『マン・レイと女性たち』展示風景
写真家、画家、映画作家、そして文筆家でありデザイナーとしても活躍した万能の芸術家、マン・レイ。彼の足跡を、彼を取り巻く女性たちとともにたどる展覧会『マン・レイと女性たち』展が、7月13日(火)よりBunkamura ザ・ミュージアムで開幕。日時予約制で9月6日(月)まで開催されている。
20世紀を代表する芸術家のひとり、マン・レイ。彼の周囲には、恋人やモデル、支援者など常に女性の存在があった。本展はその生涯と芸術について、周辺に登場する女性たちに焦点を当てつつ、約250点の作品で丁寧にたどっていくものだ。
展覧会は、マン・レイが芸術活動の拠点としていた土地を軸にした「ニューヨーク」「パリ」、「ハリウッド」、「パリふたたび」の4章構成となっている。
「ニューヨーク」
ニューヨーク育ちのマン・レイは、1890年生まれ。少年の頃から芸術家を志し、出版社に勤務しながら表現活動を開始する。1913年で詩人アドン・ラクロワと結婚。6年間の結婚生活のなかで、精力的に創作活動を続けていた。
現代美術の創始者の一人として知られるマルセル・デュシャンと出会ったのは1915年のこと。この出会いがきっかけとなり、彼はダダと呼ばれる芸術運動を推進。その後、パリにわたり、才能を開花させていくこととなる。
「パリ」
1921年、マン・レイは単身パリへと渡る。当時のパリは第一次世界大戦が集結し、世界中から人や文化が集まって「狂乱の20年代」と呼ばれるほど熱気が集まっていた場所。マン・レイは、マルセル・デュシャンの紹介でシュルレアリストたちと親交を結ぶようになり、とりわけ彼の写真作品が注目を集めるようになっていく。
そして、パリ時代のマン・レイを支えたのは、キキ・ド・モンパルナス、リー・ミラー、アディ・フィドランという3人の女性たちだ。特に藤田嗣治やキスリングなどエコール・ド・パリのモデルも務めていたキキの姿は、現在もなお私達の目を引きつけてやまない。
モード界にも斬新な写真が大好評で、だれもが知る存在だったマン・レイ。しかし、第二次世界大戦が勃発し、平和だったパリにも不穏な影が立ち込めはじめた。1940年、マン・レイはアディを残してアメリカへと帰国する。
「ハリウッド」
アメリカに戻ったマン・レイは、ジュリエット・ブラウナーと出会い、ハリウッドを拠点に活動を開始。
しかし、ハリウッドではマン・レイの芸術活動は写真のみしか評価されず、思うような仕事をすることが困難となっていた。次第にフラストレーションを募らせたマン・レイは、終戦後の1951年、再びパリに戻ることを決意することとなる。
「パリふたたび」
そしてマン・レイはふたたびパリでの活動を開始する。オブジェや彫刻、女優のポートレートやデッサンなど、ジャンルを問わず精力的に制作を続けた。
女性とともに20世紀を駆け抜けていった芸術家、マン・レイ。彼の芸術だけでなく、1920年代のモードや芸術などにも触れることができる、非常に意義深い展覧会だ。
構成・文:浦島茂世
『マン・レイと女性たち』
7月13日(火)~9月6日(月)、Bunkamuraザ・ミュージアムにて開催
https://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/21_manray/