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いま、最高の一本に出会える

VACANTの連続企画『HARAJUKU CINEMA CLUB』初回に廣瀬純、鍵和田啓介

CINRA.NET

19/6/18(火) 20:30

イベント『HARAJUKU CINEMA CLUB vol.1』が、6月23日に東京・原宿のVACANTで開催される。

同イベントは、VACANTによるイベントシリーズ『HARAJUKU CINEMA CLUB』の第1回。「映画における<出来事>」をテーマを据え、『シネマの大義 廣瀬純映画論集』などの著書で知られる批評家の廣瀬純、長場雄との共著『みんなの映画100選』を発表しているほか、雑誌『POPEYE』『BRUTUS』などで執筆するライター・鍵和田啓介が交互に映画を紹介していく。

チケットは現在予約受付中。当日券などの詳細はVACANTのウェブサイトをチェックしよう。

廣瀬純のコメント

カメラの前では、すべての現象は等価である。カメラは、いっさいの価値判断なく、すべての現象を同等に捉える。カメラのそのような「視覚的無意識」(R・クラウス)に立脚した映画は、それでもなお、他のすべての現象から突出した「出来事」をそれとしてスクリーン上に生起させることができるのか。エリック・ロメールが、とりわけ80年代の諸作で繰り返し問うたのはこの問題だった。言葉が出来事を作り出す。しかし、言葉が輪郭を定めた出来事のその到来を待つためには、しかし、微細な記号に対する感受性も高めておかなければならない。『クレールの膝』、『緑の光線』、「青の時間」(『レネットとミラベルの四つの冒険』)の各作タイトルに掲げられているのはすべて出来事の名である。

鍵和田啓介のコメント

混じり合うはずのなかった時間たちが、不意に衝突して混じり合って火花を散らす。映画における出来事とは、そんな瞬間に生起するんじゃないか。映画がより飛ぶためは、出来事を召喚させるためには、混じりっけが必要なのだ。コカインと違って。それはともかく、ときに活劇と呼ばれることもあるそんな瞬間をこそ捉えようとするのは、アクション映画ばかりじゃもちろんない。コメディ映画もまた、出来事=活劇の生起を目指し、あの手この手を開発してきたし今もしている。そこで今回はジェリー・ルイスの『底抜け00の男』をはじめ、いくつかのコメディ映画のなかに生起する出来事=活劇について考えてみたい。

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