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7年ぶり新作発表のsleepy.ab 成山剛が語る、北海道拠点にバンドを続ける理由と“ロック”に対する意識

リアルサウンド

20/1/29(水) 17:00

 地元北海道を拠点に、バックボーンがうかがえる自然の厳しさや美しさを喚起するバンドサウンドを作ってきたsleepy.ab。2018年に結成20周年を迎え、久しぶりに東京でのライブを開催し、渋谷WWW公演がソールドアウト。そしてついに前作『neuron』以来7年ぶりとなる新作『fractal』を1月29日にリリースする。

 今回は、バンドとしてのリリースがない時期に精力的にソロ活動を行い、波多野裕文(People In The Box)らバンドのボーカリストをはじめ、ROTH BART BARONら2010年代に頭角を現したインディペンデントなアーティストらとも共演しながら新たなリスナーも獲得してきたフロントマンの成山剛(Vo/Gt)にインタビュー。ソロの必要性や現在の制作手法について聞く中で浮かび上がったのは、sleepy.abというバンドのオリジナリティと北海道で音楽と向き合うことがいずれも分かち難い関係にあるということだった。(石角友香)

「ノイジーさや大胆なアプローチを自分たちも求めてた」

――現在の制作環境や作業はどんな感じなんですか?

成山剛(以下、成山):今回は3人で揃ってレコーディングはしないで進み、最後の最後に、札幌にある芸術の森スタジオというスタジオで3日間、泊まり込みでリズム録りをしたぐらいなんです。それ以外は全部、個別に<Chameleon Label>にデータを送ったり、カメレオンスタジオに一人ずつ何度か行ってレコーディングをして。歌もギターも基本的に全部一人で進めてました。山内(憲介/Gt)は函館に住んでいて、札幌からだと5時間ぐらいかかるし、田中(秀幸/Ba)が住んでる岩見沢でも2時間ぐらいかな。全員拠点がバラバラなので。そうやって個別に録ったものをプロデューサーの(田中)一志さんにまとめてもらっていった感じでしたね。

――その制作方法はいつ頃から?

成山:メジャーレーベルを抜けた後、少し経ってから事務所も抜けたんです。山内はその頃札幌に住んでいたんですけど、もともと目に障害があって、それが悪化していたりというのもあったんですが、それより前から言っていた鍼灸の学校に行きたいという話を改めて聞いて。「じゃあいいタイミングだね」と。それが函館の学校だったんですよね。山内は地元も函館だったので、「なら、いいんじゃない?」って。バンドはセルフプロデュースだったし山内に対する精神的な負担がその頃は強かったし、結構限界も感じていたので「行ったらいいと思うよ」っていう感じでバンドも存続させました。

――バンドの中で誰かが健康を害したら脱退かバンド自体が活動休止になることが多い中、そうはならないというか、しなかった。

成山:うん。一番最初のアルバム(『face the music』)を出したのが2002年ぐらいですかね。その時、初めて東京にライブとキャンペーンで来たんです。12月11日が発売日だったはずなんですけど、あの時(僕自身が)病気になっちゃって。初めて東京に10日間ほど滞在したんですが2日目ぐらいに足が痺れてきて、どんどん痺れがこの辺(顔半分)ぐらいまできたんですよ。札幌に帰って病院に行ったら、多発性硬化症という脳神経の病気でした。それで、そのまま即入院……。デビューはそういう始まりだったんですね(笑)。そこから活動が3カ月ストップして、レコ発とかもなしになってしまった。そんな始まりだったので山内と話した時も割とすぐに一旦休もうという決断に至りました。

――東京で活動を続けることが難しいということを、一番最初に証明してしまったんですね。

成山:(笑)。そう、だから東京にはやっぱ住めないんだなと思いましたね。

――今はそれぞれの生活優先で?

成山:うーん、そういう気持ちもありますかね。やっぱり続けるっていうことが大事なので。無理をする時もありますけど、続けられなくなるのが一番良くないとは思ってますね。

――今回のsleepy.abの新作『fractal』までの間だけでなく、成山さんはソロで精力的に活動して、東京でもライブを行っていますね。

成山:ソロのアーティストとしてというよりは、sleepy.abが今少しライブが少ないので、代わりに自分がライブしにきている感じというか。で、俺もソロアーティストという感じよりは、本当はsleepy.abのみんなを連れてきたいんだけど……みたいな流れでやってるところがあるので、それを繋げているっていうイメージですね。

――ソロで活動しているとそこで出会うアーティストも多いじゃないですか。知る限り、ROTH BART BARONとかPeople In The Boxの波多野裕文さん、奇妙礼太郎さんとか。そういう人たちからの刺激や影響はありましたか?

成山:ROTH BART BARONなり波多野くんなりは、バンドと並行しながら率先して弾き語りみたいなライブもやっているから、いわゆるシンガーソングライターとしてのイメージではないですね。その中でもスタンス的にはLOST IN TIMEの海北大輔(Vo/Gt)くんとかは結構前から各地に行って、やっぱりバンドで行けないところに行って、バンドを広めるっていう活動をしてる形があるので、それは自分もどこかでお手本にしたところはありましたね。

――ところでバンドの曲自体は常に作ってるんですか?

成山:曲自体は結構ありましたね。古くからのストックもあるから、20~30曲ぐらいはあって。3人とも作るんで3人のデモが30曲ぐらいあって、で、一志さんも含めてみんなで今回いれる曲を選んでいった感じですね。

――山内さんのギターで出せる音のバリエーションがすごいことになっていましたね。

成山:(笑)。もうギターなのかなんなのかわかんないですよね。加えて一志さんが出すシンセやプログラミングの音も山内のギターの音に近いものがあるのでギミックな感じはありますよね。

――今回の選曲の基準は何でしたか。

成山:結構、どの曲をどうやってもsleepy.abになっちゃうので、バラエティ感的なものは自ずと見えてますけどね。キャッチーなものと、テンポが速い曲は基本ないので、少しでも速かったら「これはアルバムに入れたいね」ってなりやすいですね。

――テンポの速い曲を最初から作ろうとするんじゃなくて、デモに存在していたら演奏してみよう、と?

成山:そうですね。俺はテンポの速い曲を作ったことがないからなぁ。なんだろう? 元々の生活というか、基本が体の中にあるのかなぁ。

――具体的に曲についてお聞きするんですが、サウンドスケープとして「cactus」はギターもノイジーだし、これまでとは変化した印象もありました。

成山:ここ3枚ぐらいは、透明感や歌の良さみたいなものを引き出してもらって演奏しているイメージがありました。だけど今回は一志さんがいるから、初期に戻ったというか。割とアレンジとかもアバンギャルドで、結構ノイジーさや大胆なアプローチを自分たちも求めてたので、面白い作品になったなと自分たちでも思います。

「やっぱsleepy.abじゃなきゃダメだなとは思いますね」


――最近の音楽シーンでは、音数が少なくて、ロックバンドでもクリーントーンな音が多くなりましたが、その傾向はどう思いますか?

成山:他のバンドの音楽のことはあんまり考えてなかったかもしれないですね。もともと(自分たちが)主流の音楽ではないので。だから自分たちはそこまで意識はしてないところではありますけどね。でもsleepy.abも昔よりは音数は減ってますけどね。個人的な感覚ではもっとシンプルになってるというか。

――これで減っているのはすごい。いわゆる楽器的な音以外も鳴ってるので、印象としては音響派やマスロックに近いなと。

成山:うん。俺はやっぱりヘッドフォンで聴いた時に、景色が見えるとか風景が見えるとか、それを想起させる音が好きだし、そういうイメージを持って演奏していますね。

――怒濤という言葉がハマるサウンドスケープの曲が多く感じられました。それも最近成山さんが聴いている音楽との比較なのかな? と思うんですけど。

成山:歌について最近思っていたのは、昔の音源ではちょっとボーカルが遠目にあったりするものがありますよね。ディレイだったりリバーブだったりで。sleepy.abはそこが他のバンドより多いバンドだったと思うし、歌い方もそうだったんですけど、他のアーティストの楽曲と並べた時にボーカルがすごく引っ込んで聴こえるというか。まぁ、柔らかさというのもあると思うんですけど。でも今サブスクが主流になってきて比べると他が硬い音楽が多かったので、比べた時にただ自分たちの音が「弱い」と思われたら嫌だなと思ったんですね。例えば若い人が聴いて、「優しい」と思うのは全然いいんですけど、「弱い」と思われるのはイコール芯がないみたいで嫌じゃないですか。だから今回は、ボーカルは割とダイレクトにしたいなと思ったし、リバーブを減らした部分もあったので、芯が見えやすくなったかなっていう気はしますけどね。

――珍しく辛辣な歌詞もありますね、「ideology」とか。

成山:歌詞も音選びというか、語感で遊んだ部分もありますが、それはあんまり今までにないパターンだったんです。もともとストーリーとか、起承転結みたいなものを考えてしまうタイプではあるんでけど、今回の歌詞はそこまで考えずにいけたというか。なんとなくまず歌詞を書いて、ブラッシュアップしていくというのは新しいアプローチでしたね。

――優しく布団をかけてくれる感じではないです(笑)。もちろん良質なものではあるんだけど。

成山:ただ普遍的なものはずっと作り続けたいとは思っていて。やっぱりそこはソロ活動が大きかったかもしれないですね。ソロではその優しい部分、バンドでは強さや色気をアウトプットできる場所というように決まってきたというか、違う表現の出し方ができることが大きかったかもしれないですね。

――それはバンドでニューアルバムを作る大きな理由にもなりますね。

成山:そうですね。この7年間、ソロ活動もかなり行ってきて、そこから聴いてくれるようになった人もいるんですよね、sleepy.abを知らずに。で、久々にバンドのワンマンをやった時に、「あ、こんな感じなんですね」って、ちょっと引いてるみたいな。激しい部分もあるので、バンドの時は(笑)。

――激しい部分とちょっと謎な部分はバンドならではですもんね。ところで以前からエレクトロニックな部分はあったけれど、今回のアルバムでの音のレイヤーは他の生音と電子音を融合しているアーティストとも違う印象でした。

成山:初期の頃は、ヨーロッパの音楽、主にUKのRadioheadやOasisの影響を受けて1枚目、2枚目を出してた部分もあると思うんです。で、その時って結構自分たちがRadioheadフォロワー的な見方をされて、「ああ、それじゃちょっと嫌だな」と。オリジナリティを自分で求めたくて、3枚目のアルバム『palette』を作る前に初めて邦ロック、J-POPをたくさん聴いたんです。そこで初めて日本の音楽シーンとsleepy.abの整合性を考えて作品を作れたんですよね。

――邦ロックやJ-POPの何に気づいたんですか?

成山:それまで日本のロックってほんとに聴いてなかったので、フィッシュマンズとかもそこで初めて聴いたり、あと、サニーデイ・サービスも振り返ってじっくり聴きました。

――いわゆるメインストリームではなくて、新しい文脈のロックバンド?

成山:うん。実は、自分たちがロックバンドっていう意識が全くなかったんですね。それまでフェスも大体「ロックフェス」って名前に付いてるし、だからロックフェスなんて呼ばれることなんて絶対ないだろうと思ってた時に、『RISING SUN ROCK FESTIVAL』のお話がきて。それがその3枚目のアルバムの時だったんですけど、「いや、ロックじゃないでしょ……」と、思ってました。でもその年に『FUJI ROCK FESTIVAL』とかもいっぺんに出たんですね。その3枚目のアルバムを転機に。

――フェスでの受け止められ方によってバンドとしての意識は変化しましたか?

成山:うーん。自分たちがロックバンドとして見られている実感もあったし、「あ、これはロックなんだな」って初めてそこで感じましたね。CDを出すだけじゃなくて、ライブをすることに対して、自分たちの中だけじゃなくて外に発信していくことに対して「ロック」を意識する感じはすごくありましたね。

――その後も作品を重ねて来たわけですが。

成山:メジャーに行った時もまた変わっていきましたね。レーベルがポニーキャニオンだったんですけど、担当のディレクターはそれまでのsleepy.abが好きで、もう「好きにやってほしい」「北海道にもいてほしい、そのまま」と言ってくれて。それが嬉しくて一緒にやることになったんですけど、逆に俺がメジャーっていうものを意識しすぎたんですね。あと、スタッフさんがいっぱいいるってなった時に「ちゃんとしなきゃな」っていうふうになることも多くて。なんかそれまでは好きにやってたのに、急に考え出すみたいな(笑)。

――好きにやっていいって言われても、それだけ周りにスタッフがいたらその人たちの仕事に関わるって考えてしまいますね。

成山:そうですよね。それにスタンスもスピードもすごく早くて、一年に何枚作品を出さなきゃいけないというのがあるので、自分の中での曲のストックや書きたいものが追いつかない状況もあったり。なかなか大変でしたね。

――つくづく環境要因が大きいバンドですね。

成山:けど今振り返ると、必要なことだったのかなと思いますけどね。

――メジャーを離れてからのこの間は契約上のリリースしなければならない理由はないわけで。出したいから出すというスタンスに?

成山:7年空いてるんでね(笑)。さすがに……という気持ちももちろんあるし、このまま忘れられるのかなっていうのがありました。そこの限界の年だったんじゃないかな。

――結成当初と今では成山さんにとってバンドの存在は変わってきましたか?

成山:さっきも言ったように、バンドがあってこそのソロ活動という気持ちが明確にあるので、やっぱsleepy.abじゃなきゃダメだなとは思いますね。メンバーもそうだし、バンドって形がないと満足できないところがすごくありますよね。それはソロ活動で僕やバンドを知ってくれた方には失礼な発言になっちゃうかもしれないけど、基本sleepy.abがメインであって、それを繋げるためにソロがあるところは変わりないので。

――sleepy.abは札幌拠点でメンバーが住んでいる場所もバラバラですけど、北海道のバンドやアーティストは音楽性もスタンスが独特なのはなぜなんですかね。

成山:北海道って面白いのが、どこまでやっていいのかわかんない人が多くて。土地が広すぎることも関係しているのかもしれませんが、たとえばギターの人でも、他に比べる人がいないからとんでもなく上手い人とかがたまにいたりするんですよね。いい意味で勘違いできる場所ではあるかなと思いますね。東京にいたら身近でも「こんな人いるんだ、無理だわ」って諦めるかもしれないけど、そういうのはなかなかないですね。

――逆を言えば、どこでやめていいかわからないということにもなる?

成山:うん、そこはあんまり考えたことないですね。やめるとかやめないとか。売れるとか売れないとかが、そこまで大きくないからだと思いますけど、自分の中で(笑)。

――sleepy.abがもし東京で活動してたらどうなるんですかね。

成山:BPMが速くなっちゃうんですかね(笑)。でも10日間滞在するぐらいで足が速くなってたり、ちょっとクールな気分になってたり。すごく影響受けちゃうことは間違いないですね。

sleepy.ab オフィシャルサイト

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