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山本益博の ずばり、この落語!

お気に入りの落語、その九『幾代餅』

毎月連載

第35回

(イラストレーション:高松啓二)

『幾代餅』ーハッピーエンドにして飛び切りのシンデレラストーリー

落語には必ず「オチ」「サゲ」があって、噺のほとんどは最後に大団円を迎えるのだが、なかでも『幾代餅』はハッピーエンドの結末にして、噺は飛び切りのシンデレラストーリーと呼んでよい。

『幾代餅』は『紺屋高尾』と同工異曲の噺だが、『幾代餅』は古くは古今亭志ん生が得意の持ちネタにして、長男の金原亭馬生、次男の古今亭志ん朝に伝承されたもので、『紺屋高尾』は、おもに三遊亭、柳家で継承されてきた噺、立川談志も『紺屋高尾』を高座にかけていた。

シンデレラストーリーと言うばかりでなく、噺に悪い人間がひとりも登場しない。『井戸の茶碗』もそうで、この手の噺を落語家同志では客受けする「儲かり噺」というそうだ。

『幾代餅』のシンデレラボーイは「搗米屋の職人清蔵」、『紺屋高尾』のシンデレラボーイは「紺屋の職人久蔵」だが、『落語登場人物事典』(白水社)を借りて「幾代太夫」と「高尾太夫」をご紹介しよう。

「幾代太夫」:吉原の姿海老屋で全盛を誇った花魁。大名のお遊び道具といわれる格式をもつ。搗米屋の職人清蔵が一年かけて金を貯めて会いに来たことに心を打たれ、香箱のふたを渡して、年季が明けたら夫婦になる約束をし、添い遂げる。夫婦で餅屋を始め、店の名を幾代餅とした。幾代の顔見たさの客で繁盛し、名物となる。三人の子をもうけ、天寿をまっとうしたという。

「高尾太夫」:吉原の三浦屋の花魁。入山形に二つ星、松の位の太夫職。七代続いたとも十一代続いたともいわれる高尾の五代目あるいは六代目という。花魁道中を見て一目ぼれした紺屋の職人久蔵が三年辛抱して十両の金を貯めて会いに来たことにほだされて、年季の明けた翌年春、晴れて久蔵の女房となる。親方からのれん分けをしてもらった久蔵の店を手伝う。店頭で働く高尾を一目見たいという客が押し寄せて大繁盛。「傾城に誠なし」というが、亭主に尽くし、子供も生まれ、安楽に暮らした。代々の高尾の中で最も幸せな生涯だった。

『幾代餅』の清蔵も『紺屋高尾』の久蔵も噺の上ではシンデレラボーイに違いないが、ハッピーエンドの結末を迎えたのは、二人の花魁を真のシンデレラに仕立て上げたからこそである。「純情」「誠実」「一途」など、落語に似つかわしくないものばかりを持ちあわせた登場人物だが、そこが聴き手の心に響く「儲かり噺」の所以であるに違いない。

私は、古今亭志ん朝の『幾代餅』をライヴで聴いているが、印象に強く残っているのは、金原亭馬生の『幾代餅』である。

今年3月に発売された『十代目金原亭馬生 東横落語会』(小学館)というCDブックの中に『幾代餅』が納められている。昭和54年11月30日第227回の高座の録音だが、これがまことに素晴らしい。当時、私は「東横落語会」の企画委員をしていて、この高座を1000人収容できる渋谷・東横ホールの後方座席で聴いていたはずである。

今、改めて聴いてみて、清蔵も幾代太夫も清々しい。そして、二人が所帯を持って、「幾代餅」という餅屋を開き、その餅屋での幾代の顔見たさに客が引きも切らずに押し寄せる件で、その噂を知らない奴にご贔屓の江戸っ子が「幾代餅知ってっか?」と声をかけると「なんだい幾代餅って?」と返してきたので、一言「死んじゃいな」と言い放つ。

ライヴで聴いたときは、この一言の面白さ、凄さに気が付かなかった。CDで耳を澄まして聴いたからこその馬生の極めつけの「名言」と呼んでいい。

COREDOだより 柳家さん喬の『幾代餅』

今年3月13日の第25回COREDO落語会では、柳家さん喬が『幾代餅』を高座にかけた。当日は、開口一番なしで、

  • 番 組
  • 近江八景
  • 三遊亭わん丈
  • 祇園会
  • 橘家圓太郎
  • 幾代餅
  • 柳家さん喬
  • 仲入り
  • 錦の舞衣(上)
  • 柳家喬太郎

という番組だった。

トリの喬太郎の「錦の舞衣」は1時間ほどかかる長講で、仲入り後一席だったが、中トリのさん喬師匠はその長講一席の邪魔をしないよう、熱演、力演ではなく、清蔵と幾代太夫の出会いこそ丁寧に演じながら、全体的には、あっさり目に仕上げた高座のように思えた。

そこで、数日後、さん喬師匠にメールでお尋ねをした。「『幾代餅』はどなたに教わったのでしょうか?」と。すると、すぐに返信があり、次のような一文を送ってくださった。ご本人の了解を得たうえで、ここにご紹介させていただく。

先日はありがとうございました。
紺屋高尾も幾代餅も両方教えて頂きました。
紺屋高尾は文朝師匠、幾代餅は円菊師匠、です。
先に紺屋高尾を教えて頂きましたが、いつの間にか幾代餅を掛ける頻度が多くなり、今は紺屋高尾はやる事が無くなってしまいました。
ストーリーは殆ど同じで、ただ紺屋高尾の方は先に高尾の花魁道中を観て、それから高尾に憧れる、幾代餅は錦絵の幾代を観て憧れる、そこの違いがあるくらいで、ウブな男の純情さには変わりが無いと思います。
ただ、幾代餅の清蔵の純情さが爽やかな気がします、これは演者の表現によってかもしだす雰囲気の違いと思いますが。また主人公を取り巻く人々も幾代餅の方が純情な部分が多い様に思います。
世相としても、幾代餅の方が身近に想えるかもしれません。
絶対に手の届かない高嶺の花。その花魁の方が男の純情にほだされる、その花魁の心は男の純情さに優る純情さなのかとも思います。
高尾と幾代を二人を並べてみたら、ひょっとして幾代の方が身近な美しさなのかとも思ったりします。
三遊亭と古今亭の違いかも? そんな事はないですね!
やはりどちらも良い噺ですが、当節高尾はやる方も少なくなりましたね!

「幾代餅の清蔵の純情さが爽やかな気がします」という一言に、さん喬師匠の『幾代餅』が集約されていたのですね。

プロフィール

山本益博(やまもと・ますひろ)

1948年、東京都生まれ。落語評論家、料理評論家。早稲田大学第ニ文学部卒業。卒論『桂文楽の世界』がそのまま出版され、評論家としての仕事がスタート。近著に『立川談志を聴け』(小学館刊)、『東京とんかつ会議』(ぴあ刊)など。

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