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Perfumeの登場、BABYMETAL世界的ヒット……「楽曲派」アイドル誕生から現在に至るまで

リアルサウンド

19/10/20(日) 8:00

1.「楽曲派」とそれ以前
 「アイドル戦国時代」と呼ばれた時期も昔、一時のブーム的な活況は去ったとはいえ、今も日本の女性アイドルシーンは様々なスタイルで活動するグループで溢れています。そしてその中に「楽曲派」と呼ばれるグループたちがいます。

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 アイドル界隈で使用される「楽曲派」という言葉、それ自体は元々聴き手側を定義する言葉として生まれたと言われていますが、現在は主に「従来のアイドル以上に本格的な音楽性を持った楽曲を歌うアイドル」を指す言葉になっています。

 「楽曲派」という呼称が用いられるようになる前には「楽曲派」的なアイドル楽曲がなかったかと言えばそうではありません。80年代のアイドルも、YMOの細野晴臣・高橋幸宏・坂本龍一や大瀧詠一、竹内まりやのような有名ミュージシャンの手による優れた楽曲を歌っていますし、坂本龍一が全面プロデュースした伊藤つかさの『さよなら こんにちは』のようなアルバム、また同時代のバンドミュージシャンが楽曲提供を行う形で制作された小泉今日子の『BEAT POP』等、当時のアイドルの一般的なスタイルとは異なる音楽性を持つアルバムも多数存在しています。

 とはいえ、一人のミュージシャンが継続的に楽曲提供を行ったり、ある程度以上の枠内での音楽性をコンセプトにして活動したアイドルはほとんど存在せず、小室哲哉プロデュースによってヒットした女性シンガーの例に顕著なように、当時は楽曲の音楽性を上げることはおよそ「脱アイドル」を意味していたことは否めません。それが当時の時代の空気でした。

 そんな空気が変容し、現在の状況に向かい始めるのは21世紀に入ってからになります。

2.Perfumeの登場~「テクノアイドル」と「サウンドプロデューサー」の時代

 まだAKB48もデビューしていない2003年、インディーズから全国デビューしたPerfume。そのサウンドプロデューサーは、2001年にデビューしたユニット・CAPSULEのメンバーで新進気鋭のクリエイター、中田ヤスタカが担当することになります。彼女たちはそのテクノエレクトロ路線をメジャーデビューしても継続、2007年にブレイクを果たし、それ以降も活躍することで彼女たちのみならず中田ヤスタカと振付・演出のMIKIKO共々広く評価されるようになっていきます。

 このPerfumeの一貫したチームとしての活動が、「楽曲派」アイドルの要件と言ってもいい「ひとつのジャンルの音楽を継続する」「固定化されたサウンドプロデューサーが継続的に関わる」スタイルの本格的なスタート地点ということになります。

 Perfumeのブレイク以降、フォロワー的に「テクノ」を鳴らすアイドルが登場しますが、2007年デビューのAira Mitsukiは大西輝門、2009年デビューのテクプリはトベタ・バジュンがプロデュースを手掛ける形、また2008年に大阪で結成されたamUはフロントの2名を含めた「amU Planet」という6人のチーム体制でサウンド作りから演出までを手掛けていました。

 テクノアイドルという現象が起きると同時に、固定化されたチームによる楽曲制作というスタイルが「楽曲派」のひとつの定型になっていきます。

 これらの新しいアイドルグループの新規参入を後押ししたのは、PCやソフトウェアの普及や高機能化によって、楽曲制作やレコーディングの難度、人員的なコスト等のハードルが圧倒的に軽減されたという点であり、それはAKB48登場以降の「ライブアイドル」シーンの活性化にも繋がっていきます。

3.「ロック」を掲げるアイドル~ライブアイドルシーンの活況

 「ロック」的なアイドルソングは、1970年代に宇崎竜童が山口百恵に提供した楽曲に端を発し、それ以降も途切れることなく数多く作られてきたものです。しかし、アイドル自身が自ら明確に「ロック」を掲げてそれをコンセプトとして活動を行った事例は、少なくともメディアに乗るレベルとしては、ハロー!プロジェクトのユニットBuono!がそのロック調の楽曲から「ガールズロックユニット」を名乗り始めたことに端を発します。デビュー1周年のファンクラブ限定ライブを、所属のハロー!プロジェクト内のみならず、当時はアイドル界全体の中でも珍しかった生バンド形式で行って以降、その方針はより強固なものになっていきます。

 2009年にデビューしたぱすぽ☆(後にPASSPO☆)も「ガールズロックユニット」と名乗りましたが、両者の共通点はアイドル運営としては比較的潤沢な資金を持った大手事務所の所属だった点。特別なライブでない限りバックトラックはカラオケだったとはいえ、テクノ型のユニットとは異なり少なくともレコーディングにあたってはバンドのメンバーも時間をかけたレコーディングも必要なこのスタイルは大手でないと難しかったのかもしれません。

 最初にインディーズで「ロック」をスタイルに掲げた例で『TOKYO IDOL FESTIVAL』出演レベルまで初めてたどり着いたアイドルは、名古屋を拠点に活動していたしず風&絆~KIZUNA~。元々はしず風と絆~KIZUNA~、別々に活動していたものが2011年に「アイドルとロックの融合」をめざす「Iロック」の活動を開始し、翌年には2グループが合体してひとつのグループとしての活動を開始します。これは所属事務所の社長の強い意向によって開始されたスタイルですが、生バンドの演奏+80年代バンドのカバーを中心としたステージで熱心なファンを生み出しました。

 2010年にはBiSがデビュー。元々「ニューエイジロックアイコン」の肩書きでシンガーとして活動していたプー・ルイの発案のもとに結成されたグループのため、デビューからロック寄りの楽曲で活動を開始、その常識外れなプロモーション手法もある意味「ロック」的に見えるものでした。松隈ケンタの手によるその楽曲の方向性は、以降もBiSHをはじめとしたWACKの各グループに受け継がれています。

 それ以降、あゆみくりかまき、ベイビーレイズ(後にベイビーレイズJAPAN)、偶想Drop、ひめキュンフルーツ缶等多くのグループが、「ロック」を掲げたり、ロック的な楽曲を中心に活動を行うようになりました。

 AKB48のブレイク以降、急激に拡大した「ライブアイドル」シーンですが、CDを潤沢に売り上げられるのはやはりテレビ等の既存メディアに乗ることができるメジャーなグループに限られるため、それら一部以外のグループは、SNSを駆使して情報発信を行い、ライブと物販・接触イベントを中心にした活動を展開するようになっていきます。

 その活動上もっとも重要となるライブで「いかに盛り上げることができるか」という点を重視すれば、多少コストをかけてでも「ロック」的なサウンドに向かうのは自然な流れです。実際、活動の途中からあえて「ロック」的な方向に舵を切るグループも多くいました。しかしその数が多くなってくると、ただ「ロック」と名乗って激しい音を鳴らすだけでは他のグループとの差別化が難しくなることもあり、後発のグループはさらに「ロック」からジャンルの細分化を図るようになっていきます。

4.「ラップ」のアイドル化~孤高の潮流

 アイドルによるラップの始祖をたどると1994年、(初代)東京パフォーマンスドールの市井由理が参加したEAST END×YURIに遡ります。

 ラップはその存在がメジャー化して以降様々なジャンルの楽曲で使用されるようになると共に、2003年にはHALCALIがデビューしてヒットしたり、その後もフィメールラッパーは次々に登場して活躍するようになります。しかしアイドルの楽曲としては、1曲ラップ調の曲をやったり、曲の一部にラップを取り入れる等のパターンはあっても、本格的な「ラップアイドル」は登場しませんでした。

 それは恐らく「ラップはスキルがあってこそ」という制作側の先入観、そしてそれだけのスキルを持ち得る女の子がアイドルとして活動することに手を挙げなかったためと思われますが、その先入観を飛び越え、「可愛い」優先のアイドルとしてのラップが生まれたのは、2010年デビューのtengal6(後のlyrical school)と2011年デビューのライムベリーからということになるでしょう。

 前者はプロデューサーのキムヤスヒロ、後者はコンポーザーのE TICKET PRODUCTIONの、それぞれ思い付きに近いアイデアから始まったものですが、その後lyrical schoolはメンバーを入れ替えながら今も活動継続、ライムベリーは解散したものの、E TICKET PRODUCTIONの楽曲提供はMIC RAW RUGA (laboratory)に受け継がれています。

 アイドルを目指す女の子や運営を行う人の属性としてヒップホップラップを志向する層がいまだに薄いためか、残念ながら大きなムーブメントにはなっていませんが、様々なスタイルでの活動の後に2014年頃からラップデュオとして活動しているhy4_4yhや、ギターバンド的なトラックにラップを乗せる校庭カメラアクトレス、またO’CHAWANZや963等、ラップアイドルのシーンは現在も健在です。

5.BABYMETALの世界的ヒット~さくら学院の部活動がもたらしたもの

 現在「楽曲派」の最高峰と言えるのは、今や世界的存在となったBABYMETALであることは間違いないのですが、その活動は母体となったアイドルグループさくら学院の「部活動」まで遡ります。

 さくら学院は2010年のデビュー時から、ライブでの音楽的バラエティとして「部活動」という形で全メンバーから数人が選抜される形のグループ内ユニットを組み、その部活の内容に合わせたジャンルの楽曲を歌うことが通例となっています。

 年1枚リリースされる「さくら学院」名義のアルバムにもその楽曲は収録されていて、現在までの部活動の総数は10に及びますが、シングルを単独リリースしたのは2010年から2011年、「バトン部 Twinklestars」「科学部 科学究明機構ロヂカ?」そして「重音部 BABYMETAL」の3組。

 バトン部 Twinklestarsは「渋谷系」的シティポップ、科学部 科学究明機構ロヂカ?はテクノポップ、重音部 BABYMETALはヘビーメタル的楽曲と、その部活動ごとに音楽的ジャンルを分けることで、さくら学院としての活動にアクセントをもたらしていました。

 しかしバトン部 Twinklestarsの「渋谷系」的音像は、すでに2007年デビューのバニラビーンズが取り入れていたものであり、さらに遡ればおニャン子クラブの渡辺満里奈のソロ活動の一時期、リアルタイムの「渋谷系」と同時進行で行われていたもの。科学部 科学究明機構ロヂカ?は、当然テクノアイドルとしてPerfumeがヒットを飛ばし続けている中だということもあり、その音楽スタイルはあまり注目されませんでした。

 しかし、BABYMETALの「本格的なメタルサウンド+アイドル」というスタイルは過去にはない衝撃的なものでした。メタルファンを中心にした「非アイドルファン」からの反響も高く、そこに可能性を見出したのでしょう、さくら学院はデビュー当初はトイズファクトリー所属だったのが、2011年半ばにはユニバーサルにレーベル移籍しているのですが、BABYMETALだけはトイズファクトリーに在籍し続けることになります。そして他の部活動はメンバーの卒業と共に消滅するか、新メンバーに入れ替わるのが通例の中、BABYMETALは中元すず香のさくら学院卒業以降も固定メンバーで独立して存続し、「部活動」的な活動から脱却してさらに独特の世界観と楽曲を突き詰めることで世界的なヒットに至ります。

 さくら学院の部活動は、様々な「ジャンル」をグループに与えていく方針の先駆けになると共に、コアな音楽性を突き詰めることでアイドルファン以外にもその音楽を広く訴求可能になることを知らしめることとなり、その後他のコアな音楽性を持つアイドルグループが生まれるきっかけになっていきます。

6.ジャンルをクロスオーバーするアイドル~「何でもあり」の時代の到来

 一方、ジャンルにはこだわらなくても、高品質な音楽を届けようという動きは継続的にあります。

 J-POPのプロデューサーチーム・agehaspringsが手掛けたグループTomato n’Pine、様々なパロディジャケと共に洋楽を含む様々な音楽ジャンルに浸食していくゆるめるモ!等がその例になりますが、「楽曲派」の方針に則らない形で高品質な楽曲を提供する代表例としてはスターダスト所属の各グループが挙げられます。

 前山田健一による破天荒な楽曲によって注目を浴びたももいろクローバー(ももいろクローバーZ)は、その後のヒット以降、中島みゆきやKISSをはじめとした海外を含む様々な大物ミュージシャンとのコラボレーションを行うことになりますが、後発の私立恵比寿中学以降のグループはそのコラボレーションのベクトルを同時代の若手バンドミュージシャンに向け、夏のロックフェスにも登場するような人気ミュージシャンからも多数のオリジナリティ溢れる楽曲提供を受けて活動しています。そのため、楽曲ごとの振れ幅はとてつもないことになっているのですが、むしろそんな「振れ幅の大きさ」を「次に何をするのかわからない」演出を添え、それをグループの個性として打ち出すことで、お奇想天外なアイドルグループとしての位置をキープしています。

 ジャンルとしての固定のない、狭義では「楽曲派」とは捉えられないグループでも、様々なスタイルを持つミュージシャンと様々なコンセプトで音楽性の高い楽曲を輩出していくことで、アイドル界全体が音楽としてさらに「何でもあり」の方向に進んでいくことになります。

7.細分化されていくジャンル~フォーマット化していくアイドル

 「コアな音楽でも何でもあり」になった状況下で現在も進行形で進んでいるのが音楽ジャンルのさらなる細分化の動き。

 「テクノ」「ロック」だけでは最早ざっくりとしすぎていて他のグループとの音楽的な差別化が困難になり、そしてコアな音楽性でもハマれば受けるということが証明されたなか、さらに細かい音楽ジャンルによってグループの特徴付けを行うようになっていきます。

 サクライケンタによるポストロック的かつ現代音楽にも通じる独特の音像を持つMaison book girl、ポストロックバンド・ハイスイノナサの照井順政をサウンドプロデューサーに迎え、マスロック的な変拍子も特徴のsora tob sakana、日本有数の現役プログレッシブロックバンド金属恵比須と対バンを行い、フランスのMagmaの楽曲を公認でカバーするxoxo(Kiss&Hug) EXTREME、エレクトロニックハードコア的なサウンドとオートチューンを使ったボーカルが特徴的なPassCode、オルタナティブやシューゲイザー等のノイジーなギターバンド的な音を志向するヤなことそっとミュート、ロカビリーヤサイコビリー的な音を中心に展開するめろん畑 a go goなど、「ロック」を細分化する動きは数多く挙げることができます。

 ダンス系では所謂「テクノポップ」ではない、現代ダンスミュージックのサイケデリックトランス寄りのトラックで歌うMIGMA SHELTER、また、ソウル/ファンク系をベースにした本格的な楽曲で活動しているフィロソフィーのダンス等、これまでアイドルがあまり踏み込んでこなかったジャンルにも新たなアイドルが生まれてきています。

 これらの動きは、それだけ細かいジャンルであってもある程度以上の支持が集められると運営が判断した結果でもあり、それだけアイドル楽曲が純粋に「音楽」として聴かれることができるということでもあります。そして一部のアイドルでは「アイドルにどんなジャンルを歌わせるか」と言うより「ある音楽ジャンルを表現するためにアイドルという形式を用いる」という方向性での活動も見られるようになっています。

 「楽曲派」の拡大によって「アイドル」という言葉はポップミュージックをその外面で種類分けするための言葉ではなく、「その音楽をどう表現するか」のためのスタイルのひとつになった、ということなのかもしれません。

 「楽曲派」が拡大し細分化したその先にあったのは、あらゆる種類の音楽がアイドルとシームレスに繋がる世界でした。知っているはずの音楽ジャンルも、「アイドル」というフィルターを通ることで今まで聴いたことのない音になるのかもしれません。この先もまた新しい音楽が「アイドル」として流れ出すことを、楽しみにしたいと思います。(O.D.A.)

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