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世界の情勢を変化させようという重要なテーマも 『アクアマン』成功の秘密を分析

リアルサウンド

19/2/14(木) 12:00

 「DCコミックス」のコミック作品を実写映画化した同名映画『アクアマン』が、予想を超えた大ヒットを記録している。世界での興行収入が現時点で11億ドルを突破、いままでDC映画最高の興行収入を記録していた『ダークナイト ライジング』を超えて、まだまだ成績を伸ばす勢いだ。しかもその記念すべきDCヒーローが、比較的知名度の高いスーパーマンでもバットマンでもない、アクアマンだったということは衝撃的な快挙だ。この結果を受け先頃、早くも『アクアマン』続編制作の決定が発表された。

参考:『アクアマン』ジェームズ・ワン監督が語るヒットの秘訣 「自分が楽しめるのが1番のバロメーター」

 そんな本作『アクアマン』成功の秘密は、一体どこにあるのだろうか。ここでは、作品の内容をできる限り深く分析しながら、それをじっくりと明らかにしていきたい。

 この成功の理由は、まず単純に言うなら間違いなく監督に天才ジェームズ・ワンを起用したことであろう。『ソウ』、『インシディアス』、『死霊館』など、様々な作品で成功を達成してきたワン監督は、そのキャリアが示す通り驚異的な才能の持ち主だ。詳しくは、前もってジェームズ・ワン監督のこれまでの業績や手法について書いているので、そちらも参照してもらいたい(参考:『アクアマン』大ヒットで生ける伝説へ 予測不能な天才監督ジェームズ・ワンの凄さの本質を紐解く)。

 そんなワン監督による本作『アクアマン』が目指したのは王道も王道、変化球なしの、まさに「アメコミ映画」そのものを象徴するような、メジャー感にあふれた内容だった。よって一見、本作は“普通のヒーロー映画”であるかのような印象を受けるところもある。だが、ただ漫然とヒーローらしい映画を撮ったのならば、これほどの成功を収められるわけはないだろう。なにせ本作は、DC映画のヒーローが集結した勝負作『ジャスティス・リーグ』よりも、現時点でもう2倍近くの興収をあげているのだ。

 ワン監督が「ホラー・マスター」と呼ばれるほどにホラー映画における恐怖表現に精通していたのは、恐怖を喚起させる方法を研究し、その理論を自分自身のものにしていたからだ。おそらくワン監督は本作においても、ヒーロー映画とは何なのか、何が必要なのかを徹底的に考察した上で撮影に臨んだはずである。

 それでは、本作の際立った特徴は何なのか。それは一本の作品のなかに様々な要素が詰め込まれているという点であろう。海洋アクション、宝探しアドベンチャー、戦争スペクタクル、ラブロマンスなどなど次々とチャンネルが切り替わるように、他のジャンルへと移行していき、まるで別の映画を観ているような気分になってくる。それは、映画のつくりとしては変化球のはずなのである。にも関わらず、全体を通して見たときには、なぜか直球の作品を観たような印象を与えられるのだ。この矛盾した特質が、なぜ同時に存在することができるのだろうか。

 それは、近年のヒーロー映画全体を俯瞰すると理解ができる。現在、アメリカの映画界ではアメコミ映画が隆盛を極めているといえるが、それぞれの内容は、明快なアクション描写ばかりではない。『デッドプール』はコメディー、『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』はSF、『スパイダーマン:ホームカミング』は青春、公開前の『ニュー・ミュータンツ』に至ってはホラーというジャンル分けができるように、ヒーロー映画は何かのジャンル映画にもなり得る。そして、これらは総じて「ヒーロー作品」というくくりでまとめられるのである。ヒーロー映画が増え続けられるのは、このように様々なジャンルを飲み込むことで多様な楽しみ方を獲得しているからだ。ということは逆に言えば、同一作品のなかでジャンルを飛び越えても、ヒーローさえ活躍していればヒーロー映画として成立するということになる。この事実にワン監督は気づいたのだろう。

 近年、Netflixなどのネット配信サービスが普及し、とくに若い世代の映画・ドラマ視聴者は、一つの映像コンテンツに飽きれば、次々に他の作品へと乗り換えることが当たり前になっている。そんな、視聴者にとっては便利だが映像作家にとってシビアな時代に、多くの視聴者を最後まで飽きさせずに興味を持続させるというのは、至難の業になってきている。音楽においても、いまはYouTubeなどで再生されることを意識し、曲の終わりまでミュージックビデオを見続けてもらうために、飽き始めると想定されるタイミングで突然曲調やテンポを戦略的に変化させる作曲者が、時代の要請によって出現してきている。

 そういう状況のなかで、あくまで映画作品は、従来の映画の魅力に回帰した演出こそが必要だという考えもある。だがワン監督は逆に、変わりつつある時代に逆らわず、それを利用して面白いものが出来ないかという発想があるのではないだろうか。ワン監督の出世作となった『ソウ』は、ヴィンチェンゾ・ナタリ監督の『CUBEキューブ』や、深作欣二監督の『バトル・ロワイアル』などが確立していった「デスゲーム」ジャンルに、さらに若者の興味を惹く拷問描写を戦略的にとり入れることで、さらなるブームを巻き起こした作品だった。

 本作では、そのような試みを徹底的に進め、ファミリー向けに人気のあるジャンルをいくつもピックアップして並べることで、多くの観客が楽しめるものになっている。家族数人で映画を観に行くと、誰かしらは退屈して不満を覚えることが多いが、本作はそれを最大限に回避し得ているといえよう。だからアメリカでは、必ずしも良くなかったオープニングの成績後、観客の出足が徐々に良くなっていったことが、データで示されている。つまり、映画に満足した観客の口コミ効果が絶大だったということだ。

 ここで違和感を覚える観客も少なくないだろう。じゃあ本作は計算ずくの、心がない、映画作家としての志が存在しない、コアな映画ファンや本物の人間ドラマを求める観客には意味のない作品なのではないかと。

 しかし、そういうわけではないのがジェームズ・ワン監督のすごいところだ。例えば本作のシチリアでの奇想天外なチェイスシーンは、いかにも漫画的で荒唐無稽な描写を実写で表現しながら、上下左右、内と外が目まぐるしく変化しながら、速度感覚と立体感覚を味わうことのできる、挑戦的な演出がとられる。さらに、アジア系のオーストラリア人であるという自らの出自や、主演俳優ジェイソン・モモアの持つ複数のルーツを背景に、差別によって外の人間として扱われる境遇を持った人間の孤独感や、そういう存在が境界をまたぎ、世界を一つにできるという希望を描くという、とくに近年、内向きになっている世界の情勢を変化させようという重要なテーマを描いている。そして原作とはイメージが全く異なる、主演のジェイソン・モモアを美しく、豪快に、神秘的に撮り続け、スター映画としても成功しているのである。

 まさに、文句のつけようが見当たらない、嫌味なほどパーフェクトな映画だ。これすらもジェームズ・ワン監督の計算ずくの術中だというのなら、もはやそれに、はまってしまった方が幸せなのではないだろうか。

 『アクアマン』の大ヒットは、ポテンシャルが存在しながら、マーベル・スタジオ作品のようには順風満帆ではなかったDC映画を、完全に救ったと言われている。そしてこれを機に、DC映画はマーベル・スタジオの『アベンジャーズ』シリーズに代表されるような、強力なクロスオーバーのシステムとは異なる道を進んでいく可能性がある。

 マーベル・スタジオの作品を統括し、タクトを振るうのは、ケヴィン・ファイギ製作社長だ。彼は多くの大作をコントロールし、さらに長大な物語を作り上げるという、映画史にも類を見ない大事業を展開している。しかしそれは、それぞれの作品の映画監督の立場からすると、創造性を部分的に奪われているのではないかという疑問もつきまとう。だから個性の強いワン監督は、マーベル・スタジオの気風には合わないのではという気がするのである。

 プロデュースが甘く、映画監督の個人的な作家性に頼るしかなかったのが弱味だったDC映画が、ここにきて同じ理由によって強味を発揮しだしている。『アクアマン』は、そういう意味でも、独自の可能性を示した救世主になるのかもしれない。ここで違いが際立ち始め、映画業界において真のライバルとなりつつあるDCとマーベル。これでヒーロー映画がよりエキサイティングになってきた。(小野寺系)

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