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田中泰の「クラシック新発見」

20世紀のクラシック界を変えた名教師の肖像 “マドモアゼル” ナディア・ブーランジェ

隔週連載

第16回

『マドモアゼル』のビデオとDVD

アルゼンチンの作曲家にしてバンドネオン奏者、アストル・ピソラ生誕100年のメモリアルイヤーを迎えた2021年のクラシック界。そのピアソラについて語られる際に必ずと言っていいほど目にするのがナディア・ブーランジェの名前だ。

当時30代だったピアソラにとってカリスマ音楽教師ブーランジェとの出会いはまさに人生を変える出来事だったに違いない。タンゴを離れ、本格的なクラシックの作曲家になるためにパリ留学を果たしたピアソラだったが、ブーランジェに披露した自作はあえなく撃沈。彼女の求めに応じて仕方なく演奏したタンゴが激賞されたのだから人生はわからない。「これこそがピアソラ。この音楽を決して捨ててはいけません」というブーランジェの言葉が、その後のピアソラの指針となったことは今や伝説。その後タンゴをベースとした独自の音楽で時代を切り開いたピアソラは、ブーランジェへの敬意と感謝を生涯忘れなかったというのも素敵だ。

筆者所有のナディア・ブーランジェの切手

“マドモアゼル”の愛称で親しまれたナディア・ブーランジェ(1887-1979)は、ストラヴィンスキー、ラヴェル&プーランクなど同時代の優れた作曲家たちと親しく交流したほか、多くの優れた音楽家を世に送り出した名伯楽だ。Wikipediaには「フランスの作曲家・指揮者・ピアニスト・教育者(大学教授)。最高水準にある音楽教師の一人として知られ、20世紀の最も重要な作曲家や演奏家の数々を世に送り出した」と書かれている。

注目すべきは彼女が弟子として教育し、世に送り出した音楽家の顔ぶれだ。作曲家においては、前述のピアソラを筆頭に、エリオット・カーター、フィリップ・グラス、アーロン・コープランド、レナード・バーンスタインなどなど。演奏家では、ディヌ・リパッティ(ピアノ)、クリフォード・カーゾン(ピアノ)、ジョン・エリオット・ガーディナー(指揮)、ヘンリク・シェリング(ヴァイオリン)、ジネット・ヌヴー(ヴァイオリン)、ダニエル・バレンボイム(指揮&ピアノ)など、錚々たる顔ぶれが名を連ねる。

更に凄いのはクラシック・ジャンル以外だ。アメリカン・ポップスのレジェンド、クインシー・ジョーンズ、フランス音楽界の超大物ミシェル・ルグラン、そしてジャズ・ピアニスト、キース・ジャレットなど、音楽史にその名を刻む重要な音楽家たちが彼女の下から巣立っていったことはまさに奇跡のような出来事だ。そして彼らの多くが自叙伝やインタビューを通じて“マドモアゼル”への感謝の言葉を口にしていることはとても印象的だ。その理由はいったいどこにあるのだろう。

ブルーノ・モンサンジョンのパリの自宅で『マドモアゼル』のビデオと共に

最晩年のブーランジェの指導の様子を捉えた貴重な映像が残されている。撮影したのはグレン・グールドなど、様々な音楽家たちの映像作品を制作したフランスの映像作家ブルーノ・モンサンジョンだ。映像作品のタイトルは『マドモアゼル』。当時90歳のブーランジェが幼いエミール・ナウモフ(ピアノ)を指導する姿は、まさに音楽のみに奉仕する真摯な“マドモアゼル”そのものだ。亡くなる直前には「教え子たちを愛しています。そして教えることも好きです。教えることは狂おしいほどの喜びです。彼らが自分を表現できるように導くのです」と語っていたブーランジェ。この想いこそが20世紀のクラシック界を変える原動力だったに違いない。

9月16日は、“マドモアゼル”ナディア・ブーランジェの134回目の誕生日だ。筆者がナビゲーターを務める「J-waveモーニングクラシック」では、9月13日から16日までの4日間に渡って、ナディア・ブーランジェの弟子たちの音楽を特集する。バーンスタインがブーランジェに捧げた「あなたから受けたすべての恩義は、決してお返しできないほどです」という言葉が心に残る。

バーンスタインとブーランジェ

プロフィール

田中泰

1957年生まれ。1988年ぴあ入社以来、一貫してクラシックジャンルを担当し、2008年スプートニクを設立して独立。J-WAVE『モーニングクラシック』『JAL機内クラシックチャンネル』などの構成を通じてクラシックの普及に努める毎日を送っている。一般財団法人日本クラシックソムリエ協会代表理事、スプートニク代表取締役プロデューサー。

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