佐々木俊尚 テクノロジー時代のエンタテインメント
アカデミー賞作品賞ほか主要3部門受賞! 『ノマドランド』に見る、今こそ注目したい「ノマド」の世界
毎月連載
第35回
今年のアカデミー賞で作品賞、監督賞、主演女優賞を受賞した映画『ノマドランド』(公開中) (C) 2021 20th Century Studios. All rights reserved.
日本時間の26日に発表されたアカデミー賞で作品賞をはじめ監督賞、主演女優賞を受賞した『ノマドランド』。この作品には映像の美しさや現実の車上生活者が多数出演していることなどさまざまな見方ができるが、何よりも「ノマド」と呼ばれる人たちの現実にわたしは注目したい。
日本でノマドというと、オフィスを持たずにカフェやコワーキングスペースなどを移動しながら仕事をする人を指すことが多い。だいぶ忘れ去られているが、わたしが2009年の著書「仕事するのにオフィスはいらない ノマドワーキングのすすめ」(光文社新書)でノマドをそういう意味で使ってから、この言葉は広がった。
しかし現在のアメリカでノマドと言われている人たちは、それとはまったく異なる。ノマドはアメリカ全土をミニバンなどの車で移動し、車上生活を続けながら、季節労働に携わっている人たちのことだ。こういう渡り鳥的な季節労働者は20世紀はじめにもいて「ホーボー」と呼ばれた。ホーボーはサブカルチャー的でもあり、ウディ・ガスリーやボブ・ディランなども彼らのことを詩的に歌っている。しかし現代のノマドたちは、ホーボーとは際だった違いを持っている。それは、ノマドの多くが高齢者だということだ。
日本とは様相が違う、アメリカの極端な格差社会とその背景
この「高齢ノマド」の背景にあるのは、アメリカが極端な格差社会になっているという現実だ。
いまのアメリカでは、上位1パーセントの人の平均年収は1億5000万円。全体の9%ぐらいいるアッパーミドルでも、2200万円ぐらいの年収がある。それに対して、下位50%の労働者階級の年収は200万円にも満たない。日本でも非正規低収入の「アンダークラス」と呼ばれる人たちが問題になりつつあるが、日本とアメリカとは同じ格差化でもちょっと様相が違う。
なにが違うかというと、日本では低収入層が困窮しつつあるという“底抜け”状態なのに対し、アメリカではもともとの中流層(ミドルクラス)がもの凄い勢いで転落しつつあるのだ。これに加えて2008年のリーマンショックで住宅ローン破綻によって家を失ったり、その後の株価大暴落で確定拠出年金が打撃を受けて年金を失う人が大量に出たり、といったことも起きている。
リーマンショックから経済が成長に転じた後、不動産価格は暴騰した。この結果、都市部では普通の人が家を買うことが難しくなり、高くなった家賃を支払えなくなる人も出た。今回のコロナ禍でも、仕事を失うエッセンシャルワーカーが続出している。
さらには高額な大学の学費を支払うための学費ローンに苦しめられ、その割には大卒資格があまり役に立たず、また離婚による訴訟の費用や養育費など、負担はどんどん増えて行っている。こういう過酷な状況で、もっとも大きな出費である家賃を諦め、車上生活に移る人たちがたくさん出てきているのだ。
『ノマドランド』からみなぎる“時代の開拓者精神”
この映画の原作であるノンフィクション『ノマド 漂流する高齢労働者者たち』(春秋社刊)で、著者のジェシカ・ブルーダーは「六五歳以上のアメリカ人の大半にとって、公的年金はいま、最大にして唯一の収入源になっている。だがその年金額は、驚くほど少ない」と書いている。ある研究者の試算だと、「中流層の労働者の半数近くは、退職後は日にわずか五ドルの食費でやりくりすることになる」。そしてこれは「定年の消滅」だという。
こうやって状況を俯瞰して見ていくと、なんとも絶望感しか湧いてこない。家を捨てて車上生活をしている高齢ノマドが、いったいどのぐらいの数に上るのか。原作には「ノマドの確かな人数は不明だが、私の知り得た事例の数々からは、住宅バブルの崩壊とともに急増し、その後も増え続けていることがうかがえる」と記されており、相当な数の人たちが荒野に戻りつつあるようだ。
しかしこの『ノマドランド』はいっぽうで、とても力強い精神もみなぎっている。主演のフランシス・マクドーマンドが凛として荒野に向き合っている姿は、まるで西部劇のヒロインのようでもあり、時代の開拓者精神(フロンティアスピリット)が画面の向こう側から立ち上がってくる。
制作ノートで、プロデューサーのモリー・アッシャーは「ノマドはアメリカンドリームを再定義しています」とコメントしている。同じくプロデューサーのピーター・スピアーズはこう言う。
「タイタニックは沈没している。しかし、このノマド現象はたくましいアメリカの個人主義の伝統と緊密につながっている。こうした生活に追い込まれた人でも、その多くは独立心と新しい自意識を発見しています。人生で初めて自分自身で身を立てています」
そして中国出身のクロエ・ジャオ監督。「アメリカの資本主義はひどいと世に問うために、放浪するノマドを題材にしたわけではありません。わたしの目的はこのノマドの世界に身を投じて、ユニークな移動し続ける国家というアメリカの姿をつぶさに追うことでした」
振りかぶっていまの日本社会を考えると、ここでも“弱者”の新たな問題が近年急浮上している。これまで障がい者や在日外国籍の人、性的マイノリティが弱者として捉えられてきたけれども、もはやそれだけではない。逆に、従来は“マジョリティ” “強者”と扱われてきた“働く男性たち”が、非正規雇用の増加やブラック労働などで弱者化しており、その実態が近年少しずつ認識されるようになってきている。
極論を承知でいえば、これは“一億総弱者化”とでも言えるような何とも言えない状況である。そういう事態に私たちはどう立ち向かうか。わたしたちはアメリカの高齢ノマドたちの“矜持”に目を向け、どのように人生に立ち向かうのかを考え直す時期に来ているのかもしれない。それは決して自分だけが勝ち抜いて逃げることでもなく、かといって自己憐憫に浸るだけでもなく、もう少し別のありようではないかと思うのだ。
プロフィール
佐々木俊尚(ささき・としなお)
1961年生まれ。ジャーナリスト。早稲田大学政治経済学部政治学科中退後、1988年毎日新聞社入社。その後、月刊アスキー編集部を経て、フリージャーナリストとして活躍。ITから政治・経済・社会・文化・食まで、幅広いジャンルで執筆活動を続けている。近著は『時間とテクノロジー』(光文社)。