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スピッツの音楽の魅力は“わからなさ”にあるーー変わらぬスタンス貫いた『見っけ』から考える

リアルサウンド

19/10/20(日) 8:00

 3年ぶり、通算16枚目のアルバム『見っけ』のリリースに伴い、もはや“国民的バンド”と言っていいだろうスピッツの音楽に対して、さまざまな人々がいろいろな思いや見解を、それぞれの言葉で表現している。たとえば、『関ジャム 完全燃SHOW』(テレビ朝日系)に出演していた川谷絵音、杉山勝彦。あるいは、『SONGS』(NHK総合)の大泉洋、そして広瀬すずをはじめとする「なつぞらファミリー」の面々など。さらには、こんな興味深い企画も(参考:エンタメステーション)。まさしく、性別も世代も超えた多くの人々が、スピッツの音楽を愛しているのだ。けれども、それらの番組や記事を眺めても、いまだ誰ひとりとして、「スピッツを完全に理解した」とは言えないーーというか、その核心を捉えようとするたびに、ヒラリとその身をかわしてスルリと逃げていくもどかしさこそが、スピッツの音楽の何よりの魅力なのだろう。

(関連:スピッツ、ヒゲダン、indigo la End、ザ・クロマニヨンズ、ピロウズ…独自の表現を突き詰めた新作

 アルペジオの響きが美しいギターロックとしての滋味はもちろん、その中心に位置する草野マサムネ(Vo/Gt)の透明感溢れる歌声など、スピッツの魅力は、いくつも挙げられる。けれども、その楽曲のイメージを決定づけているのは、やはり草野による唯一無二の歌詞世界によるところが大きいだろう。たとえば、『関ジャム』でもオンエアされたスピッツの人気曲ランキングなどでは依然として一位の座に輝いている「ロビンソン」。この曲の〈新しい季節はなぜかせつない日々で〉という歌い出しと〈誰も触われない二人だけの国〉から始まるサビの部分の歌詞を記憶している人はきっと多いと思うけど、その歌詞のなかには登場しない、この“ロビンソン”とは、果たして何を意味しているのか、について具体的に説明できる人は、恐らく草野本人以外にはいないだろう。それは、同じく人気曲のひとつである「チェリー」についても同様だ。

 あるいは、「ロビンソン」「チェリー」と並ぶ人気曲である「空も飛べるはず」。スピッツの楽曲のなかでも、かなり歌詞が明確な一曲ではあるけれど、〈きっと今は自由に空も飛べるはず〉という表題と関連したフレーズの直後に置かれた〈夢を濡らした涙が海原へ流れたら ずっとそばで笑っていてほしい〉という一節が、果たしてどんな状況を表しているのかについては、意見が分かれるところだろう。そう、その色褪せない音楽の美しい響きとは裏腹に、スピッツの歌詞は、今もなお聴く者の心に、そこはかとない疑問を残し続けているのだ。

 そんなある意味、デビュー以来一貫しているとも言える彼らのスタンスは、現在も変わらないーーどころか、ここへきて、さらに確信的なものになってきているように思える。たとえば、NHK連続テレビ小説『なつぞら』の主題歌として、これまで以上に多くの人が毎日繰り返し触れることになった「優しいあの子」という楽曲。『アルプスの少女ハイジ』風のオープニングアニメーションをバックに流れる、この軽快な一曲に好感を持つ人はきっと多かったと思うけれど、そこで歌われる“優しいあの子”とは、果たして誰なのか。その子は、歌詞の主人公と、いったいどのような関係にある人物なのか、については、意見が分かれるところだろう(草野本人は、ドラマの主人公である“なつ”ではなく、むしろ“夕見子”をイメージしたと語っているが)。そう、『関ジャム』のなかで川谷絵音は、スピッツの歌詞における「丸いもの=死」、「とがったもの=性」という自説を披露していたけれど、であるならば、この歌詞に登場する“丸い大空”とは、果たして何を意味しているのだろう。

 そして、そんな「優しいあの子」をリード曲とするニューアルバム『見っけ』である。このアルバムは、多くの人々が求める“スピッツらしさ”を真正面から引き受けながら、なおかつそれを自ら更新していくような、そんな一枚となっていた。〈再会へ! 消えそうな道を辿りたい〉ーージャカジャーンと鳴らされるギターの華やかなフレーズと、キラキラとしたシンセの音色のなかから浮かび上がる草野マサムネの第一声。そう、一曲目の「見っけ」から、早くも謎めいているのだ。これは、前アルバムの『醒めない』の表題曲となった「醒めない」で再確認した音楽への愛を、さらに前へと進めたーー今もなお、新たな音楽に触れることの喜びを表現した一曲なのだろうか。そして、「優しいあの子」を挟んで3曲目に置かれた「ありがとさん」。どこかせつなさが漂うロックバラードとなったこの曲は、一見すると“君と過ごした日々”を回顧しながら、失われた“君”に対する感謝を綴っているようでーーやがて、失われたのは“君”ではなく歌い手自身であることが発覚する(〈化けてでも届けようありがとさん〉)、すなわち“死者の目線”によって綴られた、ちょっと驚きの一曲になっているのだった。

 さらには、ラジオへの愛をストレートに描きながら、そこに日陰者の気概を滲ませる「ラジオデイズ」、どうやら“花”ではなく“虫”の目線で描かれた「花と虫」、“僕はデブリ(宇宙ゴミ)”と歌う「ブービー」ーー少し話は逸れるけれど、“きまじめで少しサディスティックな社会の手”をふりほどいて、“王様は裸です!”と叫びたい夜を歌った「YM71D」(やめないで?)や、いわゆる“人外”の目線で綴った「はぐれ狼」「まがった僕のしっぽ」など、どこか人とは違う“はみ出し者”である人々を鼓舞するような歌が並んでいることが、今回のアルバムの何よりの特徴のひとつと言えるだろう。

 いずれにせよ、良い曲というのは、何度も繰り返し聴きたくなるものである。しかし、聴けば聴くほどに、ある種のわからなさが浮かび上がってくるーー否、そのわからなさが、何よりも大事なのだろう。そのわからなさは、聴く者の想像力によって、いくらでもその羽根を広げていくのだから。はっぴいえんど、松本隆しかり、井上陽水しかり、サザンオールスターズ、桑田佳祐しかり、世代を超えて長きに渡って愛されるポップソングの条件とは、そのメロディの美しさは誰もが認めるところであっても、その歌詞については、ある種の“わからなさ”がある。決して難解というわけではなく、むしろ平易な単語を用いているにもかかわらず、聴けば聴くほど新たな発見や解釈が生まれていくようなものなのかもしれない。そして、そうやってリスナー一人ひとりが、その楽曲を聴きながら自由にその思いを馳せていくことで、いつしかそれは彼らの曲である以上に、リスナーその人の曲になっていくのだ。スピッツの音楽とは、まさにそういったものであり、このアルバム『見っけ』とは、そのことを改めて多くの人に実感させてくれるような、そんな充実の一枚となっているのだった。(麦倉正樹)

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