海外映画取材といえばこの人! 渡辺麻紀が見た聞いた! ハリウッド アノ人のホントの顔
ジャック・ニコルソン
連載
第57回
── 今回はリバイバル上映の作品からジャック・ニコルソンでお願いしたいと思います。彼の代表作のひとつでもある『シャイニング』の北米公開版&デジタルリマスター版が“午前十時の映画祭11”で上映されます。監督はスタンリー・キューブリックですね。
渡辺 『シャイニング』にもいろんなバージョンがあるようで、この<北米版>のランニングタイムは143分。日本で公開された<コンチネンタル版>は短くて119分。<初公開版>は146分のようです。
<北米版>には『おもいでの夏』(71)というロバート・マリガンの青春映画がTVでオンエアされているシーンが入ってる。しかもそのブラウン管のアップから始まるんですよ。つまり、とても強調されている。なぜこの映画なんだろう、って思いますよね? 確かに同じワーナー作品ではあるんですが、それがどうも気になって。
骸骨が集まってパーティみたいなのをしているようなショットが増えたりしていますが、そんなに印象は変わらない。私は<コンチネンタル版>でも全然OKじゃん、と思いましたけどね。まあ、どちらにしても原作者のスティーヴン・キングは気に入ってないでしょう(笑)。
でも、多くの人はこの映画でジャック・ニコルソンを知っているんだと思いますよ。気が狂った後、奥さんが隠れるバスルームのドアを斧で破り、そこから顔を出すシーンがあまりに有名なので。さまざまな映画でパロディされてますからね。
── あのシーンは忘れられないですね。ニコルソンにはいつインタビューしたんですか?
渡辺 私がインタビューしたのは『最高の人生の見つけ方』(07)、原題は『The Bucket List』でした。“死ぬまでにやりたいことリスト”として、日本でも定着したんじゃないでしょうか。映画がそれだけヒットしたということですよね。
余命6カ月と宣告された金持ちで鼻もちならない男と、善良で平凡な男がひょんなことから同じ病室になって意気投合、お互い“バケットリスト”を作ってひとつひとつ実現していく、というストーリー。ニコルソンが金持ち、平凡な男の方をモーガン・フリーマンが演じていました。監督はロブ・ライナーで、彼が言うには「ジャックは相手役にモーガンを推し、モーガンはジャックがいいと考えていたんだ」ということでした。
── それは、まさに相思相愛だったわけですね。
渡辺 だから劇中でも息はぴったりでした。何でもライナーとニコルソンはずっと脚本をいじり続けていて、「私たちは毎日、1時間くらいトレーラーの中でシーンの手直しをやり続けていた。そういう努力をまったく惜しまない人なんだよ、ジャックは」と言っていましたから。
さらに「だから一旦、撮影に入るとアドリブは一切ナシ」だそうです。
── さすがベテラン、と言っていいんですよね? 実際、オスカーには12回ノミネートされ、主演賞を2回、助演賞を1回獲得していて、このノミネート数は男優では最多だそうです。
渡辺 『カッコーの巣の上で』(75)と『恋愛小説家』(97)で主演賞、『愛と追憶の日々』(83)で助演賞。私はノミネートだけだった『さらば冬のかもめ』(73)と『チャイナタウン』(74)が好きでした。
── 調べてみたら、『最高の人生の見つけ方』の後、『幸せの始まりは』(10)という作品に出演していて、今はもう引退状態のようですね。
渡辺 1937年生まれの84歳ですからね。私は高校生の頃から彼のファンだったんです。昼間のTVで、彼がロジャー・コーマンのところで出演したホラー映画『古城の亡霊』(63)をオンエアすることになり、それが観たくて学校を休んだこともあるくらい(笑)。あの声と三角眉がいいなーっと。それが一番、活かされていたのは『Tommy/トミー』(75)だと思っているんですけどね。
── どんな方でした? 何となく怖そうというか気難しそうな印象もありますが。
渡辺 そのインタビューは日本人3人で彼を囲むというスタイルだったんですが、みんなドキドキですよ。ニコルソンに会えるチャンスなんて滅多にないですから。でも、当人はそういう私たちの状況を分かってくれていたのか、驚くほどフレンドリーに接してくれました。
「君たちはどこから来たの?」
「日本です」
「おお、日本なんだね。僕は日本が大好きなんだよ。とりわけ日本の美学が。初めて日本に行ったときは冬だったんだが、樹木を藁で包んでいて、その美しさが忘れられないんだ」
という感じで和ませてくれたんです。
── それは嬉しいですね。
渡辺 で、当然「いついらっしゃたんですか?」って尋ねるじゃないですか? その答えが「東京オリンピックの前、1963年の冬に行ったんだ。銀座にはまだ何もなかった。あと半年後にオリンピックを開くと言うから“そんなことできるはずがない”と思ったけれど、実際はできちゃったからびっくりさ」って。
── それはもう、時代を感じますね。いまは2度目の東京オリンピックがどうなるか、ですもんね。観光で来日したんですか?
渡辺 いや、仕事のついでだったらしく、「マニラに行く途中に寄ったんだ」と言っていました。“マニラ”という都市の響きも、なんだか昭和30年代の香りがする(笑)。
そのマニラで撮影した映画はモンテ・ヘルマンの『Flight to Fury』(64)というアクションサスペンスで、フィリピンのジャングルを舞台にしたダイアモンド争奪戦みたいですね。ニコルソンはこの作品の所有権を持っているそうです。「ちょっとコミックブックのようなタイトルだけど、とても気に入っているアドベンチャー映画。それに、当時、新人だった僕に目をかけてくれたフレッド・ルースというプロデューサーが製作してくれたんだ」って。
もう1本権利を持っているのはミケランジェロ・アントニオーニの作品で、自分が主演した『さすらいの二人』(75)だそうです。「ミケランジェロは僕の父親のような存在で、この映画も大好きだった。それが他の者によって切り刻まれるのは耐えられないから権利を買ったんだよ」と言っていました。
── それはいい話ですね。
渡辺 セックススキャンダルで国外追放になったロマン・ポランスキーを援護したり、ロバート・エヴァンスのために屋敷を買い戻してあげたりしたという話を聞いたことがありますし、『バットマン』(89)で組んだティム・バートンは『マーズ・アタック!』(96)で再び彼に声をかけ、「すぐにOKしてくれたから、なかなか決まらなかった他のキャスティングがそのおかげですんなりいった」というようなことを言っていました。
とても義理堅いんだと思います。まあ、ポランスキーやエヴァンスとはその後、いろいろあったようですけどね。
── ニコルソンと言えば、やはり演技派というイメージですが、演技についてはどういうポリシーを持っているんですか?
渡辺 彼にとっての一番の誉め言葉は「ああいう演技ならオレだってできる」だそうです。つまり“難しそうに見えないことが重要”だということです。自然体だということなんでしょうね。
そして「見慣れたものでありつつ、そこに複雑なグラデーションが表現できている、というのがもっとスペシャルな誉め言葉になる」だそうです。
それと、こうも言っていました。「十分リラックスして、自分自身を演技の中に存在させることができると、85%は満足のいくパフォーマンスになる」。
ちなみに、こういう考え方は、役者を志し、アクティングスクールに通っているときに教わったことだと言っていました。
── 演技に対してはとても真摯な感じですね。
渡辺 「今でも僕は学んでいる」と言っていましたから。「“これこそ究極”とか、“これが最高”なんていうことがないのがこの仕事の大きな魅力なんだよ。新しい作品と向かい合う度に必ず、更なるチャレンジがある。そして、チャレンジするためには学ばなければいけない」。
── なるほど。
渡辺 続けてこうも言っていました。「僕は人生の教育のほとんどを映画で得てきた。真剣に仕事と向き合っている役者たちは、多分他の誰よりもよく本を読むと思う。リサーチだったり、興味を持ったことだったり、あるいは何かを求めて本を読むんだ。
僕にとっての最もラグジュアリーな時間の過ごし方は読書だよ。プライベートで読書することほど贅沢な時間の使い方を、僕は知らない。それにしても、まさか自分がそんな読書家になるなんて思ってもいなかった。すべては映画のおかげだろうね(笑)」
── これまたいい話ですね。
渡辺 映画が大好きだから、映画に関わっている人たちを大切にしているのかもしれませんよね。
それに、当時のニコルソンは、自分がTVを観ないので、TVのインタビューは受けないと聞いたことがあります。それも、なんとなくニコルソンらしいような気がしました。
※次回は7/13(火)に掲載予定です。
文:渡辺麻紀
Photo:AFLO
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