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yonige 牛丸ありさが明かす、魅了された3曲の歌詞 宇多田ヒカル、キセル、さよならポエジー……“距離感のバランス”に言及

リアルサウンド

20/6/28(日) 12:00

 アーティストの心に残っている歌詞を聞いていくインタビュー連載『あの歌詞が忘れられない』。本連載では事前に選曲してもらった楽曲の歌詞の魅力を紐解きながら、アーティストの新たな魅力を探っていく。第5回には、yonige・牛丸ありさが登場。牛丸が選曲したのは、宇多田ヒカル「BLUE」、キセル「ベガ」、さよならポエジー「觜崎橋東詰に月」の3曲だった。牛丸はこの3曲のどういったところに魅了されたのか。3曲を紐解いていくなかで、牛丸が目指す歌詞表現も明らかになった。(編集部)

(関連:宇多田ヒカル「BLUE」試聴はこちら

●「ベガ」の歌詞を読んで、私の行き着きたいところはここかもって
ーー宇多田ヒカルさんの「BLUE」(『ULTRA BLUE』収録)に出会ったのはいつ頃でしたか?きっかけはなんでしたか?

牛丸:最初に「BLUE」を聴いたのは『ULTRA BLUE』の発売当時なので、小学6年生だったと思います。

ーーリアルタイムで聴いていたんですね。今聴いてみて印象は変わりましたか?

牛丸:宇多田ヒカルさんの音楽は好きだったんですが、歌詞の意味はわからずに聴いていたんです。でも今聴いてみると、宇多田ヒカルさんの歌詞は距離感のバランスがすごくて。壮大なことを歌ってると思ったら、日常の些細なことを歌い出して急にグッと近づくこともある。その距離感がおもしろいです。

ーーどのフレーズにそのような印象を受けましたか?

牛丸:例えば、〈恋愛なんてしたくない〉の後の〈砂漠の夜明けがまぶたに映る〉とか。個人的な感情を取り入れてると思ったら、広い世界の話が出てきたり。視野がミクロになったり、マクロになったりを繰り返していて好きです。

ーー「BLUE」は、宇多田さんの楽曲でも特に内省的な歌詞です。牛丸さんはこの曲を聴いて宇多田さんの考えと通じる点はありましたか?

牛丸:宇多田さんの曲って、私にとってはファンタジーなんです。近未来的であって現実的ではないような。でも、たまにふと現代に通じる描写もあって。だから共感するというよりも映画を観ているような感覚に近いかもしれないですね。

ーーその感覚は興味深いですね。ご自身の歌詞に、宇多田さんの歌詞の要素を取り入れたりはされていますか?

牛丸:距離感は意識するようにはなりましたね。yonigeの初期の頃の曲って、聞き手側と距離がすごく近かったと思うんですけど、距離感を意識しだしてからは少し広く間隔を開けるようにしました。とはいえ聴き手から離れすぎないように日常的なワードも入れたりして。離れて、近づいて、離れて……を意識するようになりました。

ーー距離感でいうと、キセルの「ベガ」は非常に俯瞰的で聞き手の想像力に任せている面も強いですよね。

牛丸:「ベガ」は、2年前に知り合いにキセルを教えてもらったことをきっかけに聴きました。この曲の歌詞を読んで、私の行き着きたいところはここかもって思いましたね。あったかくて愛のある優しい歌であるはずなのに、すごく悲しい曲に聞こえて。大きな事件が起こってるわけでもないのになんだか悲しい、でも何が悲しいのかわからない。この曲に出会って、グレーな部分を捉えた歌詞を書きたいと思うようになったんです。

ーー牛丸さんはこの歌詞を読んで、どのようなイメージを浮かべましたか? 

牛丸:何回も聴いて考えたんですけど、やっぱりイメージってあんまりなくて。その時々の自分にフィットしてくれる曲ですね。悲しいときでも優しい気持ちのときでも、どっちでもフィットしてくれる。全てのフレーズが合わさることで、独特の良さが生まれている歌詞だと思います。

ーーなるほど。さよならポエジー「觜崎橋東詰に月」についても聞かせてください。もともとさよならポエジーとは繋がりが深いですよね。対バンもされていますし、「二束三文」のMVでは牛丸さんが監修していたり。

牛丸:ボーカルのアユ(オサキアユ)と会ったのは、5、6年前ですかね。同世代のバンドの曲ってあんまり聞かないんですけど、さよならポエジーだけは頭が上がらないというか、アユのことは作詞家としてめちゃめちゃ尊敬していますね。

ーーどのあたりに魅力を感じたのでしょうか?

牛丸:初めて曲を聴いたのが「二束三文」でした。バンドマンって普通が嫌だからやってる職業だと思ってたんですけど、アユはこの曲の中で〈普通を愛している〉って言ってるのが衝撃でしたね。この曲を作った当時って、アユは20歳ぐらいだったと思うんですけど、その若さで書ける歌詞じゃないなと思いました。「觜崎橋東詰に月」は、私が2回目に衝撃を受けた曲です。一番の山であるはずのサビを、橋の上に月が浮かんでいる情景描写だけで成立させていることに驚きましたね。アユもやっぱり距離の取り方がすごく上手いんです。難しい言葉を使ったり、情景描写を取り入れつつも、日常に寄り添った言葉も随所に入れてる。

●ただの日常を表現することの難しさに気づいた
ーーなるほど。やはりこれまでのお話を聴いてると、牛丸さんにとって“距離感”は非常に重要な要素なんですね。yonigeの歌詞も、初期の頃と比較すると徐々に俯瞰的な視点になっています。

牛丸:当時は若かったこともあって、自分のことを全部さらけ出すことがおもしろいと思っていたんです。大げさな表現かもしれないんですけど、「詞」というよりかは「Twitter」のような感覚で歌詞を書いていて。自分にあった出来事を発散するように書いていたんだと思います。でも、今は詞を書くおもしろさと向き合っていて、自分の発散ではなくて文章をちゃんと書きたいって考えています。

ーーそう思うようになったきっかけがあったのでしょうか?

牛丸:距離感が近すぎる歌詞は、自分との距離感も近くなるのでしんどいと思ったんです。感覚的には、独りで精一杯で窮屈で、4畳半の部屋で生活しているような感じで。今は、広い部屋に引っ越して友達とか招き入れる余裕があるような曲を作りたいです。

ーー最新作の『健全な社会』は、これまでの作品で最も俯瞰的に物事を描いていますよね。日常に潜む悲哀を冷静に捉えながら、それでいて最も悲しみが深い作品であるようにも感じられます。

牛丸:事件があったほうがドラマチックになるし、描きやすいんですけど……ただの日常を表現することの難しさに気づいて、まず「往生際」の作詞に取り組みました。この曲をきっかけに、アルバム全体もその方向性で進めようと思いましたね。

ーー本作に取り組むにあたって特に意識したことはありましたか?

牛丸:“忘れる”ということをどう歌詞にするか考えました。ある出来事を忘れたりとか、人の顔を忘れるとか、物を忘れるとか……その様子って本人は忘れてるから悲しくないけど、第三者から見ていると悲しく映る。何かを忘れるって、誰もが無意識的に日々やっていて気づかないものだけど、実は一番悲しいことなんじゃないかって思います。なので「忘れる」は、このアルバムで重要なキーワードになっています。

ーーなるほど。作品全体から感じる悲哀は人の常でもある忘却からきてるんですね。牛丸さんはインタビューで「”悲劇はないのに何となく悲しい”を描きたかった」とお話しされていましたが、日常を描くにあたって“喜び”ではなく“悲しみ”を表現したいと思ったのはなぜですか? 

牛丸:うーん、やっぱり嬉しいことより悲しいことを表現したくなるんですかね。悲しいことって日常で共有しづらいというか。嬉しいことって共有しやすいけど、悲しいことって一人で消化することのほうが多いので。

ーー牛丸さんが主観的な歌詞を描いていた時期には、ある出来事から感じた孤独をエネルギーに変えているような印象を受けていました。昨今、歌詞に変化が生まれたことで、孤独に対する考え方は変わりましたか?

牛丸:初期の頃はヒステリーな感じだったかもしれないです。「私は一人なんだー!」って嘆いているような。でも、孤独ってなかなかありえないことだって気づいて。絶対誰かしら人とは繋がってるし、死んでもたぶん独りじゃない。「孤独」っていうワード自体ファンタジーなんじゃないかなと。歌詞として孤独を表現することを突き詰めることは素晴らしいと思うんですけど、私には厳しい。それに、悲しいことが起こるのも人と人とが繋がっているからこそだと思うんです。なので『健全な社会』に関しては、人のことを思ったりとか日常のことを思うことについて描こうと思いました。

ーー『健全な社会』では俯瞰的な視点から日常や人を描いていましたが、そんな本作を経て今後はどのような歌詞を描いていきたいですか?

牛丸:今は距離の近い歌詞を描くことに対して恥ずかしさもあるんですが、今後は俯瞰的な視点は保ちつつ、意図的に距離感の近い曲も書けるようにしたいですね。(取材・文:北村奈都樹)

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