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愛こそは闘いーージョナサン・サフラン・フォア、11年ぶり長編小説『ヒア・アイ・アム』で見せた成熟

リアルサウンド

19/11/14(木) 8:00

 1977年生まれのアメリカ人作家、ジョナサン・サフラン・フォア(以下JSF)の3作目にあたる小説『ヒア・アイ・アム』(NHK出版)が、10月末に刊行された。彼の登場は華々しく、若干25歳で発表した2002年のデビュー作『エブリシング・イズ・イルミネイテッド』(書籍版ソニー・マガジンズ、電子版NHK出版)は世界30カ国で翻訳、刊行され、2005年には『僕の大事なコレクション』のタイトルで映画化された(映画もクオリティが高く、ぜひおすすめしたい作品)。続く2作目『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』(NHK出版)は2005年に発表され、こちらも2011年に同名で映画化。印象的なタイトルで記憶に残っている方も多いのではないか。『ヒア・アイ・アム』は2016年に発表、彼にとっては11年ぶりの小説となった。アイデアの豊かさ、比喩のうまさ、ユーモラスな視点や奇抜な設定など、あらゆる面で抜きん出た才能を持つ天性の書き手なのだとあらためて納得させられる、充実の作品だ。

 『ヒア・アイ・アム』は、アメリカに住むユダヤ人一家、ブロック家にまつわる物語である。主人公ジェイコブはテレビドラマの脚本家であり、妻と三人の息子と共に暮らしている。長男サムのバル・ミツヴァー(ユダヤの成人式。男子は13歳で成人となる)を間近に控えたブロック家だが、家族はみな混乱していた。夫婦仲は険悪であり、長男は学校で厄介な問題を起こして周囲を困惑させる。次男、三男もそれぞれ精神的な不安を抱えており、主人公の父は数年前からブログで人種差別や同性愛嫌悪などのヘイト記事を量産するネット右翼に変身していた。またジェイコブの祖父は、老人ホームに入るか自死するか、その重い選択に悩んでいる。一方、粗相を繰り返す年老いた飼い犬の苦しみを見かねたジェイコブは、獣医と安楽死を相談し始めていた。一族がみな先行きの見えない状況でもがく中、イスラエルからやってきた親戚を迎えに空港へ向かった一家は、イスラエルで巨大な地震が発生したことを知る。壊滅的な地震によりイスラエルの国家機能は麻痺し、中東は一触即発の状況へと陥っていた。

 JSFの作品にはいくつかの共通した主題がある。まずは何より、ユダヤ人としてのアイデンティティ。彼の小説はユダヤ人としての自己を描く。『エブリシング・イズ・イルミネイテッド』は、アメリカからウクライナへ旅行にやってきたユダヤ人男性が、自分のルーツを探す物語であった。また、ユダヤ人作家ブルーノ・シュルツへオマージュを捧げたアートブック『Tree of Codes』(2010年、未訳)にも、JSFのユダヤ的アイデンティティが読み取れるだろう。そして同様に重要なテーマが、巨大な暴力や災害への恐怖である。『エブリシング・イズ・イルミネイテッド』で探し求められるホロコーストの記憶や、『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』の主題となる911テロ。こうした暴力は、作品を貫く圧倒的な恐怖、取り返しのつかない喪失として描かれる。かくして『ヒア・アイ・アム』は、JSFがこれまでに取り上げてきたモチーフの集大成であると同時に、小説家としては沈黙していた11年の人生で起こった彼自身のできごとが反映された、自伝的要素を持つ作品でもある(彼はテレビドラマの脚本を手がけており、また2014年に離婚を経験した)。

 前2作では、若者らしい快活さ、語りの饒舌や実験性によって、喪失や痛みと直面する状況が巧妙に回避されていた。これまでのJSF作品には、本当に怖ろしいできごとと直接的に向き合う事態を避けるため、どこまでも脱線し、細部にこだわり、むだなおしゃべりを続け、あらゆる方向へ想像力の触手を伸ばそうとする特徴があった。サリンジャー作品にも共通する登場人物の逃げ足の速さ、軽やかさこそがJSFの持ち味であり、作品の魅力となっていたのだ。しかし本作にあっては、よりストレートに別離や喪失といった剥き出しの現実とまっすぐに向き合い、時間の経過がもたらす残酷な結末を受け止めようと試みている。視覚的なインパクト(あるページが同じ単語や数字の羅列で埋め尽くされる、写真を使用する等)を用いた実験的手法を封印したことも大きい。作中、バル・ミツヴァーのスピーチで語られるこの言葉はとても印象的である。

「近くにいることは簡単ですが、近くにいつづけることはほぼ不可能です。友人のことを考えてください。趣味のことを考えてください。アイデアでもいい。どれもわたしたちの近くにあります──あまりにも近くて自分の一部と思えたりもします──が、あるときから近くではなくなる。遠ざかります。長いあいだ近くにとどめておく方法はひとつしかありません。その場に押さえつけることです。格闘して倒し、放そうとしないことです。格闘しないものは手放すことになる。愛とは闘いがないことではありません。愛こそは闘いなのです」

 誰しも年齢を重ねるたびに、これまでいかに多くを手放してきたかと、過去の喪失に思いを馳せた経験があるだろう。時間の経過によって、多くの貴重な他者や情熱を失ってしまった私たち。だからこそ、残酷な現実を怖れ、さまざまな逃走を試みてきたJSFの小説が、ついに正面から「愛こそは闘い」であると宣言するに至った場面は感動的である。かつて「ありえないほど近い」と題された作品を書き、距離感が縮まることへの不安を隠さなかった著者が、いかに誰かと(あるいは何らかの目標と)「近くにいつづけること」ができるかを真剣に考えるまでに変化したのか。もはや自分は若者ではないと悟った書き手が、ついに成熟へ向かって歩き出す姿には、数多くの読者が胸を打たれるだろう。

■伊藤聡
海外文学批評、映画批評を中心に執筆。cakesにて映画評を連載中。著書『生きる技術は名作に学べ』(ソフトバンク新書)。

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