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氷川きよしが与えてくれた「自分らしくいればいい」という希望 SNSやパフォーマンスから伝わるメッセージ

リアルサウンド

20/3/21(土) 12:00

 演歌の花道を20年間止まることなく走り続けてきた国民的歌手。そして、メイクアップ、カラフルなネイル、ツヤツヤの長い髪、華やかなドレス、色とりどりのアクセサリー、すべすべ素肌の美脚……女性だけのものとされていたその武器をもって、「いま最も美しい姿」を追求し続けている令和の氷川きよしさん(以下、kii様)。

(関連:氷川きよしはシンガーとして新たな地平へと向かうーー”自分らしく”踏み出した21年目のコンサートツアーレポ

 1995年NHK歌番組で見出されるも、藤あや子さん・伍代夏子さんら女性歌手全盛の時代に、若い男性の演歌界デビューは相当な博打。男性歌手というだけでいくつもの芸能事務所に断られ続けました。長良プロダクション(現・長良グループ)を訪れたkii様は、故・長良社長の目の前で、一世一代の歌を披露。事務所に響き渡るその声を聴いた社長は「上へキューッと押し切れる声。そういう爽やかな声に出会えるのをずっと待っていた。だからあの声を聴いて、よしやろうと三分で決めた」と語っています。(※1)2000年、かの有名なフレーズ〈やだねったら やだね〉の「箱根八里の半次郎」でデビュー。以降の快進撃は誰もが知るところですが、不景気も不穏な時代の空気もスコーンと突き抜ける、声そのものが持つ明るさが、当時の「演歌で男性歌手は売れない」という壁を打ち砕いたのでしょう。

 スラリと華奢な体躯に茶髪にピアス、少女漫画の王子様のようなデビュー当時の姿に、股旅物といえば潮来刈りに着流しという固定観念が吹き飛んだことを、今でも鮮烈に思い出します。当時21歳ながらも「少年」を感じさせ、性別の境にあるアンドロギヌス的魅力を持っていた彼も、歌手活動20周年を迎えました。

 そして「きよし君」は「kii」へ、ファビュラスに花開きます。

「これまでは、本当の自分を出さないように、出さないように生きてきた。女性っぽさとか透明感とか、美について自分は色々な見せ方を持っていても、出しちゃダメと思いながら、精一杯頑張ってきた。けれど、素直な気持ちを言わず生きてきたって思いも募って……」

「そもそも演歌というのは様式美、つまり、こうあるべきという型がある。日本独特の素晴らしい音楽だけれど、その中に収まらない「自分の性分」というものもあって」

「今までの苦難も含めて全部をさらけ出し、歌にのせて表現することで、こんな私でもここまで頑張って生きてこられたんだ。そう伝えるのが歌手としての使命。人生の後半は、それを表現していく生き方をしたい」(※2)

 彼は自らの信じる美を解放し、ステージで、テレビ番組で、そしてInstagram(※3)で華麗に発信し始めました。

 日々の投稿では、自らの「美」を肯定するパワーが強く感じられます。セルフィー(自撮り)からは、照明や色合いのほんのちょっとした変化で印象が大きく変わることを知り抜いた、ステージに生きる人ならではのこだわりと、画面全てを自分自身でコントロールできる喜びが伝わってきます。謙遜や自己卑下とは無縁の清々しいまでにポジティブな姿勢は、アイドル・道重さゆみさんが「よし!今日もカワイイ」と鏡の前で自らを鼓舞する姿を連想します。「男は男らしく、女は女らしくあるべし」という思い込みも、美を謳歌するkii様の輝きの前では、吹き飛んでいきます。

 2019年の『NHK紅白歌合戦』(NHK総合)では、松任谷由実の「ノーサイド」に続けて、紅/白の着物から黒に進化したkii様がドラゴンに乗り「限界」を突破、紅組でも白組でもない世界に突き抜けて、MISIAがレインボーフラッグを掲げ、LGBTQカルチャーをお茶の間に解き放つ、時代を象徴する一幕がありました。

 映画『ボヘミアン・ラプソディ』に大感銘を受けたkii様は、フレディ・マーキュリーのスターとしての孤独に深く共感し、この曲をカバーしたいと熱望。クリスマスコンサートにて湯川れい子さん訳詞のQUEEN「ボヘミアン・ラプソディ」を絶唱しました。

 「フレディという人も、華やかなように見えても孤独を抱えて、人間として見られない寂しさを抱えていた。そんなフレディの思いを感じながら日本語で伝えたかった」(※4)と、日本語詞に強くこだわりました。いつの世も、大スターは、その裏に想像を絶する孤独の闇を抱えているのでしょう。ステージを照らす光が強ければ強いほど、その影は濃くなります。kii様がこれまで抱えてきた孤独と、フレディの孤独が共鳴し、TV画面からはみ出す「きよし・マーキュリー」の大迫力。楽曲をカバーしただけではなく、フレディという存在をカバーしたのではないでしょうか。

 九州男児の長男として生まれ、様式美である演歌の花道を歩み、周囲から「男らしさ」を求められ続けてきた中で、枠にはめられてしまう苦しみを知っている彼が、不惑を迎えて自分自身を解き放ち、すべての同じ苦しみを持つ人々に「いつかはこの苦しみから解放される時が来る」「男でも女でもどちらでもいい」「あなたはあなたらしくいればいい」という希望を与えてくれます。

 2020年の春。この先どうなるのか全くわからず、心の奥に重いものが積もってゆく毎日の中で、桜の開花を待っています。こんな時だからこそ、kii様の歌う「大丈夫」の一節〈時はうしろに 流れはしない/月が沈んで陽がのぼり 明日は来る〉が沁み渡りました。この先の未来がどんなに不安で恐ろしくても、kii様という桜が満開に咲いてくれているから、大丈夫。

<参照>
※1 人のかたち ノンフィクション短編20 岩切徹・著/平凡社)
※2 デイリー新潮(https://www.dailyshincho.jp/article/2019/12190559/?all=1)
※3 氷川きよし公式Instagram(https://www.instagram.com/hikawa_kiyoshi_official/?hl=ja)
※4 日経ARIA 湯川れい子の今日もセンチメンタル・ジャーニー(https://aria.nikkei.com/atcl/column/19/071900114/122700007/)

(松村早希子)

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