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南條愛乃、歌詞の根底にある“つながり”の大切さ 作詞曲から音楽活動への思いを読み解く

リアルサウンド

19/7/21(日) 10:00

歌を歌うのは、声優デビュー当時からの憧れだった。「アーティストとしてソロデビューしたい」と打ち明けたのが2010年頃。待てど暮らせど何も動かず、最後には事務所で泣きながらその想いを訴えたという南條愛乃。ようやく動き出した制作活動は、順風満帆ではなかったものの、応援してくれる人たちのために、何があっても頑張りたかったと当時のブログには綴られている(参考:南條愛乃オフィシャルブログ)。そして2012年12月12日、南條愛乃はミニアルバム『カタルモア』で、念願のソロアーティストデビューを果たす。

参考:南條愛乃の旅路はこれからも続くーー過去・現在・未来が詰め込まれたバスラ公演を見た

 当初より、“親戚や近所にいそうな声優”をコンセプトに音楽活動をスタートした南條。ファンとアーティストという枠組みにこだわらず、ひとりの人間同士として同じ時間を共有するという信条は、今なお揺るがぬところだ。また、ソロデビュー当時から続く作詞活動も順調にフィールドを広げており、八木沼悟志がプロデュースするユニット「fripSide」をはじめ、親しい間柄の声優・飯田里穂や楠田亜衣奈にも歌詞提供をするまでに。いまや作詞家とも称せるその力量は、彼女が7月24日に発売する新アルバム『LIVE A LIFE』でも存分に感じられる。

 話を戻して、『カタルモア』表題曲にはこんなフレーズが登場する。〈ねぇ、もっと話をしよう/君に伝えたいことが、ある。〉。彼女の作詞曲ではないまでも、同楽曲こそ“同じ時間を共有したい”というメッセージがこれ以上ないくらいに伝わってくるものだ。作品タイトルが、自身の造語「カタルモア」(=語る+more)だと解説すれば、そのメッセージもより理解しやすくなるだろうか。この想いは現在の活動にも大いに受け継がれており、実際に彼女の歌う楽曲は、実生活で芽生えた感情や経験を歌ったものがほとんどである。

 南條が『カタルモア』以降に発売したアルバムは全3作。1stアルバム『東京 1/3650』では、声優デビュー以来の10年間にわたる上京生活を振り返り、2ndアルバム『Nのハコ』では彼女の存在を“ハコ”に見立て、旧知の作家陣による客観的な視点から、“南條愛乃”をテーマにした歌詞を募るなど、2作品続けてパーソナルな側面を掘り下げた。そこから発表したのは、“30代の参考書”がテーマの3rdアルバム『サントロワ∴』。今度は自身と同じ30代の人生を題材に、未来に向けた明るい希望を歌うなど、作品で対象とする枠組みを広げる形となった。

 いずれにせよ、南條の音楽作品における起点は自身の存在にあり、ほとんどの楽曲で題材となっているのは、彼女が過ごす何気ない日常や、そこで生まれる喜怒哀楽の感情だ。なかでも南條による作詞曲は、自身の経験や実生活、赤裸々ともいえる感情を描く傾向が強く、そこからは彼女が優れた感受性を持ち、多くの出来事や心情に共感を抱いていることが存分に伝わってくる。

 例えば、『東京 1/3650』収録曲「Dear × Dear」では、大切な友人とのひとときをテーマにしている。友人とのおしゃべりといえば日常のありふれたワンシーンだが、南條は〈名前で呼ぶたび 嬉しくなるよね 心の距離が縮まる〉と、その光景を優しい目線から描写する。

 そこから〈10年先も 20年先も友達だったらいいな/ほんのちょっとだけ 寂しくなったのは秋風のせい〉と、少しセンチメンタルな気分を見せるからこそ、直後の〈またすぐに会うと わかっているけど 次の約束も決めとこう〉という“いたいけ”なやり取りにも、自ずと心を揺さぶられるのだろう。普通であれば、この感情の動きにたとえ気付いたとしても、そっと胸のうちに閉じ込めてしまうことが多いはずだ。その想いに気付かせてくれる南條の歌詞は、聴き手にとって非常に意義深いものだと思われる。

 南條の実体験に基づいているのは、これだけではない。『東京 1/3650』収録曲「believe in myself」では、上京後の空回りした毎日に対する悔しさを歌う。最終的には、その気持ちを〈どんな明日だって 乗り越えるよ〉という邁進に向けた決意にまで昇華するのだが、その過程ではやはり〈自立して 歩く錯覚も/守られていたから 出来たと知った〉と、周囲の力を借りていたという厳しい現実にも直面する。

 同楽曲以外でも、南條は自身の歌詞を通して、心のなかに渦巻く葛藤を表現してきた。それは、『Nのハコ』収録曲「ツナグワタシ」でも同様であり、その曲中には〈傷ついてるヒロインちゃん浸ってるのもキモチイイもんね?〉と、思わず心の痛い部分を突かれそうになるフレーズが登場。たしかに「ツナグワタシ」においても、これらの葛藤は終盤までにポジティブな着地点を見出すのだが、なぜ彼女はここまで自身の感情をストレートに届けようとするのか。

 それはやはり、南條の音楽活動の根底に『カタルモア』があるからなのだろう。彼女の音楽は、それぞれが生きてきた時間を共有するためのものとして、大切な友人と過ごす喜び、思い通りにならない現実と向き合った時のやるせなさなど、自身の人生と重なって映る様々なシーンを描いている。その理由は、彼女が毎日の生活のなかには“灯台もと暗し”ともいえる、普段は忘れがちな多くの幸せが転がっていることを誰よりも知っているからであり、彼女を応援する人々の毎日にそっと寄り添いたいと願っているからではないだろうか。

 実際に、南條が思い通りにいかない葛藤を歌うことで、その想いに自身の境遇を重ね合わせ、自然と勇気をもらった聴き手も少なくはないと思われる。また、その葛藤を抜け出した後でも、南條の楽曲に改めて向き合うことで、その当時に揺れ動いていた心情を懐かしむことさえできるなど、彼女の音楽は様々な場面でその役割を変化させられるといえる。

 そしてそこには、彼女が実生活や声優として歩んだ様々な人生が描かれているからこそ、その言葉も一段と説得力が帯びるのだろう。言い換えれば、南條が歌うからこそ、彼女の楽曲は初めてその意味をなすのであり、そこに多くの聴き手は心動かされるのだ。そんな彼らの想いが“実感”として共有される場所が、南條のライブ空間なのだと思われる。

 そんな“カタルモア”な精神性は、南條の作詞曲における〈~だよ。〉や〈~ですか?〉といった、聴き手に“問いかけ”をするような数々のフレーズにも表れている。その特徴は、彼女の現在を詰め込んだ『LIVE A LIFE』収録曲「繋がりの歌」にも大きく反映されており、〈元気にしていたかい?/久しぶりだね 少し変わったかな?〉という導入部は、まさにその象徴といえる。

 同アルバムに向けて制作された新曲は、どれも南條がライブを通して体験した感情を基にしたものばかり。なかでも「繋がりの歌」の歌詞では、南條と彼女を応援する人々にとっての“いつでも帰ることができる場所”を表現したのだろう。曲中には、彼らがライブ同様に声を合わせて歌う様子が見られるほか、「カタルモア」や「今日もいい天気だよ」といった過去のメッセージソングと共通するような言葉も散りばめられている。ここからは、南條の音楽活動における姿勢が、その始動時より一貫していることを大いに読み取れるに違いない。

 念願のデビュー作となった『カタルモア』から今回発売される『LIVE A LIFE』まで、南條が大切にする人々との“繋がり”は、作詞の側面からも存分に体感できる。最後に『東京1/3650』収録の作詞曲「Recording.」から、南條の音楽活動に懸ける想いが込もったワンフレーズを紹介したい。

〈誰かの気持ち代わりに歌うなんて 大きなことは/出来ないけど 寄り添えるような曲になったら…〉

 作詞家=南條愛乃は、今日も〈たくさんの気持ちを詰め込んで 歌にのせて〉いる。(文=一条皓太)

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