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八郎は自身の父権的な部分とどう向き合うのか? 『スカーレット』に登場する3人の男性

リアルサウンド

20/1/14(火) 6:00

 喜美子(戸田恵梨香)と八郎(松下洸平)の気持ちが近づいていく様子にキュンキュンし、「八郎沼」という言葉も生まれたかと思ったら、結婚後は夫婦として、同じ陶芸家としてのぶつかりも描かれるようになった『スカーレット』(NHK総合)。ヒロイン喜美子の物語ながら、3人の男性たちのことが気になってくるドラマである。

 ひとりはヒロイン喜美子の父親・常治(北村一輝)である。酒におぼれ、「おなごに学問は必要ない」という考えを持っていた人物だが、実は「食う」という観点で考えてのことで、何も家族を抑圧することを目的としているわけではないようにも見えた。現代の尺度で考えるとひどい父親かもしれないが、家族のためを思い、体がぼろぼろになりながらも、運送の仕事を増やそうとする姿に、同じ運送業の父親が出てくるケン・ローチの『家族を想うとき』を思い出してしまった。豪快で愛らしさもあるからこそ、娘たちも母親も喪失感を感じているのだろう。

 ふたり目は、信楽で喜美子が絵付けを教わる深野心仙(イッセー尾形)先生だ。日本画の画家でもあるが、信楽で絵付けの仕事をしたあと、さらに修行がしたいと、決して若くはないのに年下の先生に弟子入りするため新天地に向かう。喜美子に対しても上から目線なところがなく、見て覚えろといったり、無口で威圧感があったりという今まで見てきた「師匠」のステレオタイプを覆す。喜美子が新聞取材を受けた際、師匠である自分を差し置いて「マスコットガール」として持ち上げられたことも(ここに対してはもう少し語るべきことはあるが)、「えーよー」と明るく受け流してくれるのであった。

 三人目にして重要なのが喜美子の夫である八郎である。八郎はソフトな雰囲気を持ち、当初は喜美子は父親とまったく似ても似つかない正反対の人を選んだのかと思っていた。時代背景を考えれば、女性が職人になることや、職業婦人として生きることを認めるだけでも、寛容な方なのかもしれない。しかし、喜美子が仕事を覚えるにしたがって、喜美子の才能を意識し、口調も変わっていく。

 八郎は、喜美子と付き合うかどうかという段階で、「川原さん」と呼ぶか、「喜美子」と呼ぶかというシーンが出てきたように、きっちりとした段階をふんで近寄っていくタイプの実直な人だ。そんな八郎が、一段一段と段階をふんで、喜美子と距離感を近づけていったのが、キュンとくるところであり、魅力的にみせたポイントであった。

 しかし、段階を追った先には、父権的な性質が出てくるようになってきた。『逃げるは恥だが役に立つ』(TBS系)の中でもキュンキュンさせた後に甘いだけでない状況が描かれていたのを思い出す。

 現在、放送15週目の『スカーレット』の中では、喜美子と八郎はすれ違いが続いている。八郎は、出会ったころには「欲しい言われて、その人のために作って、ほんで、僕の作った器でおいしそうに食べてもらえたら」と言っていた人であるのに、現在は喜美子の才能を意識するあまり、本来の陶芸に対する気持ちを忘れている状態のように見える。

 もうひとつ八郎のセリフで気になるのは、結婚前から「自分の仕事は自分で」(この言葉は喜美子が言った言葉を自分でも取り入れたものであるが)と言ってみたり、「僕と喜美子は違う人間や」というものである。自分と他者は違う存在であると区別をつけることは、冷たくも思えるが、考え方として悪いことではない。特に、同じ陶芸の仕事をするふたりとしては、競いあうのではなく、それぞれが独立した陶芸家と認め合うほうが、齟齬はなくなるのではないか。そこに関しても今後、どう着地点があるのだろうか。

 多くの男性の物語(これは主役に限らずである)には、己の中に悪しき存在としてのしかかる「父」と、別の道を示してくれる「おじさん」というものが登場することが多いのではないかと思う。これは厳密に血縁でそうなっているのかではなく象徴的な意味合いである。

 八郎には、喜美子の父親のような部分も見え隠れしているが、深野先生のような自由な人に憧れているという点もある。八郎は、自分の中にある父権的な部分を乗り越え、深野先生の持つオルタナティブなものを取り込むことができるのか、これからも気になるところである。(西森路代)

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