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『スカーレット』は本来の「連続テレビ小説」に立ち返る? 日常に隠れたツボを見つける水橋文美江の作家性

リアルサウンド

19/11/20(水) 6:10

 朝ドラこと連続テレビ小説『スカーレット』(NHK総合)は、信楽で陶芸家として生きる主人公・喜美子(戸田恵梨香)の物語。貧しい家に生まれ育ち酒浸りの父(北村一輝)に悩まされたりもしつつ、家庭以外で出会った人たちから学びを得ながら、陶芸という生きがいを発見し、喜美子は邁進していく。第七週では、火鉢の絵付けの師匠(イッセー尾形)との出会いによって彼女の人生は大きく変化しはじめた。

 『スカーレット』には「戦後」「貧しい家庭」「ダメ父」「しっかり者の主人公」「幼馴染」「助けてくれる人たち」「生涯を変えるような職業との出会い」……等々、「朝ドラあるある」要素が過不足なく組み込まれている。いいことと悪いことが波のように寄せては返し訪れ、笑いあり、涙ありで進行し、これはもう十分に朝ドラらしいと言っていい。さらに特筆すべき点は、本来の「連続テレビ小説」の意味に立ち返っている節を感じさせることだ。

 朝ドラこと連続テレビ小説がはじまったとき、新聞小説のようなものを意識していたそうで、だからか、小説を原作にしたものが多く、獅子文六、壺井栄、武者小路実篤、林芙美子、川端康成と錚々たる作家による原作ものが続き、ドラマの進行を司る語り(ナレーション)はまるで小説を朗読しているように、状況や登場人物の心情を語っていた。

 山田太一脚本の『藍より青く』のように脚本家が小説も出版しつつ脚本を書くこともあった。昨今は原作は原作、脚本は脚本、ノベライズはノベライズと各々書く人が違っていることのほうが多い。そんななかで、『スカーレット』は脚本自体が小説のようなところがある。例えば、11回、喜美子が大阪に出稼ぎに行く決心をして丘の上で夕日を見たとき、信楽焼のかけらを拾う。そこでのナレーション(中條誠子アナウンサー)は「みつけた焼き物のかけらを喜美子は旅のお供にしました」だった。また、27回。大阪に出稼ぎに行った喜美子が初恋を経験するも、想いが儚く砕け散るエピソードの締めのナレーションは「あき子さんもあき子さんのお父さんも散歩のコースを変えたのでしょう。犬のゴンももう荒木荘の前を通りません」。こういう語りに絵本や小説などを読んでいるような感覚になるではないか。

 再放送中の『おしん』も奈良岡朋子のナレーションが「祖母の一生を哀れと思うだけに怒りにも似た激しいものがおしんの胸の中にふつふつとたぎっていた」(36回)とか、竜三の爺や・源じいが関東大震災で亡くなるときに「明日、二百十日ですけん…」と季節を感じさせるセリフを橋田壽賀子が何気に言わせるところなど文学的だなあと思うところがそこここにあった。昔はそういうふうだったのが、いつの頃からかナレーションは変わっていく。朝ドラではないが、三谷幸喜のNHK大河ドラマ『真田丸』のナレーションで登場人物の死を説明することを誰が名付けたか「ナレ死」と呼ぶようになった。その頃からとみにドラマのナレーションにしっとりした文学性よりも、ツッコミ、解説、ドラマのメタ化のような役割を求められることが増えたように思う。あと、亡くなった登場人物が見つめ呼びかけているような、登場人物のナチュラルなセリフと同じようなもの。それはそれで楽しいが、そればっかりでも可能性が狭まってしまう心配も否めない。そんなとき『なつぞら』が最終回で「101作に続けよ」とナレーションして、作家・大森寿美男は究極のメタナレーションとして爪痕を残した。これを超えるおもしろナレーションのアイデアはなかなか出づらいだろうと思ったところ、101作はしっとりした客観的なナレーションに戻してきた。なんとすばらしきバランス感覚である。そして見事に久々に聞くしっとりしたナレーションと陰影のある画面があいまって上質なドラマを見ているような気分になっている。

 「上質」といっても、NHKで放送している番組『世界はほしいモノにあふれてる』のように画面に世界各国の高級な品々がたくさん出てくるというものではない。賛否両論もある「丁寧な暮らし」を好む層に訴えかけるような、毎日の生活のひとつひとつを丁寧に、きれいに、描写する路線だ。喜美子は出稼ぎに行った大阪で家事のプロに学び、家事を丁寧に行うようになる。場所によって箒を変えること、人によってお茶漬けの薬味を変えること、美味しいお茶を入れることなどなど……。そして、女たちはお茶を飲みながらおしゃべりを楽しむ。39回は、喜美子が大阪で世話になったちや子(水野美紀)が信楽に大阪で愛飲していたお茶を持って訪ねて来て、その味をなつかしむ場面があった。そこにけっこうな尺がとってあり、何も話が進まないといらっとなる視聴者もいるかもしれないが、お茶の味の大事さを描くことが堪らないと思う視聴者もいるのだ。

 お茶を愛でるなんて、『相棒』シリーズ(テレビ朝日系)の右京さんくらいであったが、ホームドラマの朝ドラこそ、食だけでなくお茶にも目配りすべきだったのではないかと目からウロコな思いがした。

 「丁寧な暮らし」だけではない。女が男と並んで社会で働こうとする先輩としてのちや子と喜美子の関係性や、幼馴染・照子(大島優子)との気のおけない関係(幼い頃、キスまでしている)など、女子同士の関係性の機微を書いているところも見応えがある。喜美子は、姉のような人には甘えることもあれば、口紅を買ってあげたい、お茶漬けつくってあげたいと思い、幼馴染には安心してわざと雑に扱い(もちろん愛情がある)、妹たちを母のように守ろうとするなど、相手によって違う顔を見せる。思えば、ふだんの我々だってそういうものだが、フィクションだと意外と一面的な役割(たとえば、気丈な子、優しい子、みたいな)ばかりが描かれていく。善悪は紙一重とかそういう難しい問題以前に、人間は相手によって役割を変えるのだということをそれこそ丁寧に描くことで、主人公の魅力が広がる。とくにこれからは「娘」「妻」「母」……そういう決まった役割だけではないことをもっと描いていっていいはずなのだ。

 脚本を書いているのは、水橋文美江。90年代から脚本家として活動しているベテランはまだバブルの余韻の残る華やかなドラマが多かった時代に、地道に生きる人達を描くドラマを担当することが多かった。大ヒットした作品は、ひうらさとるの漫画を原作にした『ホタルノヒカリ』(日本テレビ系、07年)。職場ではできる女だが、家に帰るとダラダラゴロゴロしている「干物女」(綾瀬はるか)が部長(藤木直人)と恋する、働く女の生活のリアリティとそれを受け入れてくれるイケメンの恋人というドリームとの二段重ねで人気を博し、パート2、映画もできた。17年には、息子を誘拐された母(沢尻エリカ)と誘拐された子を7年育てていた育ての母(小池栄子)、ふたりの女の各々の生き方、そして関係性を魅力的に書いたオリジナル『母になる』(日本テレビ系)が注目された。

 19年には、森絵都の小説原作で土曜ドラマ『みかづき』(NHK総合)で学習塾を経営する夫婦(高橋一生、永作博美)を描いた。彼らの恋愛に至るまでのやりとりから、夫婦で共同経営者になってからすれ違っていく関係までスリリングに描き、これを朝ドラで見たいという視聴者の声もあったほどで(私もそう思ったひとり)、その後の『スカーレット』ということで期待はしていた。フィクションだからこそのありえないことではなく、思いつかなかったけど、書かれてみると、なんかわかる、しっくりくるというような日常に隠れたツボを鋭く優雅に見つけていく知性的な作家だ。

 あたかも魔法の指をもっているリラクゼーションの施術師みたいな水橋の書く朝ドラは、「ナレ死」とか「伏線回収」とかSNSでわいわい消費されやすいネタが満載のドラマではなく、じっくり間合いや言動の裏側を感じて味わうドラマ。朝ドラが毎回、こういうタイプであれとは思わないが、何作かに一作はこういうものがあって良い。

 いまのところ、喜美子が初恋に破れたばかりで父に結婚をすすめられても興味をもっていない。結婚して家庭に入る生き方とは違うことを目指している。やがて結婚して子供ももちながら仕事に励むようだが、妻として母として働く者として自立していったときの喜美子を水橋文美江がどう描いていくか、これからが本番である。(文=木俣冬)

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