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GEZAN マヒト、踊ってばかりの国 下津光史が持つ言葉の訴求力 「現実から未来を想像させる」詩人たちの歌

リアルサウンド

20/2/11(火) 8:00

 歌は世につれ、世は歌につれ。この言葉は今も有効だろうか。

(関連:GEZAN マヒトゥ・ザ・ピーポーが語る、“0と100の間の世界”への関心「曖昧なものを掬い取りたい」

 いよいよキナ臭い世界情勢。跋扈するレイシスト。痛みばかりの増税。テレビを見れば正直者の告発もトカゲの尻尾切りで、ひとつの失敗を徹底的に吊し上げて叩く芸能界ーー。個の繋がりをスマホに求めても、そこはもう正義警察の監視社会。多様性が大事と言いながら、噴出する問題は解決されぬままタイムラインを流れ去っていく。ふと顔をあげた電車の中では、周囲への苛立ちを隠せないストレスの塊たちが揺られている。

 そんな世相を歌にしてどうする、と言ってしまえばそのとおり。だからポップミュージックは肯定する。麻痺したように肯定を続ける。大丈夫、前に進める、未来はきっと一一。現実がこうだから音楽くらいはきれいな夢を見せなきゃいけないのだろう。ただ、そのセオリーはどこか空虚で、現実を見れば若者たちが無邪気に夢を語れない時代である。

 ここでは、そんな音楽からきっぱりと距離を置いたミュージシャンたちの話をする。踊ってばかりの国とGEZAN。ともに大阪・難波BEARSで関西ゼロ世代のカオスを見ながら育ってきた同世代バンドだ。2010年代に本格始動、いくつかのレーベルと手を組みながらも、結局はそれぞれ自主で独立。前者はサイケデリック/歌もの、後者はオルタナティブ/パンク。音楽性は異なるけれど、時流を無視した動きやフロントマンのカリスマ性は妙にシンクロする。そして、2020年の幕開けとともに彼らから素晴らしいアルバムが届いたことが、いま音楽ファンの間で話題となっている。踊ってばかりの国『私は月には行かないだろう』と、GEZAN『狂(KLUE)』である。

 繰り返すが音楽性は違う。ただ、下津光史(Vo/Gt)とマヒトゥ・ザ・ピーポー(Vo/Gt)、二人の詩人にスポットを当ててみると視点はかなり近い。「夢を見せる」常識に背を向けた彼らの歌は、「現実から未来を想像させる」一点において、とてつもない訴求力を発揮するようだ。

 新作から一曲ずつ引用しよう。踊ってばかりの国の「サリンジャー」。〈未だに人間は争い/未だに僕らはそれらを止めれない〉と冷静に書く下津は、反戦を声高に叫ばない。〈せめて世界は愛のために廻るべきなの〉と理想を描きはするが、プロテストソングの方向に筆が進むことはない。結局彼の目に映るのは〈今日も空はただ深いです〉。これだけなら、やれやれ、と村上春樹が出てくるところだが、面白いのは彼が自分をちっぽけで無力な存在と認識している様子がなく、人の一生そのものを、すべて小さな点と捉えていることだ。

 〈種がいつか花になり〉〈川がいつか海になり〉。一曲の中でどんどん飛躍していくイメージ。長い目で見れば命は一瞬。長い目で見ても人はずっと争い続ける。だったら想像してみよう、と子供に諭すように下津は歌う。〈すれ違う一人一人 名前があり 花束抱いて生まれ〉。かくも小さなことを意識するだけで他人への意識は変わるだろう。ささやかな希望を込めるかのように歌はこう幕を閉じる。〈飛び跳ねれば宇宙にだってなれるよ〉。宇宙一一それはあなたのイメージによっていかようにも変わる未来のことだと思う。

 GEZANは「東京」を取り上げよう。〈今から歌うのはそう/政治の歌じゃない〉との前置きから始まるマヒトの歌は、〈戦争/銃声が聞こえるだろう〉と近未来的なイメージを絡めつつ〈新しい差別が/人を殺した朝〉〈誰も幸せな人はいないのにさげすみあってるループ〉と街の景色を生々しく掬い上げていく。ただ、やはり彼も反戦・反政府と旗を掲げることはしない。ひたすら息苦しい現実を掻き消すように〈想像してよ〉と叫ぶのだ。

 強烈なのは後半。歌の冒頭に戻るように〈政治〉という言葉が再度出てくる。そこから浮かぶのは首相や大統領の〈dirty faceではなく〉、〈花を見て笑う/好きな人の顔であるべきだから〉。これまた非常にささやかで具体的な想像力。みんなにそれができれば何かが変わるだろうか。問いかけを繰り返しながら最後は〈答えを聞かせて?/東京〉。東京一一これもまた、聴き手の想像力によっていくらでも変わる未来の暮らしのことを指しているはずだ。

 そういえば、マヒトへの取材中に偶然下津の名前が出てきたことがある。「あいつたまにいいこと言うんです。感心したのは〈ロックバンドが責任感なんか持っちゃダメだ〉ってこと。今の世の中と逆行してますよ。どんな発言にも責任が伴う世の中で」。そう笑ったあとマヒトは自分の言葉を重ねて言った。「音楽なら空だって飛べる。〈責任なんか持つな〉っていう言葉には、その後ろに〈空を飛ぶために〉がくっついてくるんですよ」。

 旧作の話になるが、踊ってばかりの国にも「東京」という曲がある。なんてことのない様子で〈政治家のジジイが決めたことで また子どもが死ぬよ〉と歌う下津はさすがに不謹慎、無責任な印象を与えるのかもしれない。新作で過激なアジテートを繰り返し、〈すべての構造を この場所で破壊する〉と叫ぶマヒトも然り。二人の詩人はシビアな現実を見据え、まずは過激に言いたいことを言う。だがそれ以上にデカい看板は掲げず、何かを引き連れようとする様子もない。ただ目の前にいる他者の存在に気づかせ、ささやかな想像力を使おうと提唱する。それこそが空を飛ぶための、花を咲かせるための、最大の抵抗だと言わんばかりに。

 ロックが反体制、革命の音楽だったのは60~70年代の話だ。その幻想をなぞったところで有効であるわけがなく、革命など起きようもないくらいグローバル社会は管理されきっている。そもそも革命とは何か。「アラブの春」を筆頭に、それが人類に素晴らしい変化をもたらすとは言えない現実を、我々はすでに知ってしまった。八方塞がりで無邪気に夢も革命も語れない時代に、刺さるほんとうの歌とは何だろう。

〈僕らは幸せになってもいいんだよ〉(GEZAN『Silence Will Speak』収録「DNA」)。

〈あなたは自由よ/誰も君を笑わないよ〉(踊ってばかりの国『私は月には行かないだろう』収録「バナナフィッシュ」)。

 歌は世につれ、世は歌につれ。この歌詞を見るたびに世相を感じる。こんな時代に、これだけ美しく空を飛んでみせる詩人がいてくれて良かったと思う。2020年のインディシーンは面白い。肯定を続ける音楽が見せる夢とは違う未来がある。(石井恵梨子)

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