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ヘレン・ケラーと比べられるのはもううんざり! 盲目の著者が綴った“怒りと愛の手紙”とは?

リアルサウンド

20/11/4(水) 12:33

 誰かと比較され続ける人生とはどのようなものだろうか。想像しただけで苦しそうである。性格の明るい兄や、勉強のできる妹を引き合いに出され、「あの子と比べて、お前は……」と叱られることほど、子どもの自尊心を削るものはない。また、どこへ行っても親と比較される運命から逃れられない有名人の息子や娘は実にしんどそうで、何だか気の毒になる。ジュリアン・レノンや長嶋一茂が感じていたであろう、周囲からの視線や重圧の苦しさは、私には想像がつかないものだ。

 今年翻訳が刊行され、話題となった『目の見えない私がヘレン・ケラーにつづる怒りと愛を込めた一方的な手紙』(フィルムアート社)の著者ジョージナ・クリーグが、ヘレン・ケラーに対して怒りの手紙を書かなくてはならなかった理由も同様に、目の見えない彼女が、小さな頃からヘレン・ケラーと比較され続けためだったという。

 「なぜ、もっとちゃんとヘレン・ケラーのようにできないの?」と言われながら育ったジョージナ・クリーグにとって、ヘレン・ケラーは「私個人の悪霊」であり、その重苦しい呪縛をどうにかして取り払う必要があったのだ。すでに亡くなった歴史上の偉人へ向けて「アンタに言いたいことがある!」と挑発的な手紙を書く、その斬新なスタイルにまず惹かれた。「人と比べられること」はそれほどにストレスが大きいのだ。

 こうしたきっかけから著者は、ヘレン・ケラーに対する「怒りと愛を込めた一方的な手紙」を書いていくのだが、本書をしばらく読み進めて気づくのは、これが意外にも、手紙の形式を取ったヘレン・ケラーの評伝だということである。

 この本を手に取る前は、目の見えない著者の経験や考え方を綴ったエッセイのようなものであると思い込んでいた。著者の目的は、個人的な手紙という親密なスタイルを取りつつヘレン・ケラーの生涯をつぶさに観察し、世間に流通する「ヘレン・ケラー神話」とは違った、いきいきとした人間らしい姿を提示することだった。読み終える頃には、ヘレン・ケラーとはどんな人物だったのか、新鮮なイメージが立ち上がってくるはずだ。

 この本を通じて著者は、ヘレン・ケラーが実際にはどのような人物だったかを探っていく。彼女に関する記録や著書のすべてに目を通し、研究しつくした著者は「いつも静かで笑顔をたやさず、愛に満ちあふれ、感動を与える存在」という仮面の奥に、どのような内面が隠されていたのかを発見しようとした。

 実際のヘレン・ケラーは、自分の考えを臆せず主張する女性であった。しかし、工場労働者の労働環境に意見し、婦人参政権について論じ、社会主義に傾倒したヘレン・ケラーを、人びとはできるだけ見ないようにした。人びとが求めたのは、あくまで「苦難を克服した奇跡の人」であり、「どんな時にも慈母のようなおおらかさで周囲を包む神聖な女性」であった。一方「意見をする女性」は、世間から求められるイメージと違ったのである。そのようなヘレン・ケラーを、人びとはあまり見たがらなかった。

 たしかに、私たちがヘレン・ケラーについてまず連想するのは、何を差し置いても「ウォーター」である。いわば彼女は「ウォーターの人」だ。私たちはみな「ウォーター」のエピソードが大好きである。

 ポンプから出てくる水に手を触れた彼女の頭のなかで、単語とそれが指し示すモノとが完全に合致した瞬間。とはいえヘレン・ケラーもまた成長し、さまざまな経験を積んで変化しているにもかかわらず、人びとはあいかわらず「ウォーター」ばかりを欲しがり、その場面を何度も繰り返すことで神話化してしまった。「あなたの初期の人生の物語が、あなたにとっては真に需要のある唯一の財産だ」と著者は書く。著者がヘレン・ケラーと比べられたように、ヘレン・ケラー本人もまた、子ども時代の自分と比べられていたのである。いつまでも子ども時代について訊かれ続ける人生もまた、さぞや窮屈だっただろう。

 さらには悪いことに、世間に流通する「ヘレン・ケラー神話」は、ハンディキャップを自分の力で乗り越えることだと解釈されてしまった。いまどきの言い方であれば「自助」といったところか。著者はこうした風潮にはっきりとノーをつきつける。

「(ヘレン・ケラーの)生涯の物語が刻みつけてきた考え方は、障害とは個人的な悲劇であり、したがって文化全体としての慣習や責任の負担を通じてよりもむしろ、個人の不屈の精神と勇気を通じて克服されるべきものだ、というものです。そしてその考えが、社会全体の集団的な行動を通じて変えることができたであろう多くの個人的な問題に影響を及ぼしているのです」。

 ハンディキャップを抱える人びとに、社会全体があたたかく手を差し伸べることによって、状況を変化させていくことを著者は望む。何より重要なのは「公助」に他ならないという視点にも共感するところは多かった。

 読み終える頃には、目の見えない人びとに対して抱いている誤った先入観を痛感させられていた。多くの人は、目が見えないというだけでまるで聖人のように扱ったり、怒りや性欲が存在しないかのように思い込んだりと、どうも的外れな態度を取ってしまう。

 そうした無意味な先入観を取り除く意味でも、非常に価値のあるメッセージがつまっている。そして何より感じるのは、怒りの手紙を書きつつも、著者はヘレン・ケラーという存在を本当に愛しているということであり、愛情の大きさゆえに苦言も増える、厄介なオタクのような視点にも笑わせられ、共感した1冊であった。

【本書と合わせて読みたい推薦図書】

◆伊藤亜紗『目の見えない人は世界をどう見ているのか』(光文社新書)

『目の見えない私がヘレン・ケラーにつづる怒りと愛を込めた一方的な手紙』のあとがきも書かれている著者による新書。「視覚障害者がどのように世界を認識しているか」をわかりやすくまとめた、読みやすくて発見の多い1冊。

◆斉藤道雄『手話を生きる』(みすず書房)

耳の不自由な子どもの学校「明晴学園」で、日々ろう児(聞こえない子ども)と接する著者による1冊。手話とはどのような言語か、知らなかった世界が大きく広がる感覚を味わえるすばらしい本。社会の見方を変える力のあるテキストであり、読んでよかったと必ず思える内容。

◆アンソニー・ドーア『すべての見えない光』(新潮社)

アメリカ人作家による小説。戦時下のフランスを舞台にした物語だが、作中に登場する目の見えないフランス人の少女のエピソードはすばらしい。町の地理を覚えさせるために、町全体のミニチュア模型を作るくだりが印象的。

■伊藤聡
海外文学批評、映画批評を中心に執筆。cakesにて映画評を連載中。著書『生きる技術は名作に学べ』(ソフトバンク新書)。

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