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『九龍ジェネリックロマンス』ラブストーリーの背後にある謎とは? SF漫画としての魅力に迫る

リアルサウンド

21/3/1(月) 14:59

 2010年代後半頃から、韓国や台湾といったアジア圏で、シティ・ポップブームが起きていて、山下達郎や竹内まりやといったミュージシャンが80年代に発表した楽曲が再評価されている。YouTubeに上がっている外国の方が編集したらしきシティ・ポップの動画を見ていると『きまぐれオレンジロード』や『カウボーイビバップ』といった80~90年代の、まだデジタル着色化される以前のアニメ動画に80年代の楽曲が重ねられている。

 その様子は、それらのアニメや音楽の作られた文脈を知っていると、とてもちぐはぐな組み合わせに見えるのだが、一方でその集合体として現れる曖昧模糊とした80~90年代の日本にはなんとも言えない奇妙な魅力があり、なるほど、今のアジア圏からは、当時の日本は憧れと誤解込みでこういう世界だと思われていたのかと驚いた。

 長い前置きとなったが、眉月じゅんが「週刊ヤングジャンプ」で連載している『九龍ジェネリックロマンス』(集英社)を読んでいると、アジア圏で起きているシティ・ポップブームが醸し出す奇妙な懐かしさと似た手触りを感じる。事故で手足を切断した患者が、あるはずのない手足の痛みを感じることをファントムペイン(幻肢痛)と言うが、本作に感じる感情は、存在しないはずの懐かしさ、ファントムノスタルジーと言えるのかもしれない。

 舞台は香港の九龍地区。不動産店「旺来地産公司」の事務職として働く鯨井令子は、同僚の工藤発に対してほのかな恋心を抱いていた。

 第一巻冒頭は、眉月の出世作となった恋愛漫画『恋は雨上がりのように』(小学館・全10巻)を思わせる男女の淡いやりとりが九龍の街を舞台にした少女漫画風のラブストーリーとして進んでいくのだが、やがて鯨井は、ある違和感を抱くようになる。

次ページより、ネタバレあり。

 第1巻末、鯨井は工藤の散らかった机の隙間に工藤が自分と映っている写真をみつける。しかし彼女には、この写真を撮った記憶がない。写真を撮った金魚茶巻店を訪れた鯨井は、この写真は「アナタと工藤さんの結婚祝いに。」僕が撮ったものだと、ボーイから言われる。その瞬間、お店の風景が廃墟に変わるのだが、圧巻の心理描写である。

 こういった一瞬の感情を切り取ったカットは『恋は雨上がりのように』でも多用されていた少女漫画的な演出だが、恋心のきらめきに用いられた手法が真逆の心情と言えるアイデンティティの不安を見せる際に用いられているのが、本作の面白さだろう。

 その後、第2巻冒頭(第9話)では、工藤と鯨井が出会う場面が描かれる。新人の工藤に対して話しかける鯨井は大人の佇まいで終始、工藤をリードしており、1巻で読んだ2人のやりとりとは何かが違う。何より違和感を抱くのは、第1話で工藤が語った「なつかしいって感情は、」「恋と同じだと思っている」という台詞を鯨井が工藤に語ること。その後、全身整形の美女・楊明と飲むことになった鯨井は、写真のことを話した後「私、記憶がないんです」「写真を撮った日だけじゃなく…」「過去の自分を全く思い出せない」と衝撃の告白をする。ここで本作が、鯨井と工藤のラブストーリーの背後に巨大な謎が込められたミステリーSFであることがはっきりする。

 物語は鯨井と工藤、そして九龍の外側からやってきた2人の秘密を知っているらしき蛇沼クリニックの院長・蛇沼みゆきと彼と共に行動する男、タオ・グエンの物語が並行して描かれるのだが、鯨井自身のアイデンティティの問題と同時進行で描かれるのが、九龍地区という世界の謎だ。

 おそらく多くの読者は、ここで九龍(クーロン)とクローン(細胞や人間のコピー)と重ねられていることに気づくのだろう。実は鯨井と工藤の写真を撮った(現在行方不明の)ボーイはグエンのクローンであったことが語られ、鯨井自身もまた、死んだ(とされている)鯨井Bのクローンではないかと、彼女自身も思い始める。第4巻の冒頭、鯨井Bは工藤に、九龍の正式名称は「第ニ九龍寨城」で、1994年に解体された九龍の跡地にもう一度(違法で)作られた街だと語る。

 つまり、街自体が複製された世界なのだが、その九龍地区に対してもグエンは「この九龍はオレの知っている九龍ではない」と言い、鯨井だけでなく工藤も第2の彼(クローン)ではないかと疑いはじめる。このあたりの謎が謎を呼ぶ展開にはグイグイと引き込まれる。

 九龍の上空にはジェネリックテラと呼ばれる飛行物体が浮かんでいることが1巻から語られている。ジェネリックテラは、人類の新天地になると言われる人工的に作られた地球で、その計画にはジルコニアンと呼ばれるクローン人間が絡んでいると作中では言われている。まだ、謎がばらまかれている状態だが、全ての謎が複製とオリジナル、懐かしさと恋愛というテーマに集約されており、作品の完成度はとてつもなく高い。ミステリアスなラブストーリーとしてはもちろんのこと、優れたSF漫画としても楽しめる作品である。

■成馬零一
76年生まれ。ライター、ドラマ評論家。ドラマ評を中心に雑誌、ウェブ等で幅広く執筆。単著に『TVドラマは、ジャニーズものだけ見ろ!』(宝島社新書)、『キャラクタードラマの誕生:テレビドラマを更新する6人の脚本家』(河出書房新社)がある。

■書籍情報

『九龍ジェネリックロマンス』(ヤングジャンプコミックス)1〜4巻発売中
著者:眉月じゅん
出版社:集英社
https://youngjump.jp/manga/kowloon/

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