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『エール』古関裕而の代表曲「紺碧の空」ついに披露 応援歌はなぜ愛されるのか?

リアルサウンド

20/5/22(金) 6:00

 第8週「紺碧の空」の最終日となったNHK連続テレビ小説『エール』。その週タイトルのとおり、現在まで歌い継がれる、早稲田大学応援歌「紺碧の空」がついに披露される。

参考:『エール』三浦貴大、応援団長役を語る 「『応援したい』という気持ちを表現できたら」

 「紺碧の空」は、主人公・裕一(窪田正孝)のモデルとなった古関裕而が、実際に作曲を手がけた1曲。野球ファンならずとも、多くの人が知っている応援歌「大阪タイガースの歌(六甲おろし)」「巨人軍の歌(闘魂こめて)」を古関は後に手がけているが、古関の最初の応援歌であり、最初の代表曲といえるのが「紺碧の空」なのだ。

 『エール』本編では、裕一が早稲田大学応援団団長・田中(三浦貴大)から作曲の依頼をされるも、既存の曲と似たり寄ったりになってしまうと苦悶するさまが描かれてきた。特に裕一の頭を悩ませたのが<覇者、覇者、早稲田>の箇所。歌詞の変更を田中に相談するシーンも描かれていたが、<勝つ(カツ)>などの言葉に比べて、<覇者(ハシャ)>は、強さを出しづらく音がつけづらいという。が、蓋を開けてみればこのフレーズこそ、「紺碧の空」のもっとも印象深い一節となっているのだ。

 早稲田大学といえば、校歌『都の西北』の印象が強いが、実際に早慶戦で「紺碧の空」を聞いたとき、そのメロディーが強く印象に残ったのを覚えている。後の古関楽曲にも通じる親しみやすさと懐かしさ。<覇者、覇者、早稲田>のフレーズに向かって、階段を昇るように高揚した気分となる。慶應の応援歌「若き血」に対抗して作られたという経緯は『エール』でも描かれていたが、<慶應、陸の王者、慶應>と<覇者、覇者、早稲田>が、ある種呼応する形になっているのも面白い。

 また、何十年も歌い続けられる背景について、学生時代、早慶戦を訪れたことがあるというライターの麦倉正樹氏は、その思い出を次のように振り返る。

「私が野球の“慶早戦”を観戦したのは、恐ろしいことにもうかれこれ30年近く前の話になるので、今とは多少状況が違うとは思いますが、当時“慶早戦”のチケットを取るのは非常に困難で、私も前日の夜から徹夜で並んでスタンド席のチケットを入手した記憶があります。その人気の理由はいくつかあると思いますが、5月末から6月頭にかけて行われる“春の慶早戦”に関しては、その絶妙な時期設定も大きく関係しているように思います。意気揚々と大学に入学して、サークルなどの新歓コンパも終え、そろそろ友人ができ始めた頃に行われる、大学の看板を掛けた一大行事。しかも、相手は何かと比較されることの多いライバル校・早稲田です。うっすらと芽生え始めた“愛校心”を発露するにはまたとない機会、そして新しい友人と一体感を得るには絶好のイベント、それが“春の慶早戦”なのです。恐らくそれは、相手方である早稲田の学生にとっても同じことだったでしょう。それはもはや、単なる野球の試合ではなく、“憧れのキャンパスライフ”を充実させるべく挑む最初の一大イベントであり、試合の勝敗以外のところで、さまざまな悲喜こもごもが繰り広げられる、とても重要なイベントなのです。

 そして、その際に大きな役割を果たすのが、いわゆる“応援歌”……慶應の場合でしたら『若き血』なのです。やや個人的な話にはなりますが、必しも大学のメインストリームにいたとは言えない自分ですら、なぜかその曲調はもちろん、歌詞に至るまで覚えている。『慶應に入ったのならば、『若き血』ぐらいはソラで歌えるようにならなくては……』と思っていた人は、けっして少なくなかったように思いますし、『若き血』の場合は、たとえそれが見知らぬ異性であっても、となりに居合わせた人と肩を組んで歌うことが推奨されているのです。これは覚えないわけにはいきませんよね。失礼、話が脱線しました。つまり何が言いたいかと言うと、“応援歌”というのは、もちろん何よりも選手たちを“応援する”ために歌うものではあるのですが、それと同時に応援している自分たちを鼓舞し、その一体感を高める効果もあるということです。だからこそ、これほどまで長くのあいだ愛され、歌い続けられているのでしょう」

 いよいよお披露目となる「紺碧の空」。裕一はスタンドでどんな気持ちで曲を見届けるのか。これまで歌い継いできた人々へ思いを馳せながら、本日の放送を見届けたい。(石井達也)

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