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音楽番組に訪れた一つの限界ーー“応援歌”を起点に均一化された2010年代を超えて

リアルサウンド

20/1/22(水) 7:00

■「すべての歌は、応援歌だ。」と2010年代の歌番組

 昨年の『第70回NHK紅白歌合戦』の副題が「すべての歌は、応援歌だ。」であることを知ったとき、これは絶妙なコピーだなと思った。今夏の東京五輪を意識して選ばれたと思われるこのフレーズが、実は2010年代の音楽番組の大きな流れを端的に示しているように感じたからである。

(関連:『関ジャム』プロデューサーに聞く、“マニアックでポップ”な音楽番組の作り方

 「2010年代の音楽番組」と一言で言っても、たとえば『亀田音楽専門学校』や『関ジャム 完全燃SHOW』といった音楽の魅力を分析的に掘り下げる番組や『フリースタイルダンジョン』のような特定ジャンルの新たな楽しみ方を提示する番組など、その内実は多様である。ただ、『紅白歌合戦』や『ミュージックステーション』に代表されるような「アーティストの演奏を主体としたレガシーな音楽番組」に限ると、2010年代とは「あらゆる番組が「すべての歌は、応援歌だ。」を起点に均一化されていった時代」だと言えるのではないだろうか。

 2010年代という時代を振り返るうえで、2011年3月11日に起きた東日本大震災を外すことはできない。あの辛い出来事からちょうど1週間後の3月18日、『ミュージックステーション』(テレビ朝日系)でFUNKY MONKEY BABYSが予定を変更して1年前にリリースされていた「あとひとつ」を歌った。〈僕は信じているから 君もあきらめないでいて〉というポジティブに振り切ったメッセージが、たくさんの人々を奮い立たせた。また、3月27日に放送された『FNS音楽特別番組上を向いて歩こう ~うたでひとつになろう日本~』(フジテレビ系)では、多くのミュージシャンが過去の名曲を歌い上げながら連帯を呼びかけた。さらに、同年の夏には「一つになって歌の力でニッポンを元気づける」をコンセプトにした約8時間の大型歌番組『音楽の日』がTBSで放送された。

 日本社会における戦後最大の危機と言っても過言ではないような状況において、テレビは「応援歌」を通じて人々を勇気づけようとした。そして、この時の取り組みが、結果としてそれ以降の音楽番組のあり方を縛っていくことになる。

 「応援歌」として機能した過去の曲は、そのパワーを買われてそれ以降も音楽番組におけるメインコンテンツに居座り続けた。長尺の音楽番組はTBS以外でも定番となり、放送枠を手堅く埋めるための手段として「みんなが知っている古い曲」の価値がさらに高まった。「みんなが知っている古い曲」ばかりが続くとさすがに飽きがきてしまうので、その範疇での目新しさを出すために「懐かしい曲を意外なコラボレーションで見せる」という手法が一気に浸透した。

 懐メロ重視、放送時間大型化、コラボ主体。2010年代に定着した音楽番組に関するこれらのスタイルは、それぞれの要因が密接に絡み合うことで成立している。そしてその起点となったのは、「すべての歌は、応援歌だ。」という意識をベースとして音楽番組が活用された震災直後のテレビの状況である。

■もう限界だ。次を考えよう。

 古い楽曲をコラボで生まれ変わらせながら放送枠を埋めていく2010年代の音楽番組のフォーマットは、この10年間でそれなりの洗練を見せた。多数の名コラボが生まれ、意外なアーティストの再評価も進んだ。YouTubeやストリーミングサービスを通じて新旧の楽曲が横並びになる現在のリスニング環境との相性も悪くなかった。

 ただ、さすがにもう限界が来ているように思える。昨年末の歌番組ではディズニーやミュージカルに関するメドレーが乱発され、「枠を埋めるためのコンテンツ」が「使い回し」状況に陥っていた。過去の名曲を振り返るにしても限りがあるし、徐々に「当時もそこまで社会に影響を与えたわけではない楽曲」のピックアップも増えてきている印象がある(昨年6月の『テレ東音楽祭』でNOAの1993年の楽曲「今を抱きしめて」が吉田栄作と島袋寛子のコラボで披露されていたのはさすがに驚いた。一時的に売れた楽曲ではあるが、2010年代の最後に「名曲」として振り返られる曲として適切だったのだろうか)。「すべての歌は、応援歌だ。」と掲げた昨年末の紅白も、第2部が史上最低の視聴率を記録するという事態となった。

 せっかく2020年代に入ったわけで、メインストリームの音楽番組も「次のフォーマット」を見つけてほしい。すでにそのヒントはたくさんあるように思える。極端な「バラエティ番組化」が進む『ミュージックステーション』においても、昨年末の椎名林檎や年初のKing Gnuのように「剥き出しのパフォーマンスそのものだけで視聴者にインパクトを与えるステージ」というのは相変わらず存在する。改めてそちらに寄せた番組というのも決して需要がないわけではないだろう。星野源が『おげんさんといっしょ』でトライしているような自身がフロントに立って大きなメディアと対峙するスタイルも、新たなスター候補が登場しつつある今だからこそ可能性が広がっているかもしれない。本稿冒頭で触れたような「音楽の仕組みを解説する番組」にも、テレビだからこその演出やビジュアルの作り方、キャスティングなどによってさらに魅力化できる余地が残っているはずである。

 2010年代が始まったころ、2020年代がスタートする時点で音楽番組が今のような状況になっているとは想像もつかなかった。おそらく2030年代が始まるときにも、「2020年代が始まるころには想像もつかない状況になった」と言っていることだろう。せめて今の予想が「前向きに外れる」ことを願いたい。(レジー)

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