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『野ブタ。をプロデュース』にみる時代の変化 いまこそ“異世代”で楽しめる作品に

リアルサウンド

20/5/2(土) 6:00

<鳴り響いた 携帯電話 嫌な予感が 胸をよぎる 冷静になれよ ミ・アミーゴ>

 懐かしい響きである。2005年、主題歌「青春アミーゴ」とともに若い世代を中心に絶大なる人気を博した、あの伝説的なドラマ『野ブタ。をプロデュース』(日本テレビ系)が“特別編”として現在再放送中だ。1990年生まれで、本作をリアルタイムで楽しんだ世代の人間である筆者としてはなんとも胸が踊り、熱いものが込み上げてくるものだが、先行き不透明な現在の環境下、電話が鳴るとたしかに嫌な予感がよぎる。真っ先に思い浮かぶのはバッドニュースだ。これからの自分がどうなってしまうのか戦々恐々とし、“冷静になれよ”と自らに言い聞かせる日々である。これは私だけではないだろう。

【写真】15年前の亀梨、山下、堀北の姿

 あの作品の放送から早くも15年の時が経った。学園モノである物語の中心人物の“修二(亀梨和也)と彰(山下智久)”は“亀と山P”としてユニットを再結成し(現状、諸々の活動が延期や中止となっている)、ヒロインを演じた堀北真希は引退。忌野清志郎は惜しまれながらこの世を去り、サブヒロインであった戸田恵梨香は朝ドラ主演女優にまでなった。いろいろあったのである。繰り返すが、何しろ15年も経っているのだ。

 メンズの“M字バング”はもはや影を薄くし、ぐいと2Bの鉛筆で引いたような細眉よりも、いまでは“ナチュラル眉派”が大多数を占めている。もちろん、若者たちの服装もだいぶ変化した。現在の学園モノとはずいぶんとその趣が異なる。哲学者の鷲田清一は自身の著書『ちぐはぐな身体 ファッションって何?』(ちくま文庫)の中で、与えられた制服を着くずすことから、服を着るということがはじまるのではないのかといったことを論じている。これはつまり、“自己表現”のはじまりをも意味しているだろう。しかしいま、かつてのようにまで“着くずす”者の姿はそう見当たらない。

 とうぜん変化したのは、その見た目ばかりではない。本作を再見し、思わず「うっ……」となってしまったのは、「ブス」や「キモい」、さらには「美男美女以外は……」といった容姿に関する言葉が散見され、ルッキズムがまかり通っているという点である。個人の主観的な価値観に基づいた、他者の美醜に対する露骨な態度は現代ではご法度だ。コンプライアンスが叫ばれる現代、多くのおおやけの場でこういったものは減ってきているのではないか。これもまた時代の変化である。しかし、先に述べた“自己表現”や、他者を貶めるような聞くに/見るに堪えない言葉は、爆発するように日々ネット上に溢れ返っているのも事実だ。

 ……と、ここまで書いてきたが、2020年のいま現在に観てみると時代錯誤感が否めない……というだけの話である。展開する物語からは、友情やチャレンジスピリットなど、学べることはいまでもあるだろうし、実際、当時はみなが熱狂したものだ。山Pのあの独特な言動をマネた方も数多くいたはずである。筆者も例外ではなく、中学のダンスの発表会で「青春アミーゴ」を仲間たちとともに「SI!」と叫びながら意気揚々と踊り、後日、音楽番組で本家のダンスを見て、振り付けがまったく違ったことにみんなで赤面した記憶などがある。破竹の勢いでミリオンセラーを記録した同曲は、“国民的ソング”にまでなり、あの頃に青春時代を過ごした者にとって、やはり思い入れ深い1曲なのではないだろうか。そこにはたしかに、“アミーゴ=仲間”という感覚があった。

 ところで、本作がいま再放送されることによって面白いのが、リアルタイム世代とともに、今回初めて触れる世代が、時を同じくして観ていることである。先に長々と述べたように、初めて観る世代にとっては、やはり前時代的なものと感じていたりもするようだ。そういった感想がSNS上を賑わせている。例えばだが、次世代のエンタメ界を担うであろう鈴木福や芦田愛菜は当時観ていないはずだし、森七菜や清原果耶、さらにいえば浜辺美波世代くらいまではリアルタイムでは観ていないのではないだろうか(もちろん、なんらかの方法で視聴している可能性はある)。

 新世代の彼ら若者にとっては、ある種“古い”とされる演技表現や学園モノの様式が、かえって“新しい”ものと映っていることもあるかもしれない。ファッションや音楽など、あるサイクルによって流行が再燃してきた例は、これまでにいくつもある。そのようにして、ある者は当時を懐かしみながら、またある者は新鮮な目と耳を持って、こういった作品を共有できるチャンスでもあるのだ。そこからまた、新たな作品が生まれる期待感もあるし、異なる世代がともに楽しめる作品だといえる。“おうち時間”を余儀なくされている現在、多くの方が耐え難いストレスを溜め込んでいることだろう。あらゆる情報が錯綜する中、みなで共有/共闘する必要がある。いまこそ世代も関係なしに、みなで(うちで)踊ろう! アミーゴ!

(折田侑駿)

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