抵抗の力が弱いためです。映画界は斜陽ではあるものの、批評家がたくさんいるし、賞もたくさんある。歴史や権威に支えられているからなかなか潰されない。アイドル文化を支える抵抗力として、批評家が役に立つときが絶対にあるはず。それが僕の仕事だと思っています。

能年玲奈はもっとすごいものを見せてくれるはず

――アイドルファンは、アイドルについて書かれていると、それが「自分たち”だけ”に向けられた文章」だと思ってしまいがちです。僕はライターですが、『グループアイドル進化論』では「アイドルファンじゃない層」をメインに向けて、グループアイドルの進化の歴史と現状を説明するために書きました。

中森:普通の人にも読めるように。そういうものが必要だと思うんだけど、得てしてアイドルファンには不評なんだよね(笑)。正直な話、一部の特権意識を持つアイドルファンは、社会的な発言をする人をディスることがままある。

――ネットをやっているとアイドルファンが多いように勘違いしてしまいがちですが、現実にアイドルを応援している人ってすごく少ないと思うんです。例えばAKBやももクロが好きな人はいても、「アイドル」というジャンル、つまりアイドル全般に興味を持っている人って、今のブームのおかげで多少は増えたとしても、まだまだ少ない。アニメやマンガやゲームのように、ジャンルそのもの、アイドル自体を好きになってもらうための役割は、絶対に必要ですよね。

中森:必要です。今でこそアイドルシーンも市民権を得ていますが、10年前のアイドル/アイドルファンは本当にバカにされていました。音楽番組でアイドルの名前を読み上げると、客席の反応は本当に薄かった。それが、女の子がなりたい“職業”のひとつにアイドルが挙げられるところまで来たんです。AKB商法として批判されていますが、CDがこれだけ売れているのは日本だけ。複製可能なものが売れなくなり、実際に会えるライブ=体験が重視されている。ロックやJポップのフェスばやりもその流れですよね。

――生身の人間だからこそ価値がある、コピーできないから行くしかない、ということですね。そういう意味では、『あまちゃん』は会えるアイドルではない。

中森:たとえば今、能年玲奈や橋本愛が握手会なんかしようものなら大変なことになるでしょうね。北三陸でやった『あまちゃん感謝祭』の盛り上がりもすごかったもの。生身の能年玲奈が出てくるわけですから。

――能年玲奈の次回作に期待、という話もありましたが、彼女の今後について思うところはありますか?

中森:ヒットしすぎてイメージがついてしまうんじゃないか、口下手なところは大丈夫か、など心配する声もあります。僕は全然、大丈夫と思っています。彼女の潜在能力はすごいですよ。これから、もっとすごいものを見せてくれると期待しています。まず考えられるのは、大河ドラマに出演するという、宮崎あおいパターンかな。能年玲奈が宮崎あおいで、橋本愛が恋多き蒼井優。そう考えると、能年ちゃんには大河ドラマの前に相手もよく吟味せず一途な恋で結婚する、なんてパターンはやめてもらいたいですけどね(笑)。

オタクが勝利したのは、人がどう思うかよりも快楽的な方を選んだから

――彼女の天然は演技なのか本気なのか、どちらなんでしょうか?

中森:まあ、天才でしょうね。それと比較すると、「食わず嫌い王」に出ていた有村架純は普通にまっとうですね。すごくかわいかったですけど。能年ちゃんは「芝居をしていなかったら自分は生ゴミだ」なんて言っています。普通じゃないんですよ。特別な才能の持ち主なんだから。

――広末涼子を思い出す、という人も多いですね。

中森:透明感がそう思わせるんでしょうね。ただ、広末は不運だったと思う。彼女はアイドル冬の時代にひとりだけ出てきて、一身に注目を浴びてしまった。2ちゃんねるも写真週刊誌もない吉永小百合の時代とは違う。早稲田大学に入ればみんなに写メを撮られるし、それはたまりませんよ。

 能年玲奈は海女さんの格好をしていると確かに広末涼子に似ているし、長澤まさみに似ているという声もありました。新人がブレイクするときは、かつてのビッグアイドルに似ていると言われるもので、その条件を満たしていますね。ただ、広末涼子、長澤まさみと来たら、伊勢谷友介に注意しないと(笑)。

――最後にもうひとつ、『あまちゃん』についていろいろ話されてきたと思うんですが、好きなシーンはどこですか?

中森:多すぎてひとつは選べませんね。ただ、みんなも言っているけれど、GMTから帰ってきたユイちゃんがアキと喧嘩するシーンは本当にいい。ユイは「アイドルなんてダサい。アイドルを目指していたころの自分を知っている人に会いたくない」と言う。そこでアキは「ダサいのなんて分かってる。ユイと歌うのが楽しいから続けてきた」「ダサいくらいなんだよ、我慢しろよ!」という言葉を返すんです。「オタク」の名付け親がいうのもなんですが、かつてオタクはダサいからとバカにされた。みんなが空気を読むようになって、この20年、特にサブカル系の子たちは美醜に敏感な態度を取ってきた。その中でオタクが勝利したのは、まさに「楽しい方がいい」し、「人がどう思うかよりも快楽的な方を選んだ」からだった。だから、あのシーンは心に響いたし、審美的態度から悦楽的生き方へ――という時代の流れを示しているとも思いました。

20131008-nakamori-03.JPG左・岡島紳士氏/右・中森明夫氏

 もうひとつは、最初のお座敷列車のシーンです。アキの先輩で初恋相手の種市浩一(福士蒼汰)がユイとできてしまって、三角関係になった。そんな先輩が上京する、駅のホームでの別れのシーン。アキと先輩は向かい合って「南部ダイバー」を歌う。アキはあくまで後輩として、恋心を持つ女の子の自分を封印して、少年として振るまってみせる。別れた後、こぶしを振りながら列車へ向かうアキの後ろ姿が切なくてたまらなかった。そこには自分の恋仇のユイが、潮騒のメモリーズの仲間として待っている。今度はアイドルとして、女の子として輝く、このドラマの最高の場面を演じる――いや、生きなければならない。能年玲奈はあのシーンを完璧にやりましたよ。宮藤官九郎があれほど切ない女心を繊細に描く作家だと知って驚きました。

――「ダサいくらい我慢しろ」は、僕も一番の台詞だなと思いました。今の世代が感じている、本当にリアルな言葉ですよね。

中森:今の若い人たちはかわいそうなんですよね。「ぼっち」だと思われたくないから、学食のトイレでごはんを食べるなんて話もあるけれど、自分が楽しいかどうかより、空気を読むことばかり考えてしまう。だから、楽しかったらハジケる『あまちゃん』的な価値観が、きっと次の時代を作ってゆくと思いますね。
(インタビュアー=岡島紳士/写真・文=編集部)

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