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「笑っていいもんとあかんもんの線引きは、芸人のなかでもかなり難しい」 ジャルジャル・福徳秀介が語る繊細な“笑い”

リアルサウンド

20/11/29(日) 10:00

 お笑いコンビ・ジャルジャルの福徳秀介が、初となる小説『今日の空が一番好き、とまだ言えない僕は』を書き下ろした。本作への思い入れが強すぎてタイトルを自分で決められなかったという福徳に、執筆について、登場人物のモデルについて、思い入れのあるシーンについてなどたっぷりと訊くことができた。後半、話はセンシティブな“笑い”について、そして自身が言葉に興味を持つきっかけとなった事柄にも及び、時間いっぱい盛り上がるインタビューとなった。(編集部)

改稿、改稿、改稿を重ねて出来たデビュー作

――執筆には4年もかかったんですよね。内容もずいぶん変わったのでは?

福徳:全然ちがいますね。むしろ残っているのは「冴えない大学生の主人公が女の子に出会って夢中になる」っていう部分だけです。最初は3カ月くらいで一気に書き上げたんですよ。で、そこから2年間、誰にも見せずにひとりでこつこつ改稿し続けて……。

――え!? 出版社に持ち込んだりもせず?

福徳:なんにも。もともと文章を書くのは好きで、知人に「書いてみれば?」って言われてちょっとやってみた、というくらいのスタートなんで……。でもさすがに「ひとりで何のためにやってんねやろ」って思いはじめたころ、小学館の方を紹介されました。そこからはまたプロの厳しい視点からさらに改稿、改稿、改稿をくりかえして……。

――4年。

福徳:自分でもなにを書いているんだか、これは本当によくなっているのか、わかんなくなる時がありました。でも、いま改めて完成したものを読み返すと、我ながらぐっとくる部分があるので、頑張ってよかったなあと思います(笑)。

――主人公の“僕”こと小西は、関西大学に通う大学2年生。友達は妙な関西弁を使う山根だけで、ぼっちの自分をごまかすためにしょっちゅう日傘をさしています。そんなとき、堂々と食堂でひとり、ざる蕎麦を食べている同級生の桜田さんに出会い、その凛とした姿に惹かれます。

福徳:大学生を主人公にしようというのは、最初から決まっていたんですよ。なんでだかは自分でもわかりません(笑)。関西大学は僕の出身大学だけど、それは単に、架空の大学を舞台にしようと校内図を描いてみてもいまいちしっくりこなくて、それなら知っている場所にしようと思ったくらい。とくべつ自分の学生時代と重ねているわけでもないし……。

――日傘をさしていたわけではない?

福徳:さしてません(笑)。あ、でも下駄履いていた時期はありました。フォークソングにハマってたんですよ。吉田拓郎さんとかが、デニムに下駄履いてるのがかっこいいなあって憧れて、一時期……。まあ、変ですよね。でもそういうあからさまに変な見た目なら、一人でいてもおかしくないって空気が生まれるというか、変わりもんだから一人なんだってみんなも流してくれるんじゃないかなって思ったんですよね。見た目はふつうなのに一人っていうのは浮くなっていうのは、大学に入って感じたことだったので……。でも今も、楽屋で似たようなことしていますよ。大部屋楽屋に入れられたとき、とくに仲いい人が見当たらなくて話に入っていけないと、むだに本を読んだりネタを書いているふりをするとか。

――ああ、それはちょっとわかります。一人でいることを正当化したくなる気持ち。

福徳:僕はひとりで焼肉食べにも行けるけど、ひとりでテーブル席につくのはちょっと居心地悪いから個室にしてもらったりする。そういう中途半端なやつなんです(笑)。だからこそ、そういう言い訳がなくても堂々と食堂でひとりごはんを食べられるような人への憧れとして、(桜田)花ちゃんを書きました。小西が惹かれるとしたらそんな女の子だろうな、って。ただ、小西に僕と同じように下駄を履かせたら、山根と一緒にいるとき、もっと浮くでしょう。だから日傘にしました。僕と小西の重なる部分は、まあ、それくらいですね。

笑って“いいもん”と“あかんもん”

――友達の山根、バイト仲間のさっちゃん、喫茶店のマスターなど、作中にはさまざまな登場人物が出てきますが、他の人たちにもモデルはいないんですか?

福徳:山根だけは唯一、モデルがいます。僕の大学時代の同級生。名前もそのまま、山根です。

――大分県出身の山根くんは、坊主頭で服装も奇抜。方言コンプレックスと大阪弁への憧れのせいで唯一無二の山根弁を完成させているという、かなり独特なキャラクターです。実際の山根さんもそういう感じなんですか?

福徳:こんな変なしゃべり方はしなかったです(笑)。九州出身の坊主っていうのはそのままですけど。それに僕自身は、あんまり彼と仲良かったわけじゃないんですよ。ただ、すごく明るいわりになぜか友達の少ない彼のことが気になってはいて。一度だけ、一緒にメシ食って家に遊びに行ったことがあるんですよ。でも、次の日に会うと前日に築いたと思っていたはずの関係がリセットされて、すっと距離をとられた気がした。小西はどういう奴となら仲良くなれるんだろうって考えたとき、自然と「山根とだったら」って思ったのは、そういうちょっとした影を感じる部分に惹かれていたからかもしれません。

――山根くん、すごくいいですよね。70歳近い教授が教壇でこけたとき、みんなが笑ったのに彼だけ笑わないじゃないですか。「面白いと思ったらアカンねん。転けたねん。ケガしてたかもしれないねん」と。その後、笑ってはいけないことで笑ってしまったことで山根と喧嘩した小西に、喫茶店のマスターが「誰かを茶化して笑うときって、相手が笑ってなかったらダメなんだよね」というセリフもありますが、笑いに対する描写は作中にしばしば出てきます。

福徳:そうですね……。笑っていいもんとあかんもんの線引きは、芸人のなかでもかなり難しいところなんですよ。NHKの番組で『バリバラ』ってあるでしょう。障害をもった方がみずからを笑いに変えていくっていう番組ですけど、あれを観て笑うのがアリかナシかっていうのも、芸人の中ではかなり議論になるんです。彼らが自分たちをネタとしてボケているとき、こちらが笑ってしまうのはアリ。だけどたとえば、そうではないところで転けてしまったりしたときはどうなのか。かわいそうって思うのはちがう。それは失礼。その人が本当に笑ってほしいことなのかどうかは、わからないですよね。笑うほう・笑わせるほうが両想い状態じゃないとあかんのじゃないかな、でもそれってどうしたら見極められんのかな、っていうのは難しいテーマだなあと思います。

――教授は「皆さんが笑ってくれたおかげで、気持ちは助かりました」と言って、小西と山根は自分たちの気遣いはからまわりしていたことを知ります。やがて小西が桜田さんと友達になり、彼女がお父さんをはやくに亡くしていると聞かされたときも、過剰に気を遣わないでほしいと言われる場面があります。「『おとん、死んでんの!?』くらいでもいいんですよ」と。

福徳:僕自身が、高校生のときに父を亡くしているんですよ。で、大学時代とかに父のことを聞かれて「もう死んでんねん」って言うと「あぁそれは……ごめん」みたいにされることが多かった。僕からしてみたら「いやもうそんなん笑ってくれていいんやで」って気持ちもあって、そのへんは花ちゃんに代弁してもらった部分があります。ただ、同じ境遇の他の人が笑ってほしいとは限らないので、やっぱり難しいですよね。

「ことわざ」は誰かのツッコミから始まった?

――小西は亡くなったおばあちゃんの言葉を折々に思い出していますけど、福徳さんご自身の思い出を重ねられたわけでは……。

福徳:一切ないですね(笑)。素敵なこと言われた記憶も、とくには。いちばん最初は、おばあちゃんのセリフを言うのはちがうキャラクターの予定だったんですよ。でも小西は、親はもちろん友達とかちょっと知り合っただけの人からかけられた言葉で、素直に元気づけられて行動するような奴じゃないやろなあと思って。……ああ、でもそういえば、ちっちゃいころに姉と喧嘩して「死ねー!」って言ったことがあるんですよ。そうしたらそれを聞いたばあちゃんが「死ねとか言うな!!」ってめっちゃ怒って。「ほんまに死んだらどうすんの!!」っていうのが唯一キレられた記憶なんですが、そのとき感じたばあちゃんの言葉の強さみたいなものが影響したのかもしれません。

――おばあちゃんのセリフ、すごく素敵ですよね。〈どれだけ顔を綺麗に化粧しても背中だけは化粧できない。背中は一生、すっぴん。(略)常に他人から背中を抜き打ちテストされてると思っときや。〉とか〈くだらないことは素晴らしいんだよ。だって『下らない』んだもん。つまり、上り続けるってこと。だから、くだらないことはたくさんしなさい。〉とか。

福徳:……あざっす!(笑)

――そんなおばあちゃんの思い出と、花ちゃんの語るお父さんの言葉が重なりあって、2人は距離を縮めていくわけですが……。花ちゃんのお父さんの〈幸せを感じたときは少しでも早くそれを言いたい。だから、しあわせ、じゃなくて、さちせって読んだ方が、早く幸せを伝えられる〉っていうのも素敵ですよね。山根くんの「友達って読み方を変えたらゆうだち。夕立みたいに雷が落ちて崩れることはあるけど、しばらく経てばきっと晴れる」っていうセリフとか、言葉の独特な解釈で世界を広げていく描写がとても好きでした。

福徳:僕、ことわざって誰かのツッコミやダジャレから始まったんじゃないかなって思ってるんですよ。「猿も木から落ちる」っていうのは今でこそ立派な格言みたいになっているけど、誰かが失敗したのを見て「いやいやお前も失敗すんのかい! まあ、猿も木から落ちることはあるけどな!」って突っ込んで、「なんやそのたとえ、おもろいなー」となって広まっていった、みたいな。絶対、そうやと思うんです。大昔に存在した山里(亮太)さんみたいな人がことわざを作ったはず。

――山里さんを例に言われると、そんな気がしてしまいます。

福徳:でしょう。山里さんとたまにおしゃべりさせてもらうと、おもろくて的確な言葉がぽんぽん出てくるんですよ。何やねん、どうなってんねん、っていつも思う。やっぱりお笑い芸人は言葉の人なんやろなあって思います。

言葉に興味を持つきっかけは「スピッツ」と『耳をすませば』だった

――言葉を大切にされているのは小説を読んでいても伝わってきますが、その感覚は芸人になってから磨かれたんですか?

福徳:まあ、そういう部分もありますけど、もとは中学時代に出会ったスピッツの曲ですね。新曲が出るたび歌詞をノートに書きだして「どういう意味なんや」って友達とああだこうだ言い合っていました。日本中で聴かれている曲なのに、よくよく歌詞の意味を考えてみると、けっこう難しいんですよ。人によって解釈も違うし、いろんな受け取り方ができる。でも一方で、同時期に観た映画の『耳をすませば』にも衝撃を受けて。あれって最後、プロポーズで終わるじゃないですか。小学校の低学年くらいまでは「好きな子ができる=いつか結婚する」だけど、いつしか「付き合いたい」とは思っても結婚までは考えなくなっていた。だけど聖司は、僕と同じ中学生なのに雫に「結婚してください」という。そのセリフに妙にハッとさせられて……。複雑な言葉とシンプルな言葉。どちらも違う形で人の心を揺さぶるんやな、っていうのが、妙に印象深かったんですよね。

――そう言われてみればこの小説も全体的に『耳をすませば』感がありますね。

福徳:わかります?(笑) 基本的に爽やかな物語にしたかったので、自然とそうなっちゃいましたね。まあ、当初に想定していた恋愛100%小説ではなくなって、人の生き死にとかが関わってくるお話になっちゃいましたけど。

――そうなんですよね。今作には恋愛だけでなく、山根との友情や、大切な人を予期せず失ってしまうことなど、多くの要素が描かれています。一見、物語の主筋とは関係なさそうなことも、すべてが繊細に重なりあって、ひとつの物語になっている。そしてそれをちゃんとユーモアをもって描かれているのが最高でした。どんなに悲しくてもつらくても、人は笑ってしまうんだなあという感じも。

福徳:ああ、ありがとうございます。僕もね、高1のときに親父が死んで、やっぱりめちゃくちゃショックだったんですよ。リビングに運ばれてきた棺を開けて、遺体を見て家族全員が泣きわめいて。でもそのとき、姉ちゃんが持っていたインスタントカメラで「お父さんとツーショット撮っていい?」って聞いたんです。そのころはまだカメラ付き携帯なんてなかったから、棺の横に顔をよせて、一生懸命カメラをかまえて撮ろうとしてた。それを見たお母さんは「やめて! そんなん!」って怒ったんですけど……僕、それがめっちゃおもしろくてしゃあなくて。みんな泣いてんのに僕ひとりだけがマジで笑いだしそうなのをこらえていた。まあ、現状を受けいれられなくて脳がそっちに逃避していたのかもしれないけど……その時に、こんなに悲しくても人って笑えるんやなあ、って思ったのを覚えています。だからかな、ユーモアってどんな状況でも大事なんちゃうかなあ、って思うんですよね。

――ユーモアでいうと、喫茶店のマスターの話もよかったです。コーヒーは〈ブラジル黒豆出汁〉、スクランブルエッグは〈卵を渋谷の交差点のように〉、目玉焼きは〈卵で日の丸国旗〉など独特な名前のメニューが並ぶなか、オムライスだけはオムライス。その理由を語るマスターが、小西の背中をわずかに押してくれるんですけれど、主筋には関係なさそうなそのエピソードが実はいちばん大事なんじゃないかという気がして。人生ってそういう、寄り道みたいなもののほうが大きな影響を与えてくれたりするよなあ、と。

福徳:ある意味、正解です。実はいちばん最初、このマスターの語った話を中心に小説を書こうと思って、物語を組み立てていったんですよ。ただまあ、延々と書き直していたせいで、どのエピソードにもキーワードにも思い入れが強くなりすぎてしまって。今となっては全部がメインですね。ほんま、大変でしたけど書けてよかった。最初は自分のためだけに書いていて、刊行すると決まってからは、ふだんあんまり本を読まない中高生とか、小西みたいな大学生に読んでほしいって思いながら書いていたけど、さすがに4年もかけたんだから、全世代に届け!って今は欲が出ています(笑)。よかったらみなさん、読んでください。

■書籍情報
『今日の空が一番好き、とまだ言えない僕は』

著者:福徳秀介
出版社:小学館
発売日:2020年11月11日
定価:本体1,500円+税 
https://www.shogakukan.co.jp/books/09386575

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