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片桐仁の アートっかかり!

「眠り」という身近なテーマでアートにもっと近づける! 『眠り展:アートと生きること』

毎月連載

第25回

今回、片桐さんが訪れたのは東京国立近代美術館。開催中の『眠り展:アートと生きること ゴヤ、ルーベンスから塩田千春まで』(2月23日(火・祝)まで)で、本展を企画した学芸員の古舘遼さんにご解説いただきながら、眠りの世界を堪能してきました。

序章「目を閉じて」

片桐 「眠り展」って、まずタイトルが面白いですね。

古舘 そうですね。タイトルのとおり眠りをテーマにした展覧会です。日本には国立美術館が6館あるのですが、その美術作品のコレクションは全部で約4万4千点。約5年に1回の頻度で、多様な所蔵品を館の枠を超えて紹介する展覧会を行っています。この展覧会は、その第三弾。バロック時代から現代美術までの作品から、「眠り」を切り口にいろいろな側面で見ていきます。

片桐 藤田嗣治やルーベンス、巨匠の作品が並んでいますね。みんなぐっすり寝ている。

藤田嗣治(レオナール・フジタ)《横たわる裸婦(夢)》1925年 国立国際美術館
ペーテル・パウル・ルーベンス《眠る二人の子供》1612-13年頃 国立西洋美術館

古舘 ここは序章「目を閉じて」。眠る人々が描かれた作品を主に展示しています。藤田嗣治の《横たわる裸婦(夢)》は国立国際美術館、ペーテル・パウル・ルーベンスの《眠る二人の子供》は国立西洋美術館の所蔵です。

片桐 時代や作家によって同じ眠る人でもタッチも異なりますね。ルーベンスの子供たちは、彼にしてはあまり描きこんでなく、ラフな印象を受けます。

古舘 ルーベンスの甥っ子たちがモデルとされ、習作と考えられています。習作ゆえ子供たち周辺以外はほとんど描きこまれていませんが、肌の質感などは非常に細やかですね。ラフに描いているのに非常に上手なのがルーベンスのすばらしいところです。

片桐 あれ? 床に置いてあるこの鉄の塊みたいな作品も「眠り」がテーマなんですか?

河口龍夫《DARK BOX 2009》2009年 東京国立近代美術館

古舘 河口龍夫の《DARK BOX 2009》は東京国立近代美術館所蔵の作品です。この作品のなかには「闇」が閉じ込められています。2009年に制作されたもので、中の闇は約12年の間にどんどん深くなり、遠い存在になっていくのです。

片桐 哲学的だなあ。「目を閉じる」というテーマだけでもさまざまな作品に出会えるんですね。

古舘 約4万4千点のコレクションのなかから119点を選ぶのは非常に大変でした。

片桐 作品をチェックするだけでも何時間もかかってしまいそうですね~。

古舘 まず長い時間かけて目録等をチェックし、展示作品の候補を決めて、京都や大阪に実際に作品を見に行き、あれ? これは思ってたのと違うかも……。みたいな作業を繰り返すので、非常に時間はかかりました。

第一章「夢かうつつか」

古舘 眠りにつきものといえば「夢」。この章では、シュルレアリスムをはじめ、芸術家たちに大きな影響を与えた夢を切り口に作品を展示しています。

フランシスコ・ホセ・デ・ゴヤ・イ・ルシエンテス 「ロス・カプリーチョス」より《理性の眠りは怪物を生む》 1799年 国立西洋美術館

片桐 ゴヤの版画もあるんですね。先程の序章のところにもゴヤの作品がありました。

古舘 そうなんです。この展覧会は7章構成ですが、各章の冒頭に案内役としてゴヤの版画を置いています。ちなみに、第一章冒頭の作品は《理性の眠りは怪物を生む》という題名です。

片桐 シュルレアリストの人たちと同じようなことをゴヤの時代ですでに言っていたのか、面白いなー。エルンストの作品もありますね。

古舘 シュルレアリスムの代表的な画家ですね。植物の葉や木の板などの上に紙や布を乗せて、鉛筆やパステルでこすりだしてイメージを浮かび上がらせる「フロッタージュ」という技法はエルンストが考案したものだと考えられています。《石化した森》は、この手法を発展させて描きました。木の板の上に絵具を塗ったキャンバスを置いて、ペインティングナイフで絵具を削り取っています。

マックス・エルンスト《石化した森》1927年 国立西洋美術館

片桐 だからこんな不思議な絵になるんですね。後ろにある円のようなものも気になります。

古舘 これは月ですね。森も月もエルンストにとって非常に重要なテーマで、いくつもの作品を生み出しているんですよ。

片桐 シュルレアリスムの作品は一瞬見ただけではわからないけれど、引き込まれる作品が多くておもしろいです。

第二章「生のかなしみ」、第三章「私はただ眠っているわけではない」

小林孝亘《Pillows》 1997年 国立国際美術館

片桐 眠り展だからって、いきなり枕の絵! しかし、ふかふかで眠り心地よさそうです。

古舘 作者の小林孝亘は枕を好んで描く画家です。この《Pillows》もその一つ。小林は、眠ることと起きることを繰り返しながら人は死へと向かっていくと考えています。

片桐 確かに眠りと死って近いところにあるように思いますね。

古舘 「永遠の眠りにつく」という表現もありますしね。この章では眠りと死、眠りと生との関係を作品を通してみていきます。荒川修作は東京の三鷹に天命反転住宅、岐阜県養老町に養老天命反転地と、重力に拮抗し、生を押さえつける力に抵抗するための作品を作っていますが、初期から人間に必ず訪れる死を乗り越えようとする作品を数多く作ってきました。この《抗生物質と子音にはさまれたアインシュタイン》もその一つです。

荒川修作 《抗生物質と子音にはさまれたアインシュタイン》1958-59年 国立国際美術館

片桐 すごい色と造形ですね。製作年は1958〜59年! 60年以上も前にこんな形のものを作っていたんだ。

古舘 第三章は「私はただ眠っているわけではない」というタイトルです。眠るとは、死のほかにも様々な意味合いで使われています。ここでは、描かれた当時の社会情勢や時代背景と合わせて見ていくと、意味が見えてくる作品を展示しています。

片桐 陽気なメキシコの絵と思いきや、端々に不穏な雰囲気が出ていますね。

北川民次《ランチェロの唄》 1938年 東京国立近代美術館

古舘 北川民次《ランチェロの唄》は、当時の世相を皮肉った作品です。北川民次は、1920年代から30年代に盛り上がっていたメキシコ壁画運動という芸術運動に共感し、実際にメキシコに暮らしていたこともある作家です。

片桐 だからラテンな雰囲気なんですね。

古舘 とはいうものの、単に明るいわけではないのです。演奏者は非常に大きく描かれ、足元には骨や銃が置かれえいる。そして、踊っている人々はどことなく弱々しく、表情もうつろ、寝ているようにも見える。戦時体制における権力と市民との関係が描かれているんですね。

片桐 目をつぶって、ただその場をしのぐってときにも「眠る」表現が使われるわけですね。不思議な作品も多い!

左:北脇昇《美わしき繭》1938年 東京国立近代美術館 右:米倉寿仁《破局(寂滅の日)》1939年 東京国立近代美術館 

古舘 この章は1930年代の作品が多いのですが、シュルレアリスムの影響を強く受けている作品が多いんです。

片桐 この章は諸星大二郎の世界っぽい作品が多くて楽しいです。物語性がある作品が多くて、いろいろ考えてしまいます。右側の米倉さんの作品は、ダリっぽいですよね。卵だったり、鷲だったりのモチーフが印象的。

古舘 1930年代の前衛絵画はダリから強い影響を受けていました。彼もその一人なんですけれど、背景の水平線もダリがよく好んで描いていたものです。現実離れした絵を描きながらも、現実社会を投影しています。これも一種の皮肉めいた作品なんですね。

片桐 これも当時の世相を斬っているのですね。

古舘 鷲が卵に襲いかかっているというのは、権力であったり敵国であったりする強い存在に、無防備なものが脅かされている、攻撃を受けているさまを表しています。

片桐 一見しただけでは、そんな意味がわからないですものねえ。見る人が見れば意味がわかる。文字で書いたら捕まってしまう時代ですからね。

古舘 実際、前衛画家のひとり、福沢一郎は治安維持法で逮捕されてしまっていますし。言いたいことを言えず、目をつぶってじっと待っている時代でした。

第四章「目覚めを待つ」

古舘 眠りのあとにくるのは「目覚め」。この章では眠りからの目覚めを予感させる作品を展示しています。河口龍夫《関係―種子、土、水、空気》は、麦やたまねぎなど30種類の植物の種子が30枚の鉛の板に閉じ込められた作品。床の上に置いてある金属の管には、種子を発芽させるための土と水、空気がそれぞれ入っています。1986年にソ連の構成国だったウクライナ共和国で起きたチェルノブイリ原発事故に触発されて制作されたものです。

河口龍夫《関係―種子、土、水、空気》1986-89年 東京国立近代美術館

片桐 この方は、先程の闇を閉じ込めていた作品の方ですね。あちらの作品は闇が閉じ込められたままでしたが、ここにいる種子たちは、いつの日か目覚めることを待っているのか。こちらの作品はいろんな会社の写真だ。

ダニヤータ・シン《ファイル・ルーム》2011-13年 京都国立近代美術館

古舘 インドのいろいろな公文書館などのアーカイブルームの様子を撮影したものです。

片桐 書類って、使うか使わないかわからないけど法律で保存しておかなきゃいけないじゃないですか。使われない、つまり目覚めることがないまま、ずっと保存される書類もあるわけで。こういう保存の仕方も性格出ますね〜。

大辻󠄀清司《ジャンク箱の一つで、四十年眠ったままのスイッチが二つ入っている。》1975年 東京国立近代美術館

古舘 大辻󠄀さんの作品は大切にしまい込んでいたもの、使わないまま放置されていたもの、つまり眠ったままのものを集めた写真です。釘とかスイッチとか、メモ用紙とか…。

片桐 確かに「眠り」ですね。しかし、絶対目覚めないですよね。僕の部屋の引き出しの中もそう。わかっているんだけど捨てられない(笑)

第五章「河原温 存在の証としての眠り」

古舘 ここの章は少しテイストが異なります。河原温というアーティストだけを取り上げています。河原はメディアにほとんど顔を出さないアーティストとして知られています。毎日のように友人たちへ出す手紙やテレグラム(電報)、デイト・ペインティングという作品のみでその存在が確かめられているという存在です。

河原温《奈良原一高氏に充てた絵葉書、I Got Up(1968-1979)より》より
河原温《村上慶之輔氏に充てた電報、I Am Still Alive(1970-2000)より》より

片桐 みんな、きちんともらった手紙を取っておくんだなあ。えらい。そして、手紙には希少時刻が記載されてるんですね。とはいうものの、タイプライターで打たれているから筆跡もわからない。

古舘 「目覚め」をとても大切にしていた作家ですね。表舞台に立っていないから、外からは起きているか、寝ているのかわからないですし。存在の証として「目覚め」を用いていたのでしょう。

終章「もう一度目を閉じて」

片桐 「眠る」って、想像していた以上にいろいろな側面を持つことがわかってきました。

古舘 目を閉じるという行為だけでも、いろいろに感じ取れるようになりますよね。終章の「もう一度目を閉じて」では、あらためて眠っている人、目を閉じる人の作品を展示し、展覧会を締めくくります。

片桐 この顔だけの絵、すごいインパクトですね。尼さんなんですね。

金明淑《ミョボン》 1994年 東京国立近代美術館

古舘 金明淑は瞑想していたり、困っていたりする人の顔を大画面に描きつける作品で知られています。この作品はいったん会場を出て振り返ってみるのがおすすめです。

片桐 ん? どういうことだろう?

片桐 あ、すてきなフレームが。

古舘 記念写真を撮ってる人も多いですよ。

片桐 確かに、ここはすごくいい感じのフォトスポット。展覧会の終わりに写真を撮りたくなってきちゃいますね。

今回の展覧会は、ルーベンスから現代までいろいろな作品を見ることができてとても面白かったです。美術作品って、時代が進むにつれてわかりづらい作品が増えてきがちですけれども、「眠り」という切り口から作品に近づいていくことで、身近に感じられるように思いました。4万4千点ものコレクションが日本の国立美術館にはあるということなので、眠り以外のテーマの展覧会も見たいですね。

構成・文:浦島茂世 撮影:星野洋介

プロフィール

片桐仁 

1973年生まれ。多摩美術大学卒業。舞台を中心にテレビ・ラジオで活躍。TBS日曜劇場「99.9 刑事事件専門弁護士」、BSプレミアムドラマ「捜査会議はリビングで!」、TBSラジオ「JUNKサタデー エレ片のコント太郎」、NHK Eテレ「シャキーン!」などに出演。講談社『フライデー』での連載をきっかけに粘土彫刻家としても活動。粘土を盛る粘土作品の展覧会「ギリ展」を全国各地で開催。

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