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『シャーマンキング』が人々を魅了し続ける理由 ゲーム的な作風 × 精神世界のインパクト

リアルサウンド

20/7/29(水) 8:00

 シリーズ累計3500万部を突破した武井宏之によるマンガ『シャーマンキング』が、シリーズ最後まで描き切る完全新作TVアニメの放映を2021年4月に予定している。

参考:『すごいよ!!マサルさん』は「優しい笑い」の先駆けだったーー優れた批評性と青春漫画としての輝き

 ここではどうして『シャーマンキング』が子どもから大人までを魅了するのかについて改めて語ってみたい。

■『シャーマンキング』がリアルタイム世代に特別な作品になった背景

 『シャーマンキング』は1998年に『週刊少年ジャンプ』にて連載が始まった。『ジャンプ』は1996年に編集長が鳥嶋和彦になり、意識的に新人育成・新連載を仕掛けた。鳥嶋は、当時飛ぶ鳥を落とす勢いで伸長していた『週刊少年マガジン』(TVドラマと親和性が高く、読者年齢が高め)ではなく『月刊コロコロコミック』(アニメをはじめとするキャラクタービジネスと親和性が高く、小学生向け)を見ろ、と編集部にハッパをかけ、上昇しつつあった読者の平均年齢を下げようとしていた。

 『シャーマンキング』はそんな時期に現れた作品だ。近いタイミングで連載が始まった『ヒカルの碁』や『HUNTER×HUNTER』同様、『シャーマンキング』も主人公の登場時の年齢・頭身が低く、『ヒカ碁』と比べても『シャーマンキング』は全体にやや幼く見えるキャラデザになっている。

 今は『ジャンプ』(というより少年誌全体が)読者の平均年齢も上がってしまったこともあって、初期『シャーマンキング』的な児童マンガと少年マンガの間のような作品は少なくなったが、当時は『ジャンプ』にもギリギリあったのだ。

 序盤は『ジャンプ』的というより『月刊少年ガンガン』っぽいマンガと言っていいだろう。すっきりしたキャラクターデザイン、「クラスチェンジ」のような『ファイナルファンタジー』などのゲームに親しんできた人間には理解しやすい設定、オフビートな主人公像などが、そんな印象を与えることに貢献した。

 香港のカンフーの達人、ネイティブアメリカン、仏僧など世界各地の勢力が「どんな願いも叶える力を手に入れるために精霊の王シャーマンキングを目指して戦う、という設定自体が90年代に一大ブームとなっていた格闘ゲーム――『ストリートファイターII』や『ワールドヒーローズ』、『ザ・キング・オブ・ファイターズ』など――を思わせる。

 鳥嶋は『ジャンプ』編集長になる前はゲームと親和性の高い『Vジャンプ』編集長であり、ゲーム的な感覚、ゲーム好きの気持ちをよく理解した作家の手法を受け入れる土壌があったのかもしれない。

 『シャーマンキング』は小学生でも入れる世界でありながら、読者の成長に歩みを合わせるように時間をかけて絵柄も洗練され、また、物語は星の命運をめぐる壮大なスケール、テーマに突入していく。そして戦いのスケールアップと並行して、登場時には幼く見えていたキャラクターたちの背景、人生、価値観が深く掘り下げられてもいく。

 リアルタイムで読んでいた世代にとっては、自分の精神的な成長と軌を一にするように作品の精神性が深まっていくことで、特別な作品となったはずだ。

■精神世界系作品としてガチ

 『シャーマンキング』の何がすごいかと言えば、世界各国の呪術に関係する勢力が集まり、戦ってトップ(シャーマンキング)を決める、という(色々な)神をも恐れぬ設定を少年誌でやったことだ。

 しかもシャーマニズムを扱った話なのに、『シャーマンキング』はとてもポップである。主人公・葉のいいなずけである恐山アンナにしても「恐山」「イタコ」という設定なのに全然おどろおどろしくない。当時はあそこまでスタイリッシュにそういうネタを扱ったものは珍しかったと思う(やはりジャンプ連載の藤崎竜『封神演義』が古典を大胆にアレンジした先行例があったからこそなのかもしれないが)。

 また、ファウストとその妻エルザのエピソードなどが典型だが、重たい話をしているのに、葉が普段ゆるめの性格をしていることもあって、重たくなりすぎない。阿弥陀、ネクロマンシー、ネイティブアメリカンのグレートスピリットといったけっこうややこしいネタを扱っているが、『シャーマンキング』は読者に対して「元ネタなんかわからなくていいし調べなくてもいい」くらいのスタンスで描いている。知識をひけらかしたりするような衒学趣味的なものは一切なく、広い読者に開かれている。

 しかし、ヌルいわけではない。「精霊の王シャーマンキングをめざす話だ」と聞いて未読の人は「海賊王に俺はなる!」的なやつか、と思うかもしれないが、意匠として適当にシャーマニズムを扱っているのではないのだ。

 武井は『シャーマンキング』以前、仏教バトルものの『仏ゾーン』という強烈なインパクトを与える異色作を『ジャンプ』で連載しており(電子書籍化お願いします!!!)、『シャーマンキング』でも「阿弥陀丸」「真空仏陀切り」といったネーミング、あるいはガンダーラチームの面々が仏陀とその弟子をモデルにしているあたりは相変わらずである。メキシコから来たやつの名前は「ペヨーテ」。幻覚サボテンから名前を取った少年誌のキャラなんているだろうか?(ある意味、90年代っぽくはあるが……)

 グレートスピリッツと葉たちが邂逅する場面は、北山耕平がネイティブアメリカンの精神世界を描いた名著『ネイティブ・マインド』や、中沢新一が多神教的なスピリットの世界を語った『神の発明 カイエ・ソバージュ4』などと合わせて読みたくなるシーンとなっている。

 序盤は小学生でも読めるバトルもの少年マンガとしてポップさと賑やかさに満ちていたのが、終盤に向かうにつれて精神世界や人の生死をテーマとしたマンガとしての高みに到達していき、絵も要素をそぎ落とし、洗練されていく。

 そんな作品が最後まで映像化される。これは日本はもちろん、世界からの反応が楽しみである。初見にしても何度目かにしても、アニメ化されるまえに今こそ唯一無二の『シャーマンキング』の旅路を体験しておきたい。(飯田一史)

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