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『閉鎖病棟』が問いかける“閉鎖”の意味とは? 24年間、読みつがれる原作小説から紐解く

リアルサウンド

19/10/26(土) 8:00

 笑福亭鶴瓶、綾野剛、小松菜奈ら実力派俳優が熱演する映画『閉鎖病棟 ―それぞれの朝―』が、11月1日に封切りされる。精神病棟というモチーフも話題を集める一作だ。1995年に山本周五郎賞を受賞した原作小説『閉鎖病棟』(帚木蓬生)は、24年経った今、再度映画化されるほどに、長く読みつがれている作品である。※1

 映画作品と原作小説では、時代背景や視点など、いくつか違いが見られる。この記事では、原作小説から『閉鎖病棟』という作品に触れていきたい。

現職精神科医による、過不足なしの”リアル”な描写

 『閉鎖病棟』の作者、帚木蓬生氏は、現職の精神科医である。だが、ストレートに医者を目指したわけではなさそうだ。東京大学仏文科卒、TBSに勤務後、九州大学医学部にて医学を修めている。彼が「小説」という表現形態を取り得たのは、その経歴ゆえだろう。

 さて、そんな作者によるこの一作では、驚くほど淡々と入院患者の日々の様子が描かれている。入院病棟の日常を「映像」という形で表現したとき、そのインパクトは大きいだろう。朝から大声で勤行を上げるドウさん、前髪を抜くことに執念を燃やすダビンチなどの患者を見て、”普通”だと思う人はまずいないはず。しかし、この小説での日常描写は、フラットだ。文章を読み、思い描く”非現実的”な光景と、あくまで平静を保つ表現に、ミスマッチすら覚える。読者が感じる異様さに、文章がフォーカスしてこないからだ。彼ら患者にとって当たり前の日常が、何も削らず、何も足さず、ありのまま綴られている。現役精神科医ならではの表現だ。

 タイトルから、ホラーやサイコミステリーといったジャンルを連想する人もいるかもしれない。しかし、本作はそういった”非現実的”な体験を得る作品ではない。関係のない時代・場所の、関係のない人々の日常に、普遍的な悩みや課題を見いだせる。作中では「とある殺人事件」が起こるが、それが精神病棟だから起こり得たと言う人はいないだろう。

チュウさん、昭八、秀丸、由紀ーーそれぞれの過去と苦悩、家族

 映画では笑福亭鶴瓶演じる「梶木秀丸」を中心に構成されているようだが、小説では群像劇の形を取り、チュウさん、由紀、秀丸、昭八にそれぞれスポットが当たる。チュウさんは精神分裂病と診断され、四王子病院の桜病棟に入院している。過去、病気からくる幻聴に苦しみ、発作的に父親に手をかけた。幸い未遂に終わったが、それがきっかけで、もう30年以上入院生活を続けている。入院生活でチュウさんと特別親しく交流を重ねる昭八ちゃんは、精神薄弱という病名がついている。発話が自由ではない分、動作でのコミュニケーションに長けている。秀丸さんは、殺人による死刑宣告を受け、執行されるも、息を吹き返し社会に放り出された。二度死刑を執行することはできず、死ねなかった秀丸さんには戸籍すら残らなかった。書を得意とする穏やかな性格で、チュウさんはよく、彼の車椅子を押して外出する。由紀は、不登校が理由で通院する女子中学生である。愛らしい見た目を、チュウさんが”見初め”、純粋な好意を寄せている。若さや美しさへの憧憬が、チュウさんの日常を鮮やかに彩る。

 彼らは、胸が重く、苦しくなるような事情を抱えている。親族間殺人の描写が多いが、それは舞台設定の特殊さに拠るものとは言い切れない。統計では、殺人事件の被害者の親族が被疑者である割合は、近年ますます高くなっている。※2

 家族という存在は、美しい言葉で語られがちだ。しかし実際のところ、あり方は無数に存在する。作中に登場する入院患者の中で、頻繁に家族や親族と会える者は多くない。入院患者の家族への思いも、家族からの入院患者への処遇も様々だ。チュウさんは、月に一度、母親の顔を見に実家へ帰る。母親は喜ぶが、同じ敷地に住む実妹やその家族は疎ましさを隠せない。

 家族は「精神病患者」と向き合わざるを得ない。登場人物に感情移入すると、家族の非情さに憤りさえ感じる。しかし、自分がその家族だったら、と考えたとき、憤りは迷いに変わる。チュウさんを厄介払いする実妹やその家族の苦悩は、ラストに、断片的な形で言及される。病で苦しむのは、家族も同じだ。まるで家族同士負の鎖で結ばれているようにも見える。だが、簡単に解けないからこそ、そこに強力な”関係性”が生まれる。本人たちの幸不幸には関わらず、やはり「家族」は「他人」にはなれないのだと私は感じた。人としてあまりにも初歩すぎるその感想は、複雑に絡まった彼らの関係性からも見て取れるのである。

「閉鎖」とは何なのか?

 『閉鎖病棟』というタイトルの印象とは裏腹に、チュウさんの毎日は存外と自由だ。外出への制限は殆ど受けない。混乱が激しい患者や、周囲に危害を及ぼす恐れのある患者は、保護室などに入れられて身動きが取れなくなるが、それをチュウさんは「仕置き」とみなしている。拘束衣や鍵を使った厳重な「閉鎖」は、チュウさんとは関係ない。しかし、一見自由が利く生活の中にこそ、黒く淀む「閉鎖性」は姿を認められる。

 この小説の登場人物は、三種類に大別される。患者と病院関係者、そして患者の家族だ。作中には、どういう立場にしろ、精神病患者を”知る”人しかいない。そこに人がいること、そして、そこにいる人を理解していると思っている人しかいないのだ。

 ”普通”の社会生活において、全てを知っている、ということはまずない。隣人の年齢ですら知らなくて済む世の中だ。多くの人は知っているだろう。世の中は僅かな知っているものと、多くの知らないもので構成されていることを。

 だが、世界のすべてが「知る余地がないもの」で構成されたとき、そこに閉鎖性が生まれると私は考える。わかりきった日常、よく見知った相手、何十年と続くルーティン。そういったものが、『閉鎖病棟』の描写からよく見て取れた。

 「知ろうともしない」ことが築く壁は大きい。作中付きまとう、諦め、未練、悔悟、忌避などは、知る余地のない「狭い毎日」において、逃れられない宿命のように思えた。本作では、医師が患者の意思を軽視したり、患者の横暴に対して病院側が手を打てなかったりという問題に対して、正解は示されない。だが、「相互理解」が重要なキーワードになりそうだ。病院関係者や患者が、お互いを、そして仲間を新たな角度で捉えた時、状況は変化する。知ることが、「狭い毎日」の幅を広げたのだ。

 はたして、「閉鎖病棟」とは、施錠による閉ざされた空間のことを指すのだろうか?

 最初チュウさんが自由に病院内を闊歩し、街に出る描写に触れたとき、私はタイトルに疑問を持った。しかし、読後の今、物理的な制約こそが人を閉じ込めるのだとは到底思えない。

 『閉鎖病棟』における「閉鎖」の意味を、私は「知る余地のない狭い世界での閉鎖性」と見出した。が、それも私の狭い見識の中の話でしかない。この四文字の意味を各々が知ろうとしたとき、その意味は浮かび上がってくるのだろう。

※1
2001年、イーハーフィルムズにより『いのちの海 Closed Ward』というタイトルでも映画化された。

※2
平成30年版 犯罪白書 第6編/第1章/第5節(法務省)より
http://hakusyo1.moj.go.jp/jp/65/nfm/n65_2_6_1_5_0.html

■まさみ
フリーライター。漫画・ゲーム・読書など主な趣味はインドア。広告代理店でコピーライターとして勤務後、独立。食らいついたものは、とことん掘り下げるタイプ。 @masami160206

■書籍情報
『閉鎖病棟』
帚木蓬生 著
価格:737円(税込)
判型:文庫
公式サイト:https://www.shinchosha.co.jp/book/128807/

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