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ポン・ジュノは初めからポン・ジュノだったーー『パラサイト』でアジア映画初の偉業を果たすまで

リアルサウンド

20/2/18(火) 12:00

 ポン・ジュノ旋風が吹き荒れている。監督作『パラサイト 半地下の家族』が、カンヌ国際映画祭で韓国映画に初の最高賞パルムドールをもたらしただけでも快挙だが、その勢いに乗って、同作がアカデミー作品賞、監督賞、脚本賞、国際長編映画賞の主要4部門を獲得するという、韓国はおろかアジア映画初の偉業を成し遂げたのだ。

参考:『パラサイト』はなぜオスカーを受賞できたのか? 日本映画にはなかった韓国の“長期的視点”

 とくにアカデミー賞の受賞は、これをきっかけに、韓国映画をはじめアジアのエンターテインメントが、広く世界で勝負できるようになる可能性が生まれたと言っても過言ではないだろう。そんな功績を成し遂げることができたのには、韓国映画自体の総合的な躍進や、韓国の財閥CJグループの援助など、噂されたり分析されたりしているような、様々な要素が関係しているのは確かだろう。

 しかし、あくまで主要因は作品そのものであるはずだ。そして、それを作り上げたのが、ポン・ジュノ監督の圧倒的な才能であることを忘れてはならない。ここでは、そんなポン・ジュノ監督の凄さについて、主要な過去作を振り返りながら述べていきたい。

 大学の社会学科に在学していたポン・ジュノは、短編映画で頭角を現し、優れた人材を養成する韓国国立映画アカデミーに入学した経歴を持つ。そこでわずか1年勉強しただけで、作品が複数の国際映画祭に招待されるという事態が起こる。ポン・ジュノは、もう初めからポン・ジュノだったのである。

 劇場デビュー作である『ほえる犬は噛まない』(2000年)の時点で、すでにポン・ジュノ監督の圧倒的な才能は大きく花開いていた。この作品で、すでにいくつかの世界的な賞を獲得しているが、ここで世界三大映画賞の主要な賞を獲得していたとしても、何の不思議もないレベルの作品である。そう、いまから数えて、20年遅かったのだ……!

 団地の小型犬連続失踪事件を、ペ・ドゥナ演じる経理係の女性が追うという、その後の作品群と比べると、ちょっとほほえましさを感じるミステリー作品だが、巨大な団地を幾何学的にとらえた撮影や、坂道を転がるトイレットペーパーの動きなどのアーティスティックな映像美が見事だ。すでに本作で、『パラサイト 半地下の家族』に至る素地は完成していたと言ってもいい。

 そしてその3年後、ポン・ジュノの名を広く知らしめた第2作である、当時未解決だった連続殺人事件を基にした『殺人の追憶』(2003年)が公開される。この作品を鑑賞したほとんどの観客と、この感覚は共有できると思うが、たった2作目でここまでの領域にまで到達するというのは、ほとんど信じ難い事態である。

 重厚感のある撮影、硬質な人間ドラマ、観客の心理をコントロールする演出、皮肉漂うユーモア、韓国の歴史への批判的な視点、そして全体に漂うミステリアスな雰囲気など、そのどれもが高いレベルに到達している。あまりの万能的な才能に、黒澤明監督やスティーヴン・スピルバーグ監督の名を出して激賞する者は、公開当時一人や二人ではなかった。

 ここまでで、すでに国際的な賞の獲得数は、おびただしいものとなっている。とはいえ、世界三大映画祭最高賞や、アカデミー賞への道はまだ遠かった。この『殺人の追憶』を最高傑作だとする観客も多いが、その後、ポン・ジュノ監督はまだまだ進化していく。

 『グエムル -漢江の怪物-』(2006年)は、一風変わった怪物映画である。ポン・ジュノの出身地でもある首都ソウルに流れる雄大な流れである“漢江(ハンガン)”流域を舞台に、ソン・ガンホやペ・ドゥナらが演じる、どこか頼りない家族が集まって、謎の怪物に連れ去られた一家の大事な子どもを、韓国政府に追われながら捜索するという内容。未知のウィルスによる騒動や、それにまつわる情報の錯綜と混乱が引き起こす人権弾圧など、社会的な側面は深化し、複雑かつ立体的な像を結んでいく。薬剤が散布されるシーンの美しさも忘れられない。

 ポン・ジュノ監督作品の様々なシーンが印象に残るのは、絵作りの美しさ、面白さが突出しているからだ。これは、本人がもともと漫画家志望だったことが大きい。日本の漫画やフランスのアーティスティックなコミック(バンド・デシネ)を参考にするほどの漫画好きであることが、より具体的かつ立体的で緻密な画面設計を可能とした。この技術による瀟洒な画面こそが大きな武器なのである。

 次に紹介するのは、身が震えるほどの傑作『母なる証明』(2009年)である。私自身がそうであるように、これがポン・ジュノ最高傑作だと考える観客も多いはずだ。少女殺人事件の容疑者とされた青年と、その容疑を晴らそうと奔走する母の物語。この簡単なあらすじを聞いて観客が予想する展開を、作品は遥かに超え、彼方までぶっ飛んでいく。

 興味深いのは、ここで描かれる人間の奥深さやおそろしさである。観客が一見して、登場人物の特徴を理解したと思ったら、それぞれに意外な一面が顔を覗かせるのである。そんな二面性が生む人間ドラマが絡み合っていく、複雑ながら見事な脚本と、陰影や意外な構図など、人間の内面を効果的に見せる演出が素晴らしい。「韓国の母」と呼ばれるキム・ヘジャを、主役である母親役に迎えたことで、とくに韓国の観客は阿鼻叫喚の境地を味わったであろう。

 この作品において、道端で放尿する最中の息子に、母親の手で漢方の飲み薬を含ませる姿を、上からの角度でとらえた構図は、映画史に残る、良い意味で狂ったカットである。こんなめちゃくちゃなシーンを、他の映画で見たことがあるだろうか。天才であるにも程があるのではないか。

 その後、監督としては、慣れないハリウッド進出作で苦戦したものの、貧富の格差問題を分かりやすく視覚化した『スノーピアサー』(2013年)、Netflix製作で、搾取の構図を残酷に、しかし弱い立場にいる者を共感を持って描いた『オクジャ/okja』(2017年)によって、ポン・ジュノ監督の才能は、国が変わっても問題なく通用する普遍性を持っていることが証明されている。

 ここまで書いていくと、いままでの作品の要素は、どこかで『パラサイト 半地下の家族』とリンクしていることが分かるだろう。それらの要素が含まれるだけに『パラサイト 半地下の家族』は、いつでも作品の内容に驚かされてきた、ポン・ジュノ監督のファンとしては、じつは意外性が少ないように感じられる作品だということも言える。つまり『パラサイト 半地下の家族』は、監督自身のセルフオマージュ的な作品であり、だからこそ完成度が高まり、多くの観客の心をとらえたということも、いえるかもしれない。そして、ポン・ジュノ監督作に初めて触れる観客であれば、その衝撃は計り知れないだろう。

 とはいえ、他の作品と比べると、一長一短、どちらが優れていると即答するのは難しい。ポン・ジュノ監督の凄いところは、『パラサイト 半地下の家族』が、その質だけを見れば、とくに特別な作品ではないという点である。その、誰にも有無を言わさぬ規格外の才能を持ってして、初めて“奇跡”と呼ばれる現象が起こせたのだ。

 唯一の問題は、ポン・ジュノ監督がアメリカで名声をつかむまで、やはりあまりにも長くかかりすぎたということだろう。獲るのなら、もっと前に獲れたはずなのだ。その考え方でいくと、今日の快進撃は、“奇跡”というよりは、むしろ、ここまであからさまな才能を長年認知できなかった、もしくは正当に評価できなかった側に落ち度があるのではないか。『パラサイト 半地下の家族』は、その意味で私を含めた、ファナティックな一部のファンにとっては、嬉しい反面、少し複雑な気持ちになる人気作でもある。

 だが、どういう立場であれ共通するのは、ポン・ジュノの次回作が楽しみだという期待を、みんなが持っているということだ。ここまで短期間で一気に注目され、期待された映画監督が、あらゆる意味で圧倒的な力を得て、次に何を描くのか。その凄まじい才能がどこにたどり着くのか。これ以上に刺激的なことが、いまの映画界に他にあるだろうか。(小野寺系)

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