Download on the App Store ANDROID APP ON Google Play
Download on the App Store ANDROID APP ON Google Play

葛西純自伝連載『狂猿』第13回 相次ぐ膝のケガとホテルで体験した心霊現象

リアルサウンド

20/7/18(土) 12:00

 葛西純は、プロレスラーのなかでも、ごく一部の選手しか足を踏み入れないデスマッチの世界で「カリスマ」と呼ばれている選手だ。20年以上のキャリアのなかで、さまざまな形式のデスマッチを行い、数々の伝説を打ち立ててきた。その激闘の歴史は、観客の脳裏と「マット界で最も傷だらけ」といわれる背中に刻まれている。クレイジーモンキー【狂猿】の異名を持つ男はなぜ、自らの体に傷を刻み込みながら、闘い続けるのか。そのすべてが葛西純本人の口から語られる、衝撃的自伝ストーリー。

関連:“デスマッチファイター葛西純が明かす、少年時代に見たプロレスの衝撃 自伝『狂猿』連載第1回

■相次ぐ大きなケガ

 デスマッチをしていると背中に裂傷を負うとか、何針も縫うとかは当たり前なんだけど、欠場するような大きなケガというのは意外と何気ない場面でしてしまうものなんだ。

 2007年11月26日、大日本プロレスの後楽園ホール。俺っちは谷嵜なおきと組んで、佐々木貴&宮本裕向と有刺鉄線ボードタッグデスマッチに挑んだ。試合の終盤、俺っちは場外で貴と揉み合っていて、チョップを打とうと思って左足を踏み込んだ瞬間に左膝がベキベキベキっと音を立てた。激痛が走ったけど、お客さんはリング上の宮本と谷嵜に注目してるから、俺っちの異変には気づいていない。試合はそのまま宮本と谷崎の間で決着がついて、俺っちは控室まで脚を引きずりながら帰ってきた。

 すぐに病院に行って診てもらったら、左膝の半月板損傷。半月板がめくれあがって関節に挟まってるような状態で、除去しなくちゃいけない。手術後は1週間くらいで退院できるけど、普通に歩けるようになるまで2カ月、試合をするには半年ぐらいかかると言われた。

 内臓疾患から復帰したばかりなのに、また半年も休場することになってしまった。プロレスとかリハビリとか考える前に、生活していけない。カミさんに相談したら、その時にカミさんが勤めていた会社がいろいろなホテルにアメニティを卸してる会社で、そのツテでラブホテルの清掃の仕事を紹介してもらった。

 俺っちはプロレスラーになってからもいろいろバイトをしてきたけど、やっぱりどこかで誰かに見られたら嫌だなと思っていた。でも、ラブホテルの清掃なら人目につかないし、逆にお客さんと極力会わないようにしなきゃいけない。これはいいかも、と思って面接に行ったら、そのホテルの支配人がプロレスファンで、面接中はプロレスの話だけして『じゃあ明日から来てください』ということになった。

 そこは50室以上もある巨大なホテルで、お客さんもバンバン入るから清掃もかなり忙しかった。それでも、このナイトクリーニングは俺っちに向いていたようで、雨の日も雪の日も風の日も原付きで通って働いた。ホテルを行き交う人たちの人間模様も垣間見れたし、働いてる人たちにも良くしてもらって、自分の人生の中でも勉強になったことがたくさんあった。

■ラブホテルでの心霊体験

 それ以外にも、ホテルによくある心霊現象みたいなことにも遭遇した。まぁ、わざわざ書くことじゃないし、いまとなっては本当にあったことなのかどうかもわからない。大前提として、あの頃は疲れが溜まっていたし、常に寝不足だったし、とにかく普通の精神状態ではなかった。

 ホテルの清掃の仕事っていうのは2人1組でやる。お客さんがチェックアウトすると、フロントから指示があって、2人1組で部屋に入って清掃を始める。それが終わったら、今度は「点検確認者」という係がいて、部屋に独りで入って最終チェックをして、OKが出たらその部屋を空室にして売りに出す、という手順だ。

 ある日の、夜中の2時か3時ぐらいだったかな? その日は俺っちが点検係だったから、清掃が終わった部屋にチェックに入ってくれっていわれて、了解って、その部屋に入った。ゴミの取り忘れがないかとか、アメニティの置き忘れがないかとかを確認してたんだけど、そこの部屋は岩盤浴がついていて、そこもちゃんと清掃できてるかをチェックしなくちゃいけない。それで岩盤浴の部屋に入って汚れがないかとかを見てたら、俺っちの斜め後ろくらいに誰かの視線を感じるんだよ。

 その時は普通に、スタッフの誰かが作業を急かすために来たのかな、なんて思って部屋の中を見渡したんだけど誰もいない。気のせいかな、と岩盤浴の部屋に戻って床をチェックしてたらまた視線を感じる。 

 それで今度はそっと、顔を少しだけ後ろにゆっくりと振り向いてみたら、テレビとベッドの間にでっかい真っ黒い影がいた。これはもうヤバい、見てはいけないものを見てしまったと直感して、すぐ点検をやめて、その影のいる所は見ないようにして部屋を出て、フロントに無線で「異常ありません。売ってください」と告げて、違う部屋で点検作業を続けた。

 それから1カ月くらい経った後に、また点検の係になった。その時も夜中の2時くらいに「点検入ってください」っていわれて行ったら、また岩盤浴の部屋。まぁしょうがねえやと、ちょっとビビりながらも点検を始めて、風呂場をチェックしてたら後ろから視線を感じる。なんだよと思ってパっと振り返ったら誰もいない。

 気持ち悪いなと思いながら点検してると、また視線を感じるから、目だけでそーっと後ろに目線を向けたら、風呂の入り口のドアの上のあたりに、おかっぱ頭で顔がのっぺらぼうの赤い着物着た女の子がいて、その娘の首が音もなくニューって伸びていった。うわ~と思って速やかに作業を終えて部屋を出て、フロントに無線で「点検終わりました。売ってください」と報告した。

 その日の休憩時間に待機室に行ったら、同じバイトで働いてる、霊感の強いと皆から言われてるおばさんがいた。何気なく「ちょっと前にでっかい黒い影を見て、今日はのっぺらぼうで赤い着物きたおかっぱ頭の女の子を見たんですよ」って言ったら、一発で「それ、岩盤浴の部屋でしょ」と当てられた。「私も最近あの部屋入るとすごい気持ち悪くて、色んなもの見るのよ……」。おばさん曰く、その部屋で人が死んだとかそういうことじゃなくて、ラブホテルっていうのは、色んな事情を抱えた男と女が出会う場所だから、そういう人たちのマイナスの念だけが残って、その部屋にずっと漂ってるということだった。

 まぁ、何が言いたいのかのというと、こんな経験をするぐらいナイトクリーニングを続けていた、ということ。試合が終わった後はさすがにバイト入らなかったけど、試合前日の夜から朝の5時まで働いて、家に帰って来てちょっと寝てから試合会場に向かう、というのはよくあった。トータルで5~6年はやっていたから、やっぱり向いていたのかもしれない。

 バイトしながらも左ヒザのケガはなんとか回復して、2008年6月13日に半年ぶりの復帰戦をすることになった。休場している間に大きく変わってしまったのは、アパッチプロレスから金村さんがいなくなってたことだった。事件はオレっちの欠場中に起きていたことだから、詳しい事情はわからない。だから、金村さんとは挨拶をする間もないまま、進む道が違ってしまった。

 この復帰戦は、アパッチにとっても活動再開の第一線で、俺っちはジ・ウインガーとデスマッチで戦った。休んでた分を巻き返さないといけない。所属のアパッチだけでなく、いろんな団体に参戦した。DDT、トリプルシックス、阿佐ヶ谷プロレス……新宿二丁目プロレスの旗揚げ戦にも出た。大日本プロレスでは、デスマッチヘビーのチャンピオンだったシャドウWXと横浜文体でタイトルマッチにも挑んだ。蛍光灯ボードに、鉄檻、それに激辛のデスソースを振りかけあうような展開で、それなりに狂った試合にはなったけど、ベルトには届かなかった。

 年末の葛西プロデュース興行で、MASADAとカミソリマッチをやったのも印象深い。MASADAは、以前から大日本に上がってたけど、持ち味が発揮できてないと思ってたから、この試合で覚醒させたいと思ってた。思惑どおり、この試合のあとぐらいからMASADAは風格が出てきて、アメリカでもデスマッチキングと呼ばれるくらいの存在になっていった。

■2009年の葛西純

 2009年の頭から、アパッチプロレスは新体制で再スタートを切ることになった。所属選手は、葛西純、佐々木貴、マンモス佐々木、黒田哲広、GENTARO、ジ・ウインガー、神威の7人。1月16日には新木場で新体制による最初の興行が開催され、俺っちは佐々木貴と「アパッチ式デスマッチ」で戦った。

 2月からは大日本プロレスの最挟タッグリーグ戦がはじまり、俺っちは沼澤邪鬼との045邪猿気違’sで出場。その最中に、大日本プロレスが初めて新木場ファーストリングで大会をやるということになり、その一発目のメインはインパクトが欲しいということで、あえてタッグを組んでる俺っちとヌマでシングルをやることになった。

 試合形式は「13日の金曜日イヴ三途の川に架ける橋~madness of massacre」と名付けられ、高さ3メートルの足場を組んで、リングの内外に蛍光灯が散乱するようなハードな展開になった。俺っちは新木場の壁をよじのぼって、看板の一番上からのダイブも敢行した。

 この試合の2日後、練習中に右膝の半月板を損傷したということで、葛西純の欠場が発表された。いまだから言うけど、この時のケガは試合や練習中に負ったものではない。ヌマとの試合の翌日、いつものように清掃バイトに入って、夜の19時から朝の5時まで働いていた。

 俺っちは風呂の清掃を担当していて、しゃがんで作業すると腰に響くから、横すわりの体制で床を拭き上げていた。もうそろそろ大丈夫かなと思って、拭き残りがないか確認しようとそのままの姿勢で上体だけちょっと後ろに捻ったら、右膝がベキベキベキって音を立てた。もう何度も経験してるから『これはもう動けないやつだ』と瞬時に悟った。清掃は二人一組で、その時のパートナーがフィリピン人のリンダさんっていう女性だったので、俺っちはなんとか手を伸ばして風呂のドアを開けて「リンダさーん! ごめん、俺、大ケガしちゃったー」と叫んだらリンダさんが駆けつけてくれたんだけど「カサイさん、ナニ言ってるの?」って上手く伝わらない。それでフロントの人を呼んでもらって、その場で簡易的な松葉杖を作って、なんとか立つことはできて、そのまま早退。翌日病院に行ったら、前十字靭帯断裂、内側靭帯断裂と診断されて、欠場というのが真相だ。

 この時はさすがに考えた。こんな短い間に何度も負傷して、欠場ばかりして、これはもう体がついていってない。実はこの時も手術を進められたんだけど、メスを入れたらまた1年ぐらい欠場しなきゃいけないから、手当だけしてもらうことにした。でも、体はボロボロだし、バイトが本業みたいになってるし、生活もキツい。そろそろプロレスに見切りをつける頃かもしれない。

 ただ、オレっちにはやり残してることがある。伊東竜二とのシングルだ。その舞台はタイトルマッチ、ということにこだわってたけど、そんな状況が整うのも待ってられない。もうベルトもいらないから、とにかく伊東とシングルをやって、それですっぱりプロレスを辞めようと思った。

■葛西純(かさい じゅん)
プロレスリングFREEDOMS所属。1974年9月9日生まれ。血液型=AB型、身長=173.5cm、体重=91.5kg。1998年8月23日、大阪・鶴見緑地花博公園広場、vs谷口剛司でデビュー。得意技はパールハーバースプラッシュ、垂直落下式リバースタイガードライバー、スティミュレイション。

新着エッセイ

新着クリエイター人生

水先案内

アプリで読む