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『波よ聞いてくれ』ミナレに学ぶ“言葉のスペクタクル” 声を電波に乗せることの意味とは?

リアルサウンド

20/6/25(木) 13:07

 豊かなボキャブラリーに彩られた言葉の応酬と、圧倒的な熱量ーーこれを視覚情報として得ながら全身で体感できるのが、現在『月刊アフタヌーン』にて連載中のマンガ『波よ聞いてくれ』である。完成度の高かったアニメも放送が終了したばかりだが、やはり、原作マンガが面白い。

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 いや、もちろんアニメも面白かった。本作のカギとなる「声」は、アニメ化によって得ることができたのだ。しかし、一点だけ到達できなかったものがあるように思う。

 本作は、ともすると“地味”になりかねない「ラジオ局」を舞台にしているものの、ひじょうにスペクタキュラーな作品である。それもそのはず。『無限の住人』が代表作である沙村広明の画風によって描かれた登場人物たちの動きには、アクションさながらに読者に迫ってくるものがある。そして、このこと以上に本作をスペクタクル作品たらしめているのが、主人公・鼓田ミナレの発する言葉だ。彼女の言葉の積み重ね、連弾が、作品にダイナミズムを与えているように思う。ここが先に述べた、アニメでは到達できなかった点だと感じるのだ。

 もちろん、ミナレの声を演じた杉山里穂の仕事は素晴らしかった。ミナレはたまたま知り合ったラジオ局のディレクターにその才能を見出され、いきなり冠番組を持たされることとなった、いわばシンデレラガールである。“話芸の天才(鼓田ミナレ)”を“話芸のプロ(杉山)”が演じるというのは、筆者のような素人からしても、容易でないことは分かるのだ。「声」を生業とする者の「声」を演じるのには、かなりの高さのハードルがあったのではないだろうか。アニメ化によって動きを得たミナレと杉山の声は絶妙にマッチし、その軽やかでスピーディーなセリフ回しの流麗さには聞き惚れた。しかしだ、やはりアニメだと、マンガならではの活字によるセリフの同時多発的な積み重ねは再現できない。ここが、原作マンガの方に軍配が上がっている点のように思うのだ。

 そんなミナレだが、彼女は必ずしも政治的な発言や、非現実的な言葉ばかりを繰り出すわけではない。アニメで描かれたパートでいうと、全方位的に“クソ”な元カレへのウィットに富んだ罵詈雑言や、その男のせいで人生どん詰まりとなった彼女の、ペーソス漂うセリフの数々などである。あくまでもミナレが持ち出すトピックは、ごく身近にあるものばかりだ。しかし彼女を見ていると、“身の周り”について述べることは、“この世”を論じることに繋がっているのではないかと思える。

 かねてよりプライベートで言いたい放題であったミナレは、それを公共の場で発する権利を得たわけだが、かといって彼女は、クローズドな空間での言葉をそのまま電波に乗せているわけではない。パブリックな環境には相応の、言葉の変換が必要だ。私たちは誰しも、“心の声”というものを持っている。それはつまり、心のなかでは思いながらも、口には出さない/出せない言葉のことだ。ミナレはこれも、電波に乗せることができる。私たちもSNSの普及によって、いつでも、どこでも、誰でも、“心の声”を吐き出せるようになった。しかし多くの人が“匿名化”することで、目を背けたくなるような言葉による誹謗中傷は止むことなく、どこからともなく湧いてくる。

 鼓田ミナレは、公共の場で発言する権利を特別に与えられた。彼女が匿名でないということは、つまり“責任”が現前化しているということでもある。もし彼女が匿名ならば、そこで放たれる言葉は変わってくるかもしれない。“公共の場とは何か?”、“この言葉を発する私とは何者か?”ーーそんなことを考えるきっかけを、ミナレはその姿勢で示しているように思うのだ。あっけらかんとした彼女の言動に、思いがけず惑わされてはいけない。“誰に向けて言葉を発しているのか?”ということに自覚的な彼女の態度を、自戒を込めて見習いたいものである。

 アニメでは、ミナレのラジオ業界への参入と、彼女を取り巻く者たちの関係がユーモラスに描かれるのに終止しているが、これ以降マンガでは、カルト教団が登場したりとスペクタキュラー感が増してくる。しかしその反面、本来このマンガが持っている言葉のやり取りによる面白さ以上に、エピソードのインパクトの大きさの方が上回ってしまっているように思う。だが、最新刊である7巻では、リスナーの「義兄の引きこもりをなんとかして欲しい」といったお悩みに、ミナレが“身体を張って”挑む姿が描かれている。また彼女が、“身の回り”を論じるタームだ。小さなものに言葉を与えることで、それが伝搬し、やがて大きなものへと姿を変えることがある。鼓田ミナレとは“祭り上げられた代弁者”だが、その彼女が公共の場で何を申すのか。各コマから溢れ出すように書き込まれた愉快な比喩表現や、エキサイティングな彼女の言葉を前にすると、この心が凪ぐことはないのである。(折田侑駿)

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