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シャーリーズ・セロンが繰り返してきた“破壊と再構築” 作家主義的な演技の数々を振り返る

リアルサウンド

20/6/9(火) 8:00

シャーリーズ・セロンの近年の活躍は目覚ましいものがある。FOXニュースの創設者によるセクハラに対して立ち上がった女性職員たちの戦いを描く『スキャンダル』では、主演はもちろんプロデューサーに名乗りをあげ、映画化に一役を買った。『ロングショット 僕と彼女のありえない恋』でも製作と主演を務め、『グリンゴ/最強の悪運男』『タリーと私の秘密の時間』『アトミック・ブロンド』でもいずれも製作・出演を果たしている。セクハラに立ち向かうニュースキャスターを演じた『スキャンダル』、女性初の大統領を目指す『ロングショット』など、男女格差が叫ばれる現在の潮流に呼応した役柄を演じ、今年のゴールデングローブ賞では、女性監督がノミネートされていなかったことへの異論も提唱するなど、女優としての活躍に止まらず、プロデューサー、オピニオンリーダーとしての役割も果たすセロン。今、改めてセロンのキャリア、そしてその特異性を振り返ってみた。(編集部)

参考:全文はこちらから

トム・ハンクスへの憧れ~キャリア初期の運命的な形成~

 『スプラッシュ』(ロン・ハワード監督/1984年)のトム・ハンクスに憧れ、「私の方が(ヒロインの)ダリル・ハンナより上手く演じられる!」と自分に言い聞かせていた少女時代のシャーリーズ・セロンにとって、キャリアの最初期に、ほかでもない憧れのトム・ハンクスによる長編監督デビュー作『すべてをあなたに』(1996年)への出演が決まったことは、人生最大の喜びの一つであっただろう。80年代ハリウッド映画のピュアネスを一身に背負っているかのような『スプラッシュ』におけるトム・ハンクスの演技は、恋が始まるときを告げる一瞬の視線のあり方として、ピュアネスの瞬間最大風速値を画面に表象する。少女時代のセロンは、おそらくトム・ハンクスがダリル・ハンナに向ける、少年のような視線と表情の火照りそのものに恋をしてしまった。そして『すべてをあなたに』という作品自体が、在りし時代(60年代)へのオマージュ・愛に満ちており、青春の光と影を描いた音楽映画の傑作であることは、彼女のその後のキャリアを考えると、示唆に富んでいる。

 セロンが、『ノイズ』(ランド・ラヴィッチ監督/1999年)でジョニー・デップ、『裏切り者』(ジェームズ・グレイ監督/2000年)でホアキン・フェニックスという二人のまだ若く、気鋭のな俳優と共演できたことは、その後のキャリアにとって大きな収穫だったと思われる。モデルとして活動を始めたセロンにとって、長身である彼女の持つスケール感が初めて画面にジャストサイズでブローアップされたのが『ノイズ』であり、ここでのジョニー・デップと対面したラブシーンは、カメラが二人の肌を旋回する特異な画面の収まり方も含め、以後のキャリアを左右しか兼ねないほど素晴らしい出来栄えだ。

 『ローズマリーの赤ちゃん』(ロマン・ポランスキー監督/1968年)への美しいオマージュともいえる『ノイズ』(原題は『宇宙飛行士の妻』)は、セロン曰く「独特のリズム」を持つジョニー・デップという稀代の俳優との演技のレスポンス=反射が幸福な形で画面に昇華されている。また『ローズマリーの赤ちゃん』のミア・ファローへのオマージュとして、セロンがセシルカットであることも、映画史との接続は元より、その後にセロンを起用する映画作家のインスピレーションになったことにも触れておきたい。

 『サイダーハウス・ルール』(ラッセ・ハルストム監督/2000年)の中で、マリリン・モンローのような髪型をしたヒロインを演じたセロンが、映画館のスクリーンとの切り返しによって、または何も上映されていないドライブインシアターの真っ白いスクリーンとの切り返しによって、映画史と接続されるという極めて美しいシーンがある。真っ白いスクリーン、何も書かれていないキャンパスに、その切り返しとして浮かび上がるセロン。それを受けてか、『裏切り者』のジェームズ・グレイは、ホアキン・フェニックスとマーク・ウォールバーグにしか興味がないのではないか? と途中まで思わせておいて、終盤にとっておきのショットをセロンに用意している。セロンへの美しいクローズアップである。クローズアップの発明は、映画の創成期にD・W・グリフィスが女優の被写体としての魅力に引き寄せられたことから生まれた、というロマンチックな仮説を信じて疑わなくさせるだけの魅力がここにはある。ここでセロンにサイレント映画の女優の品格を纏わらせてしまうジェームズ・グレイの演出は見事としかいいようがない。在りし時代の肖像を纏い、自らを映画史と接続することにセロンはキャリアの初期から意識/無意識に成功しているのだ。

記念碑的作品『モンスター』~偶像破壊のセルフプロデュースへ~

 セロンのキャリアにおいて、アカデミー主演女優賞を受賞した『モンスター』(パティ・ジェンキンス監督/2003年)は、自他ともに認めるターニングポイントとなった作品だ。セロンはこの作品の役作りのために14キロもの体重の増加による肉体改造を試み、且つ、初めてのプロデュース業にも挑んでいる。ここから続くセロンによる「セルフプロデュース」という意味でも記念碑となる作品だが、同軸で女性監督をプッシュしたことに、彼女のポリティカルな意志をそこに見出せる。『モンスター』は、『ボーイズ・ドント・クライ』(キンバリー・ピアース監督/1999年)に連なる、アメリカの郊外における歪を描いた傑作(同性愛が描かれていることでも共通する)で、濡れた歩道に反射するネオンの鈍い光が、主人公の現在地を心象風景のように照らしていく。少女時代に自分はマリリン・モンローになれると信じていた実在する娼婦アイリーン・ウォーノスが見たアメリカの痛ましい風景。肉体改造により別人へと変貌したセロンは、自らをこの風景が作りあげた造形=モデルとすることで、アメリカの闇と同化する。恋人セルビー・ウォール(クリスティーナ・リッチ)への隠し事が増えていけばいくほど、アイリーンの口数も増えていく。セロンは最初に造形から入ることで主人公や風景と同化する。次に、犯罪を犯す度にトランスしていく主人公を、キャリアによって作り上げてきた自らの偶像を破壊することで、一世一代の演技を見せる。

 その2年後に『スタンドアップ』(ニキ・カーロ監督/2005年)で、同じく女性監督の手がける作品に出演するセロンの野心は一つの完成形に到達する。雪原の田舎町(『スタンドアップ』の原題は『North Country』)におけるシングルマザーの経済的な独立とセクハラ=暴力に一人で立ち向かう実話を描いたこの作品は、無言の圧力によって同じ女性同士からも連帯が得られないどころか、謂れのない中傷さえ浴びてしまうという過酷な環境を描いている。

 『モンスター』から続くセロンの作品選びに、現在の「#MeToo運動」など、女性の社会的独立や尊重されるべき当たり前の権利の主張に早い段階からセロンが意識的だったことは、彼女の言動を後追いするまでもなく、フィルモグラフィーがそれを証明している。また、炭塗れになって炭鉱で働くシングルマザーを演じるセロンには、「セクシー女優」というレッテル、さらにいえば「セクシー女優からの脱却」というレッテルすらも既になくなり、画面に投影される女優としてのオーラだけが残っている。そしてこういったセロンの試みや野心はジェイソン・ライトマンとの仕事に引き継がれることになる。

ジェイソン・ライトマンとの共闘

 『モンスター』や『スタンドアップ』のように明確な社会性を取り扱った作品とはまた違うステージで、セロンはジェイソン・ライトマンとの非常に興味深い連作を残している。『ヤング≒アダルト』(2011年)は、かつて町一番の美女だった女性が、プライドの高さはそのままに年齢を重ね、故郷に帰郷する物語だが、セロンはここでもはや自分がどうカメラに映るかということすらまったく気に留めていない。『モンスター』や『スタンドアップ』のような作品ですら、容姿の造形から自分をモデル化し、カメラがどう自分を捉えているかを逆算して演じることに意識を払っていた(つまりプロフェッショナルの最高峰ということだ)と思われるセロンが、ここでは完全にジェイソン・ライトマンの撮る風景に体ごと身を預けている。女性が年齢を重ねるということが、この連作に共通する物語上の、カメラ上の、そして演技上のテーマであり、セロンは謂わば自らをドキュメンタリーの素材としてカメラに身を預けているのだ。

 再び役作りのため体重を23キロ増量して挑んだ『タリーと秘密の時間」(2018年)においては、その傾向はさらに強まっている。『モンスター』における偶像破壊によるセルフプロデュースのイメージは跡形もなく、あるがまま、いつどこからでも撮っていいようにセロンは構えている。この連作は、女優/女性が年齢を重ねていくことをフィクションの中で,更に連作として提示する極めて稀少な作品群といえる。特に『タリーと秘密の時間』の終盤、女性二人組で駆け出す夜の町のシーンは、シンディー・ローパーの大ヒット曲(「ガールズ・ジャスト・ワナ・ハブ・ファン」ほか)でスタートを切ることも含め、シャーリーズ・セロンという女優のキャリアそのものへのオマージュとなっている。思えばキャリア最初期の『すべてをあなたに』から、セロンとポップミュージックの親和性はとても高かった。それも知る人ぞ知るようなポップミュージックではなく、大ヒット曲がいつも背後に流れていた。『モンスター』のジャーニー、『アトミック・ブロンド』のクイーン+デヴィッド・ボウイ、『ロングショット』のブロンディ……。さらに『タリーと秘密の時間』の中で主人公は人魚に命を救われる。これは『スプラッシュ』を愛するセロンのキャリアそのものへの最大級のオマージュ以外の何ものでもない。

50/50の造形~フュリオサ=現代のジャンヌ・ダルク~ 
 「50/50にグラマーな容姿」と自身を男性でも女性でもない中性として分析するセロンが、『マッドマックス 怒りのデス・ロード』(ジョージ・ミラー監督/2015年)で怒りの戦士フュリオサを丸刈りで演じたことは、新たな偶像への挑発的な試みに思える。崩壊した世界における怒涛のテンションの中で、フュリオサは苦悶の表情こそ浮かべるものの、目的の遂行に向け、ほぼ表情を崩さない。さながら現代のジャンヌ・ダルクのようでさえあるフュリオサのクールな佇まいやアクションは、性別の上でも反隷属的であり、例え自身が血まみれの犠牲者になろうとも、ジャンヌ・ダルクのように火刑台に立たされることだけを断固として拒否する。この偶像への拒否、偶像の破壊が、新たに現代的な偶像を召喚する。

 また、主人公の造形自体がブロンディのデボラ・ハリーへ向けられた偉大なオマージュといえる『アトミック・ブロンド』(デヴィッド・リーチ監督/2017年)では、無機的な女スパイの表情を保ちながら、アイディアの宝庫であるかのようなアクションシーンは色彩豊かな舞踏のようである。同じくブロンディの名曲「ラプチャー」のPVで、デボラ・ハリーが躍った自由な空気をフィルムに焼き付けているかのようだ。NYパンクのシンボルであるデボラ・ハリーという偉大な偶像=モデルのアップデートであり、セロンにしか成し得ない新たな偶像を創出することに成功している。このように近年のセロンは表情を敢えて封印することで、そこに浮かび上がる感情の色彩を自ら演出する。その意味でセロンが製作と主演を務めた『スキャンダル』(ジェイ・ローチ監督/2019年)のハイライトである、セロンとニコール・キッドマン、マーゴット・ロビーの三人がエレベーターに乗り合わせ、ほぼ言葉を交わさずに沈黙で構成されるシーンは、とても象徴的なシーンだ。セロンはこのシーンを「ニコールとマーゴットという二人の偉大な女優への“信頼”」と語っている。

 『ディアボロス/悪魔の扉』(テイラー・ハックフォード監督/1997年)の中で、アル・パチーノ扮する大物弁護士ジョン・ミルトンにモデルのポージング(ストライク・ア・ポーズ!)を取らされたときから、セロンはスクリーンに投影される自身の偶像と常に向き合ってきた。偶像の破壊と再構築による交換不可能な偶像の創出。その繰り返しの中でしか生まれ得ないプランがセロンのキャリアを形作っている。当然ながらそれはセロンのある強い意志によって導かれている。『スキャンダル』のグレッチェン・カールソン(ニコール・キッドマン)の台詞を思い出そう。

「兵士が皆同じ制服を着させられているのがなぜか知ってる? 兵士は交換可能だと思われている。私は交換されることを拒否する」 (文=宮代大嗣)

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