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“獅子の時代”から“幼な子の時代”へ 『すばらしき世界』でも名演見せた役所広司の魅力

リアルサウンド

21/3/23(火) 8:00

 日本映画を代表する、ナイスミドルのナンバーワン俳優。それが俳優・役所広司のパブリックイメージだろう。先日、主演作である西川美和監督の『すばらしき世界』(2021年)が公開され、これまで以上に圧倒的な演技力を見せたことで、その評価はさらに上がっている。6月には司馬遼太郎原作、小泉堯史監督の主演作『峠 最後のサムライ』の公開が控え、円熟した演技にさらなる期待が集まっている状況だ。

 ここでは、そんな役所広司のキャリアのごく一部を過去から見直すことで、役者としての魅力や現在地を探っていきたい。

 長崎で育った広司青年は、学生時代にギターを手に入れてフォークソングの弾き語りをしていたという。東京に憧れて千代田区役所に勤め、配属された道路課で仕事をこなしていた時期、たまたま鑑賞した演劇で俳優・仲代達也の芝居を見て、その演技に魅了された。広司は、仲代が主催する演技の私塾「無名塾」の塾生オーディションに出向き、そこでの必死の演技が仲代の目にとまる。役所に勤めていたからという理由で、仲代が直々に「役所広司」という芸名を考案し、生徒として迎えることになったのである。その後、仲代との濃密な11年もの師弟関係のなかで演技を磨いた役所は無名塾を去る決断をする。

 NHK大河ドラマ『徳川家康』(1983年)で織田信長役、『三匹が斬る!』高橋英樹、春風亭小朝とともに時代劇で無頼の浪人役を演じるなど、無名塾在籍時からTVで注目されていた役所は、原田眞人監督の『KAMIKAZE TAXI』(1995年)に出演し、演技が高い評価を受けてから、映画界で快進撃を続けることになる。周防正行監督の『Shall we ダンス?』(1996年)、小栗康平監督の『眠る男』(1996年)、森田芳光監督の 『失楽園』(1997年)、カンヌ国際映画祭で作品が最高賞を受賞した、今村昌平監督の『うなぎ』(1997年)、黒沢清監督の『CURE』(1997年)と、日本を代表する監督の作品に立て続けに出演し、映画界でのキャリアを盤石のものとしていった。

 役所の特徴は、大きな成功をつかみながらも、そこまでの道のりが長かったという点だろう。だから役所には、多くのスター俳優が持っているような青年時代の印象は薄く、ミドル世代からの役者というイメージが強い。だが、スターとして若くから仕事を忙しくこなす俳優の中には、演技について深く考える間もなく日々を過ごしてしまう者もいる。伝説的俳優・仲代達矢という目標を近くで見つめることができた経験と、研鑽を積む時代があったことで、役所は役者として飛躍するための下地を十分に固めることができたのではないか。脂の乗った40歳前後の90年代に大きな活躍を続ける結果が生まれたのは、偶然ではないだろう。なかでも『CURE』における、あまりにショッキングな光景を見てしまった男の反応を表現する際に、型にはまらず、しかしリアリティをも感じさせる演技で、短く叫び声を発するシーンは衝撃的だった。

 一つの集大成となったのは、90年代の終わりに公開された主演映画『金融腐食列島 呪縛』(1999年)である。これは、日本の巨大銀行の経営危機をリアルに描く作品。複雑怪奇な銀行内部の仕組みが難解に感じられるところもあるが、その内容をごく単純化すると、日本の経済を牛耳り、既得権益に浴している老年世代を、より若い“中堅世代”が打ち破るという構図となっている。

 そこで役所が演じたのは、劇中で「ミドルの獅子」と表現される、銀行内における中堅世代の中心人物だ。面白いのは、彼らの世代を押しつぶそうとする老年の権力者を仲代達矢が演じていることである。現実でも師弟関係にあった間柄であり、役所の名付け親“ゴッドファーザー”でもある仲代と、仲代を尊敬し、その背中を追ってきた役所が対決するのである。原田眞人監督は、『検察側の罪人』(2018年)でも、同じ事務所の先輩・後輩の間柄である木村拓哉と二宮和也を対決させて、虚構と現実的が混ざり合う緊迫感をドラマに加えていた。また原田監督は、この作品において巨大銀行の権力構造を、崩壊するローマ帝国になぞらえている。仲代の演じる人物は、ローマ帝国建国のシンボルとなっている、オオカミと乳飲み子の像が飾られている部屋で傍若無人の振る舞いをする。そんな老齢のオオカミを、「ミドルの獅子」が倒すのである。

 もちろん、これは映画の描く物語に過ぎず、現実に役所広司が仲代達矢を乗り越えたという短絡的なことにはならない。だが、役所を“ミドルの役者”ととらえたときに、この“獅子”という言葉は、フィクションを超えた象徴的なものとなる。哲学者ニーチェを代表する著作『ツァラトゥストラはかく語りき』の中で、ニーチェは「精神の三つの変化」として、人生の辿る理想的な道程を「ラクダの時代」「獅子の時代」「幼な子の時代」と表現した。重い荷物を背負い従順に知識や経験を吸収する青年期、自分を支配する概念に反発して対決する中年期、そしてあらゆるものを純粋な目で見つめて無邪気に遊ぶ老年期である。

 この考え方は、日本で芸道など様々な技術の継承と発展への心構えとされてきた「守破離」と重なる概念といえる。役者の人生をこの考え方にあてはめるとき、“ミドルの役者”としての役所の成功は、まさに仲代の影響下にあったラクダの時代を経て、無名塾から独立するとともに精神的に自立することで独自の表現に向き合った結果、到来したものではないか。『終の信託』(2012年)における、目線を変化させるだけで、セリフを喋っていない瞬間も死を前にした感情を雄弁に語っているように見える演技や、『すばらしき世界』で、長い刑期を終えて社会復帰しようとする男のなかの、善良さと負の感情、未来に進もうとしながらも古い自分と戦うという精神的葛藤が渦巻く演技の素晴らしさは、その成果と言っていい圧倒的な仕事だった。

 そんな役所も、そろそろミドルの時代を降り、ニーチェが述べた「幼な子の時代」へと進む年代である。堅固な下地と、その上に積み上げられたオリジナリティ。そんな一つの道を極めた先に、役者として今後どのような創造性が表現できるのか。そこが役所広司の今後の課題となっていくのではないだろうか。現代の日本映画において最高といえる地位と技量を持つ一人の役者の、今後の活躍と新しい境地に、ますます期待したい。

■小野寺系(k.onodera)
映画評論家。映画仙人を目指し、作品に合わせ様々な角度から深く映画を語る。やくざ映画上映館にひとり置き去りにされた幼少時代を持つ。Twitter映画批評サイト

■公開情報
『すばらしき世界』
全国公開中
出演:役所広司、仲野太賀、橋爪功、梶芽衣子、六角精児、北村有起哉、長澤まさみ、安田成美
脚本・監督:西川美和
原案:佐木隆三著『身分帳』(講談社文庫刊)
配給:ワーナー・ブラザース映画
(c)佐木隆三/2021「すばらしき世界」製作委員会
公式サイト:subarashikisekai-movie.jp

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