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川本三郎の『映画のメリーゴーラウンド』

女性の髪の話。成瀬巳喜男監督の『おかあさん』から…美容院の始まり、『細雪』…最後は高峰秀子が美容師を演じた『女の歴史』につながりました。

隔週連載

第49回

20/4/28(火)

 女の子が髪を切る。
 日本映画で、この場面が印象的なのは、なんといっても成瀬巳喜男監督の『おかあさん』(1952年)だろう。
 大田区の蒲田あたり(と思われる)に住むクリーニング店一家の物語。
 母親、田中絹代の妹、中北千枝子は満州からの引揚者。夫は戦死した。いわゆる戦争未亡人。小さい男の子(当時の名子役、伊東隆)を姉の家に預け、美容師の資格を取るために修行中。
 ある時、髪を切る練習をするために、姉の家の次女、小学生の女の子(榎並啓子)の髪を切らせてもらうことになる。
 女の子は、おしゃれで長い髪を大事にしているので、嫌がるが、母親に「叔母さんは戦争で苦労しているんだから、役に立ってあげなさい」といわれ、髪を切られる。
 でも、やはり悲しい。鏡に映る短くなった髪を見て、姉の香川京子の前で「リボンが結べなくなっちゃった」とべそをかくのが、愛らしい。まだ小学生でも、女の子。髪の毛はやはり“女の命”だった。

 中北千枝子は成瀬巳喜男監督作品に必ずといっていいほど登場する傍役。彼女が『おかあさん』で演じている女性は、前述のように戦争未亡人。そして、女一人で生きてゆくために手に職をつけようと美容師になる勉強をしている。
 美容院が始まったのは、大正十二年(1923年)、美容師の先駆けである山野千枝子が、この年に完成した東京駅前の丸ビルのなかに「丸の内美容院」を開いたのが最初。
 昭和に入って東京など大都市に広まっていった。谷崎潤一郎の『細雪』では、蒔岡家の三女、雪子の縁談のために奔走する井谷夫人(市川崑版の『細雪』では横山道代が演じた)が、神戸の美容院の女主人であることはよく知られている。当時は、最先端の自立した女性の職業だった。
 昭和モダニズムの作家、吉行エイスケの夫人で、吉行淳之介、吉行和子、吉行理恵の母親の吉行あぐりが、東京の市ヶ谷で美容院を開いたのは昭和四年。働くモダン女性のはしりである。

 昭和十三年の映画、吉屋信子原作、清水宏監督の『家庭日記』の三浦光子演じる主人公は、関東大震災後に急速に発展した新興の盛り場、新宿に「リラ美容院」というおしゃれな店を開く。映画に登場した美容院の早い例だろう。
 しかし、戦時色が強まるにつれ、「ぜいたくは敵だ」とパーマネントは禁止された。
 復活するのは戦後になってから。

 戦争は、未亡人を多く生んだ。
 彼女たちが生計をたてられるように行政は美容師養成に力を入れた。『おかあさん』の中北千枝子は、そうした時代、美容師を志している。
 同じ成瀬巳喜男監督の『女の歴史』(1963年)では、高峰秀子が美容師を演じている。
 この映画は、戦中から戦後を生きた女性の苦労の多い人生を辿っている。高峰秀子演じる主人公は、戦前、深川の木場で裕福な材木商の息子、宝田明と結婚するが、日中戦争が始まり、夫は兵隊に取られ、戦死してしまう。
 戦後、女手ひとつで男の子を育てて生きてゆかなければならない。闇のかつぎ屋をしている時に、気のいい姉御肌の女性(淡路恵子)と知り合う。
 この女性は戦前、美容師をしていた。そして、戦後の混乱期をなんとか乗り切ると、再び美容院を開く。
 彼女の影響で、高峰秀子演じる主人公も美容師になる。当時、こういう、戦争未亡人から美容師になった女性は多かったのだろう。
 高峰秀子は美容師として身を立ててゆき、昭和三十年代のなかばには自由ヶ丘あたりに店を持つようになっている。
 この美容院では、若い女性の美容師が主人の高峰秀子に「先生」と言っている。そういえば、小津安二郎監督『東京物語』の長女、杉村春子は東京の下町で「うらら美容院」という小さな店を構える美容師で、若い女性の助手から「先生」と呼ばれていた。

 『女の歴史』の主人公、高峰秀子は不幸な女性で、夫が戦死しただけではなく、せっかく育てた一人息子、大手自動車会社のセールスマン、山崎努を自動車事故で亡くしてしまう。この映画が作られた昭和三十八年といえば、東京オリンピックが開かれる直前で、日本が急速に車社会化している時。それにともなって交通事故も多発していた。
 時代を反映してだろう、この時期の成瀬巳喜男作品には、交通事故がよく描かれる。
 『女の歴史』をはじめ、『ひき逃げ』(1963年)、そして遺作の『乱れ雲』(1967年)と続く。

 

イラストレーション:高松啓二

紹介された映画


『おかあさん』
1952年 配給:東宝=新東宝
監督:成瀬巳喜男
出演:田中絹代/三島雅夫/香川京子/片山明彦/加東大介



『細雪』〈市川崑版〉
1983年 配給:東宝
監督:市川崑 原作:谷崎潤一郎
脚本:市川崑/日高真也
出演:佐久間良子/吉永小百合/岸恵子/古手川祐子/石坂浩二/伊丹十三/辻萬長
DVD:東宝



『家庭日記』
1938年 配給:松竹
監督:清水宏 原作:吉屋信子
脚本:池田忠雄
出演:佐分利信/高杉早苗/上原謙/桑野通子/三宅邦子/三浦光子/大山健二/藤野秀夫/吉川満子/水島亮太郎/坂本武



『女の歴史』
1963年 配給:東宝
監督:成瀬巳喜男 脚本:笠原良三
出演:高峰秀子/仲代達矢/宝田明/山崎努/星由里子/草笛光子/淡路恵子



プロフィール

川本 三郎(かわもと・さぶろう)

1944年東京生まれ。映画評論家/文芸評論家。東京大学法学部を卒業後、朝日新聞社に入社。「週刊朝日」「朝日ジャーナル」の記者として活躍後、文芸・映画の評論、翻訳、エッセイなどの執筆活動を続けている。91年『大正幻影』でサントリー学芸賞、97年『荷風と東京』で読売文学賞、2003年『林芙美子の昭和』で毎日出版文化賞、2012年『白秋望景』で伊藤整文学賞を受賞。1970年前後の実体験を描いた著書『マイ・バック・ページ』は、2011年に妻夫木聡と松山ケンイチ主演で映画化もされた。近著は『あの映画に、この鉄道』(キネマ旬報社、10月2日刊)。

  出版:キネマ旬報社 2,700円(2,500円+税)

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