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RADWIMPSが新たに引き出した三浦透子の魅力とは? 「祝祭」「グランドエスケープ」で放たれる強い存在感

リアルサウンド

19/12/31(火) 8:00

 いよいよ本日19時15分から始まる『第70回NHK紅白歌合戦』(NHK総合)。見どころは多々あるが、そのひとつとして挙げられるのがRADWIMPSの出演だろう。『紅白』の公式ホームページによると、RADWIMPSによる演目の名称は「天気の子 紅白スペシャル」。改めて説明するまでもないが、『天気の子』とは、新海誠が監督を務め、RADWIMPSが音楽を手掛けたアニメーション映画のこと。今年の『紅白』では、バンドの演奏と新海が自ら編集したスペシャル映像がコラボすること、そして主題歌5曲のうち「祝祭」、「グランドエスケープ」のボーカルを担当した三浦透子がゲスト出演することが発表されている。

(関連:RADWIMPS「祝祭 feat. 三浦透子」MVはこちら

 三浦透子は、1996年生まれの女優。元々歌手志望ではなかったが、2014年に出演したライオン株式会社のCM撮影の際、監督のタナダユキに「声がいいから歌ったほうがいいよ」と言われたことがきっかけで歌い始めたという(参照:https://natalie.mu/music/pp/miuratoko)。その後、三浦は、タナダからのオファーを受けていくつかのCMソングを歌唱。2017年3月にはカバーアルバム『かくしてわたしは、透明からはじめることにした』をリリースしている。

 アルバムタイトルも象徴的だが、同作における三浦は、声をいたずらに張り上げることもせず、素のまま、すとんと歌っている印象。“無垢”という単語がよく似合う。三浦の歌声は空気成分が多く、やわらかな質感が魅力である。俗世的なものを感じさせない、我々とは違う地平を行く歌声には、聴く者の心を浄化させる神聖さがある。

 『天気の子』主題歌制作にあたり、RADWIMPSの野田洋次郎(Vo/Gt)は“『君の名は。』とは異なる世界観を作りたい”、“女性ならではの、より大きな存在感でこの作品を包み込んでほしい”という2つの理由から、女性ボーカリストを起用することを提案。彼の発案を受けて開催された約1年間にわたるオーディションで選ばれたのが三浦だった。三浦の歌声を、野田は「まだ何にも染まっていない荒削りながらもまっすぐな歌声」と、新海は「役者の歌声というよりも、世界そのものの響きのような声」「個人の感情をすこしだけ越えたような何かを、まっすぐに運んできてくれる声」と評価している。

 野田の言う「荒削り」という印象は『かくして~』におけるボーカルからは読み取りづらい要素だが、実際RADWIMPSが作り上げた2曲を聴いて、なるほど、それこそが彼らが今回引き出した三浦透子の新たな魅力なのか、と感じさせられた。野田はこれまで様々なアーティストのプロデュース/楽曲提供を行ってきた人物。アーティストの芯にあたる部分を見定めつつ、新たな側面に光を当てる手腕は抜きん出ている。

 三浦が歌った主題歌2曲はいずれもアッパーチューン。バンドやピアノ、電子音、手拍子などによるサウンドが鳴るなか、ボーカルはそのきらびやかさに押しつぶされることなく、強い存在感を示していた。喩えるならば、はじき絵におけるクレヨンだろうか。水彩絵の具が彩るカラフルな世界から、くっきりと浮き出る、一本の線。特に「グランドエスケープ」のサビでは、男声コーラスを重ね合わせることにより、彼女の歌がかえってクリアになっている。

 『天気の子』の主人公は、離島から逃げ出すように上京した男子高校生・帆高と、天候を変える能力を持つ少女・陽菜の2名。例えば「祝祭」の〈君の言葉はなぜだろう すべて映画で言うところの/クライマックスの決め台詞 のように大それていて好き〉というフレーズが「ねえ、今から晴れるよ」と笑う陽菜の姿を連想させるように、「祝祭」でも「グランドエスケープ」でも歌詞では“帆高から見た陽菜像”が描かれている。穂高の惹かれた陽菜とは、よく笑いよく泣き、自分の感情に正直で、身軽に動くことのできる人物(もちろん実際は陽菜には陽菜なりの背負っているものがあり、後に穂高もそれを知ることになるが)。野田や新海は、建て前や忖度とは無縁な陽菜のキャラクター性を、まだ透明な三浦の歌声に託したのだろう。

 「グランドエスケープ」は物語のクライマックス、陽菜の生存と世界の平和を天秤にかけざるをえなくなった穂高が決断をしたあとのシーンで流れる。あの曲の一人称〈僕ら〉は君と僕(≒帆高と陽菜)と解釈することもできるが、僕の心の中にいるあらゆる僕――つまり、“本能からの声”を指すのだと読むこともできる。穂高が陽菜から学び、そして作中に登場する大人たちが手放したものとして描かれていた“本能からの声”を三浦が体現していたのだとしたら、その歌がスクリーンを突き抜けて、現実を生きる私たちの心を掴むことができたのも合点が行く。初の『紅白』出場となる彼女は、どんな歌声を聴かせてくれるのだろうか。楽しみにしていたい。(蜂須賀ちなみ)

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