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くどうれいんが語る、俳句・短歌への目覚めとインターネット 「全員を感心させるのではなく、たった一人を打ちのめす文章を」

リアルサウンド

20/8/1(土) 10:00

 くどうれいんは盛岡在住の作家であり、歌人であり、俳人であり、会社員である。2018年に盛岡の書店から刊行した、俳句と食にまつわる日記のリトルプレス『わたしを空腹にしないほうがいい』(BOOKNERD)は身のうちでパチンと弾けるような文章が評判を呼び、現在は8刷というリトルプレスとしては異例の売り上げに達している。

 待望のエッセイ集『うたうおばけ』(書肆侃侃房)が2020年4月29日に発売され、即重版が決定した。読者が「できすぎだろう」と思ってしまうほど面白いエピソードが記された39編は、すべてくどうの日常で実際に起きたことだという。

 ズブリと感性を貫く言葉を紡ぐくどう。しびれるように良いのに、だれかに説明しようとしてもその良さをうまく言葉にできない。“おばけ”のようにつかみどころがなく得体の知れない文章を生み出すくどうが歩んできた道を、本人と共に辿ってみた。(六原ちず)

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■ヒエラルキー問題もあり、「アンチケータイ小説」だった中学時代

――「くどうれいん(工藤玲音)」は本名だそうですが、由来を教えていただけますか?

くどう:最初はまったく別の名前になる予定だったそうです。織部とか備前とか寧々とか。ただ、私が生まれた時に霧雨が降っていたらしく、「玲」という漢字をどうしてもつけたかった父親が「これだ!」とひらめいて、親族の反対を押し切って「玲音(れいん)」に。

――くどうさんの文章の、気持ちいい音の感じにすごくぴったりな名前ですね。

くどう:うれしい。小学生の時に、子犬の里親募集所に行ったら、たまたま取材中の記者がいて、ニュースに本名が載ったことがあるんです。その後その記事が2ちゃんねるに晒されれて、「キラキラネーム」「名付けた両親の気が知れない」とかすごく叩かれて。『Serial experiments lain』という作品に岩倉玲音というあまり前向きでないキャラクターがいたらしくて。そんなこと両親は知らないんですけどね。でも、そのときに1人だけ、「この子が作家とかになったら、ペンネームっぽくていいじゃん」と書いてくれた人がいて、「あのときの“れいん”です。おーい見てるー!?」って思ってます(笑)。

――94年生まれのくどうさんは、「青春時代からのインターネット文化の影響は受けていると思う」とおっしゃっていますが、具体的にどんな文化の中で育ってきましたか?

くどう:iモードや着メロの世代で、LINEは高校になってから。中学生のころは、「GREE」とか「mixi」とか「前略プロフィール」が流行ってました。ホームページでは、アクセスカウンターやWeb拍手、ブックマークなんかが黄金期でしたね。あとブログパーツ。ユニクロの無料配布の時計のブログパーツがめっちゃ豪華で感動した記憶があります。それ以外にも、ちょうど「魔法のi らんど」(小説の投稿サイト)をきっかけに、『恋空』などのケータイ小説が爆発的に流行したころでした。

――「魔法のi らんど」で小説を書いたりは?

くどう:私はアンチ・ケータイ小説だったんですよ。読んではいたけれど、なんかドラマっぽすぎてムカついてた。死ねば感動すると思ってない?ってイライラして。学校でのヒエラルキーの問題もあったかも。ヒエラルキー上位のクラスメイトはかわいくてディズニーのスティッチとデイジーとミスバニーの小物を持っていてケータイ小説を好きだったんですけど、私はそいつらに入れなかった。そのことを「そもそもそのグループになんかはいりたくないし、ディズニーも携帯小説も馬鹿らしい」と思うことで、自分が「イケてない」のではないとどうにか思い込もうとしていたところもありました。

■“桃色の飴玉”がゾクゾクした、「私しか読んでいないかもしれない」普通のブログ

――『うたうおばけ』のあとがきに「日記ばかり書いている十代でした」と書いてあったのは、そんな時期だったんですね。FC2、Alfoo、Mobile Spaceなどたくさんのウェブサービスを使ってきたようですが、すべて並行して使っていたのですか?

くどう:いや、ハマって冷めて黒歴史になるごとに媒体を更新し続けてきたという感じですね。あまり人がいないうちにサービスを使い始めて、みんながやり始めるとダサい気がして別のサービスにいくみたいに、なるべく人がいないほう、同級生がいないほうを求めていました。アメーバブログは、みんながやっていたからやらなかったんですよ。

 当時のインターネットには、一般的なブログのほかに、「リアル」と呼ばれる簡易的なブログサービスがあって、今のツイッターみたいに、短文や写真だけで投稿していた。「24」って書いてリアル、「365」って書いてブログみたいに使い分けていました。リアルのほうは、とげとげしいことを言うのに便利で、当時は未成年飲酒をしていたりこっそり化粧をしている同年代をこきおろすようなことを書いていましたが、なるべく短い言葉で強いメッセージを言い切ることは俳句や短歌にも生きている気がします。一方、ブログのほうは、随筆みたいに長い文章を書くのに活きている感じです。

――最初に日記を書くのに使ったのは、どのサービスでしたか?

くどう:FC2ブログです。田舎の中学生って恋愛くらいしかすることがない。だから、そういう恋のことばっかり書く、ピンクの背景の“桃色の飴玉”っていうタイトルのブログをやっていました。れいんだから雨で、飴、恋してるから桃色っていう……(頭を抱える)。でも、恋愛のことを書くのはちょっと痛いなということにすぐ気づいて、「オモコロ」などのネタサイト、ネタブログで活躍しているARuFaというブロガーに憧れて日常生活を過剰に面白がるような記事を書くようになりました。でも、それをするには私はちょっといい子すぎて続かなかった。だからネタやウケをとることからも早々に手を引いて、気づくとわりと日常のことばかり書くようになりました。年上の人が書いている、普通のブログに憧れるようになった。

――なぜ「普通のブログ」に憧れるように?

くどう:同級生ってみんなギャル文字とかケータイ小説的なテキスト、あとは“///”で照れを表現したり、“滝汗”“orz”みたいな言葉ばっかり使っていたんです。そういうのにちょっと飽きてきたら、普通に正しい文章で書かれた独白のような赤の他人の普通の日記がとても染みて、かっこいい、おしゃれじゃんって憧れるようになった。パック寿司を買って帰るとか、習い事へ行く前に土手で本を読むとか、さぼてん運ぶのを手伝ったとか、天井が鏡のラブホテルで全裸の自撮りしたとか、そういうごく個人的な他人の日記なんですけど、みんな文章が異常にうまい。それでいて、いまのnoteみたいに「書きました!読んでほしいです!」みたいな押しつけがましさが一切ない。勿体ないって思いました。作文コンクール出せば賞とかとれそうなのにって。でも、だれに見せるでもなくそういう素晴らしい文章を書く人が当時のインターネットにはゴロゴロいたんです。

 今みたいに、話題になった文章がすぐに拡散されるみたいな下品さがなかったから、「この人の文章は、今、私しか読んでいないかもしれない」みたいな感覚に、すごくゾクゾクした。その人たちの日記はごく個人的なトピックスではあったものの、妙に客観視されているというか「あなたに向かって書いていますよ」という感じがとてもあったんですよ。詳細キボンヌ的なヲタスラングはあったものの、Twitter構文みたいなものも発達していなかったから、純粋にオリジナルにみんな文章がうまかった。だから中学生のときから、自分が醸したいと思う雰囲気は、自分より5歳くらい年上の大学生や社会人の淡々としたモラトリアム的な憂鬱さだったんです。

 インターネット上で日記を書くうちに、私にもそれなりに読者がつきました。その人たちは、東京の私大に通っているめちゃくちゃお嬢様の女の子だったり、富山で看護師をやっている年上のお姉さんだったり、中東でシンナーを吸ってると自称するお兄さんだったり、美大浪人生だったり。いろんな読者が増えていくなかで、個人特定に必要な細かいディテールはそぎ落としたり、やりすぎて臭いオチをやめるようになりました。

■かっこいい魔女たちに一生かわいがられたいと思った句会での経験

――お母さまと一緒に俳句の会に入ったのも、中学時代ですよね。

くどう:そうですね。句会での体験も、よくネット上の日記に書いていました。中学生にとって70歳の人って、自分のおじいちゃんおばあちゃんしか知らない。うちの祖父母は農家なので、でっかい皿にでっかい料理を作って、盆踊りを踊るみたいな感じ。でも、句会にいるじじばばって、結構おしゃれなんですよね。ストローハットをかぶっていたり、かわいいブローチをつけていたり、すごい色や柄のワンピースや着物を着ていたり。そして、「そこのお花がすごくきれいなのよ」とか「玲音ちゃんには、愛はまだ早いわね」とか、そういうことをうふふうふふと話しかけてくる。それが、ものっすごく楽しかった。魔女の集会に混ざっているみたいな感じです。

 「言葉の魔法」みたいな言い方は大っ嫌いなんですけど、短詩をやっている魔女みたいな女性って確実にいる。本当にかっこいい魔女がいっぱいいたので、「この人たちに一生かわいがられていきたい」って思いました。この出会いは大きかった。そして、そういう体験ができる同い年はそんなにいないというのもなんとなくわかっていたから、特別な気がしてすごく嬉しかったんです。

■高校時代の「実体験主義」を変えた、東日本大震災

――高校に進学してからは、岩手日報の随筆賞を最年少受賞や、盛岡短歌甲子園で団体優勝をされていますね。

くどう:文芸部の強豪校に通っていました。東北、特に岩手は全国高等学校文芸コンクールでも毎年上位入賞を輩出している文芸部のある高校がとても多くて。ひとりで俳句やったり短歌やったり随筆やったり小説やったり、多ジャンルで執筆する生徒がいっぱいいる。岩手はその中でも純文学的な作品を書く生徒が多いんです。ただ、高校文芸ってどうしても教育だから“高校生が自身の問題で挫折して立ち直る”みたいに、フィクションよりもノンフィクションで、等身大の高校生が等身大の傷つきをした方が、審査員が喜ぶんです。私も実体験が一番偉いと思っていたから、実体験にすごく囚われていた。

 でも、東日本大震災が起きた翌年の全国コンクールの上位受賞者が、軒並み沿岸部か福島の生徒だった。作品としては言葉が粗削りすぎてみていられないくらい残酷で痛々しいのに、沿岸の人たちが沿岸での実体験を書いたものが最優秀になる。被災地の子が東京の審査員から「いまこんなに大変な時に書いてくれたことが本当に偉い、すごい勇気だ」って評されて複雑な顔をしているのを見て、なんかポカーンとしてしまって。そのとき他人が誰かの人生とか境遇を物語化して評価することに対して、ものすごい暴力性と怒りを感じ、実体験を作品にすることや賞をとることについては、どうでもよくなったんです。

 盛岡は内陸部なので、震災から3日後にはもうテレビがつきました。パッとついた瞬間に、黒い波が街を飲み込む映像が流れた。意味が分からなくて笑っちゃったのを覚えています。人間は、マジで怖いと笑っちゃいますね。私自身は震災で傷ついていないのに、岩手出身だというだけで「おつらかったですよね」や応援しようみたいな声が届くのが気持ち悪かった。人が死んでいるのに、“希望”や“きずな”や“人の温かさ”という言葉が傷ついていない人から届いて、なんになるのか、とも。

 高校生だった私たちも盛岡市から被災地の復興支援のために“希望の短歌”をつくれと言われて、バカにしてるんじゃないか、と思いました。被害にあった人たちのことも、私たちのことも。

〈おめはんど顔ッコ上げてくなんしぇとアカシアの花天より降りけり〉

 でも、どうしても出さなければいけなくて、この短歌を出したんです。“おめはんど”というのは、岩手の方言で“あなたたち”という意味。イヤだったのに、結局、私も「顔を上げようよ」みたいな歌を作ってしまった。3月11日が来るたびに、この歌を出したことが果たしていいことだったんだろうかと、毎年考えます。

■「私の作品を読むときに、私の顔を思い浮かべてほしくない」

――先日の、『うたうおばけ』刊行記念トークイベント「かくおばけ」では、小説家の磯貝依里さん、エッセイストの生湯葉シホさんと対談するなかで、肩書をどうするかという問題が話題になっていましたね。

くどう:俳句や短歌と随筆など、どれが本業ですかと聞いてくる人がいっぱいいるんですけど、今まで話してきたような成り立ちで文章を書いてきたので、書きたい内容によって書くジャンルを選んで俳句や短歌や随筆にするのは私の中では自然な流れでした。

――肩書問題については、イベント共演者のおふたりから「くどうれいんは、くどうれいんでいいんだよ」と言われていましたが……。

くどう:俳人歌人エッセイスト作家、どれかを選ばなければいけないのかと思い悩んでいたのであの言葉にはマジで泣きそうになっちゃいましたね。だいぶ憑き物が落ちました。でも、私の作品を読むときに、私の顔を思い浮かべてほしくないという気持ちもあります。作品だけが歩いて行ってほしいし、作品だけで評価されたいんです。句会、歌会では作品の名前を隠してシャッフルして、おのおのが好きな作品を選んで、だれが書いたかわからないまま作品だけを見て評をするんですよ。だから、先生に全然票が集まらなかったり、突然ポッと来た人が票を獲得したりする。そういう風に、フラットにいろんな世代、性別、続柄の人とおしゃべりができるのがたのしくて、たのしいたのしいって言っていたらいつのまにかこんな風になって。だからこそ、「くどうれいんが書いたから……」って、わたしのパーソナリティーに紐づいた消費やコンテンツ化をされると、キェーッてちゃぶ台をひっくり返したくなる。

 それと、歌人や俳人と呼ばれることについては、やっぱり申し訳なさもあります。実際仕事と随筆の執筆に時間をとられて俳句と短歌にフルコミットできていない自分が、俳句や短歌ひとつを選んで魂を注いでいる人よりも「俳人歌人」として名前が売れてしまうかもしれない。自分なんかよりもすごい人が俳句や短歌の世界にはたくさんいるんだよ!と言いたいのにその釈明がなかなかできないような。だから、俳人、歌人とはあまり呼ばないでほしい感じは正直残っています。

 ただ、肩書について悩み続けはするけれど、わたしを「俳人」「歌人」と呼びたい人がお仕事をくださって、それをわたしがお金をもらってやっている以上、逃げるように「肩書がいや」みたいな話はやめようと思っています。お笑い芸人や歌手は、そうだと名乗って芸を披露することで生きている。お笑い芸人が「全然笑わせることができないのにお笑い芸人なんて申し訳ないです」って言っても、「は?」ってなりますもんね。だから句集とか歌集のことも、ちょっと本腰入れて考えたいなって。

■共感されたくて書いている訳じゃない

――「ソトコト」のインタビュー記事(https://sotokoto-online.jp/538)で「うまくなりたい」とおっしゃっていましたが、くどうさんのなかで“うまくなる”とは?

くどう:「わからないところがある」のが、うまさだといまは思っています。短歌を始めたときは、わかりやすいもの主義だったんです。高校文芸はわかりやすくてメッセージ性があるものが受けたので。でも、東北大学の短歌会に参加したら、ほかの人たちが読む歌が何を言っているのか、全然わかんないんです。ただ、においはする。なんかいいにおいがするんです。やり続けていくと、そのにおいの正体や違いがだんだんわかってくる。

 前に穂村弘さんの講演会に行ったとき、「サーファーになることができていたら歌人にはなっていなかったと思う」みたいなお話をされていたんですけど、わたしも似たようなところがあって。携帯小説好きになれないし、ギターはFが押さえられなくて諦めたし、剣道すぐやめたし、勉強からきしできないし、映画も座っていられないし、お菓子作るの下手だし。最終的に自分がちょっと得意かもって思えることが、なにかを書くということしかなかった。私が好きな俳人や歌人の友人たちは割と「短歌やらなくていい人生のほうが幸せだよな」と困った顔をしながらうれしそうにへらへらしているところがあって、いや、短歌があるから幸せなんですけどね絶対。でもその切実さが歌の深みみたいなものになっているかもって思うときがあって。どこから目線だよという話ですが、高校の時はなるべく多くの人が文芸をやるようになってほしいって思っていたのに、今は「何かを書くことのたのしさが必要な人にちゃんと届けばそれでいい」って思っているんですよね。

 「エモい」とか言ってよろこんで何か言った気になれる人に短歌なんて要らない。誰が見てもなにが写っているかわかる加工マシマシの写真じゃなくて、一見わけわかんない彫刻みたいなものがつくりたい。そういうつもりで書いているので、「ご自愛系」的な感じであっさり消費されることへのもどかしさがあります。

 自分が書くものって、自分だけが思っていること。私オリジナルの嫉妬とか、私オリジナルのむかつき、オリジナルのひねくれ、こだわりだと思っていたもの。だから、スペシャル独特だと思っていた自分の内面について、読んだ人から「すごくわかりますー!」と言われると、ちょっとずつ傷つくんです。“うまくなりたい”っていうのは、全員に好かれることではなくて、わかる人にしかわからないものを出したいんです。全員が膝を打つんじゃなくて、たった1人が悔しくて立ち直れなくなるような作品。

 あの時のインターネットにあった、“今たまたまここにたどり着いたあなたのためだけに書く”みたいな温度感を大事にしたい。だから、作品の感想で「うまく良さを言えないけど、とにかく読んで」と誰かに薦めてもらったり、「なんかわかんないけど悔しい」と言われたりすると、けっこううれしいです。

■SNS時代だからこそ、ホームページに帰ります

――そういえば、今回、くどうさんのブログを必死に探したのですが、ぜんぜん見つけられなくて……。

くどう:今、ブログは簡単には検索できないようにしていて。最近SNSで知らない人から気さくにくるDMやリプライにちょっと疲れて。思い切って公式ホームページを作っているんです。ブログもそこに構えます。Facebookをやめて、ツイッターとインスタグラムのダイレクトメールも閉じる予定。SNS時代だからこそ、私はホームページに帰ろっかな。ドットコムにこもろうかな、と。ホームページには、アクセスカウンターも実装する予定です。ホームページ黄金期のインターネットを知っているからこそ、「管理人様、貴重なスペース失礼します」という気持ちは忘れずに生きていきたいです。

■くどうれいん(工藤玲音)プロフィール
1994年生まれ。岩手県盛岡市出身・在住。会社員。樹氷同人、コスモス短歌会所属。著書に『わたしを空腹にしないほうがいい』(BOOKNERD、2018年)、『うたうおばけ』(書肆侃侃房、2020年)。共著に『ショートショートの宝箱Ⅰ・Ⅱ』(光文社)。「群像」(講談社)にて「日日是目分量」連載中、過去に「POPEYE」(マガジンハウス)にて「銀河鉄道通勤OL」連載(~2020.06)。HP:https://rainkudo.com/

(文・取材=六原ちず)

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