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1960年代、黒人少年が更生施設で受けた暴力とは? 全米で話題『ニッケル・ボーイズ』が突きつけるアメリカの現実

リアルサウンド

20/12/17(木) 10:00

 2020年5月。アメリカ・ミネソタ州ミネアポリスで黒人のジョージ・フロイド氏が白人警官に膝で首を押さえられ死亡した。続いて7月と8月、10月と黒人男性が警官に射殺される事件が発生。全米で抗議運動が起き「#BlackLivesMatter」をスローガンに、ナイキやNetflixなどの企業も抗議のメッセージを発信するなど全米に拡大している。

 

これら抗議運動の広くは人種問題に向けてであるが、根本には事件の加害者である警官が責任を問われず、無力、無防備であった被害者が苦しみ続けるという理不尽さに向けての抗議が発端である。
罪を犯した者が自由の身となり無実の者が苦しむ。

このアメリカの現実を知るためにも今読んでおきたい一冊が、2020年にピュリッツァー賞を受賞したコルソン・ホワイトヘッド新作『ニッケル・ボーイズ』だ。

 フロリダ州が開発を予定していた土地から身元不明の遺体が続々と発見される。その場所はかつて少年向けの更生施設「ニッケル校」があった場所であった。『ニッケル・ボーイズ』はこの出来事から半世紀前、1960年代を舞台にニッケル校に無実の罪で収容された黒人少年エルウッドの物語だ。

私たちは魂のなかで、自分はひとかどの人物であり、重要なのであり、価値があるのだと信じなければなりません。その尊厳をもって、ひとかどの人物なのだという感覚をもって、人生という通りを歩かねばならないのです(p.34)

 マーティン=ルーサー・キング牧師の言葉に瞳を輝かせ、報じられる公民権運動に憧れていたエルウッド。勤勉で学力も優秀な彼は大学の授業を受ける機会を得るものの、登校初日に無実の罪で逮捕され更生施設であるニッケル校へと収容されてしまう。

 表向きは罪を犯したり身寄りのない少年たちを社会に復帰させるための更生施設と謳っているが、大人たちが生徒たちを暴力で押さえつけ、鞭打ち、性的虐待、強制労働が日常茶飯事であった。また地域奉仕として生徒たちを一般の家などに派遣し奉仕活動をさせ、過去には黒人少年たちを仮釈放として称して町の人々に売り飛ばしていたという。

私たちを刑務所に放り込んだとしても、私たちはあなたがたを愛するでしょう。私たちの家を爆破し、子どもたちを脅したとしても、どれほど困難であっても私たちはそれでもあなたがたを愛するでしょう。(中略)私たちは、耐え忍ぶという能力によってあなたがたを疲労させ、いつの日か自由を勝ち取るのです。(p.212)

 ニッケル校に収容され、暴力を浴びせられるエルウッドはこのマーティン=ルーサー・キング牧師の言葉から「アガペーAgápē(神学における無償の愛)」を思い出す。そして自分たちを破壊しようとしている人々を愛し、耐え忍ぶことなどありえないという考えに至る。公民権運動への楽観が疑問と葛藤に変わったこの瞬間、制度的な差別と暴力が一人の少年の瞳から光を奪ったのである。

 2017年にもピュリッツァー賞を受賞(2度受賞した作家は過去にブース・ターキントン、ウィリアム・フォークナー、ジョン・アップダイクの3人)したコルソン・ホワイトヘッド。前作『地下鉄道』(早川書房刊)では、奴隷制時代の南部で逃亡奴隷を北部へ逃がす支援を行っていた実在の秘密結社“地下鉄道”をモデルに、繊細かつ大胆でフィクショナルに描いた傑作であった。しかし本作では打って変わって実在の事件を忠実に物語へと昇華させ、抑揚を意図的に省いたであろう文体からは当時の制度としての暴力の実態をことさら強く印象付ける。また、一人称から“彼”と三人称と変化することで、これら視点の変化が物語の後半に向けて実に効果的に配置されていることに著者の巧みさが感じ取れるのだ。

 心に強く印象を刻まれるのが、1960年代と現代の時系列が交差する場面である。経過の出来事を示さず、場面や時系列が次ページで切り替わるといった時間と空間の跳躍からくる“力強さ”が物語の結末に向けて心を貫く。

 本作では1950年代〜60年代の公民権運動、そしてフロリダ州という米国南部の地域性なども散りばめられ、事前にこれらを知ることで物語をより深く読み解くことができる。

 一部を紹介すると、エルウッドが働いていたマルコーニのタバコ店で雑誌『ライフ』の写真エッセイからバトンルージュでのバスボイコットや、グリーンズボロのカウンター座り込みといった公民権運動の最前線を知ることになる。


 “バトンルージュのボイコット”とは1953年にルイジアナ州で自発的に起こった黒人たちの運動で(当時のバスは座席前方が白人専用、後方が黒人専用と分離されていて白人席が満席の場合、黒人は白人に席を譲らなければならなかった)、1955年にはアラバマ州モンゴメリーでバスに乗っていた黒人女性のローザ・パークスが白人に席を譲らなかったことから逮捕され、今日の公民権運動の始まりとされるモンゴメリーバスボイコットが起こった。381日間続いたボイコットでバス会社は倒産寸前に追い込まれ、1956年に最高裁判所は公共交通機関における人種分離は違憲との判決を下してボイコットは大成功に終わる。このバスボイコットのリーダーとして全国的に名が知られるようになったのが当時26歳のマーティン=ルーサー・キング牧師であった。

 “グリーンズボロの座り込み”は、1960年2月にノースカロライナ州グリーンズボロの学生が雑貨チェーン店ウールワースの白人用カウンターに座り続けた運動で「シットイン」と呼ばれ南部全土に広がった。カウンターに座る学生たちに周囲の白人たちが罵声を浴びせ、彼らに飲み物や食べ物をかける写真は当時の人種差別の醜悪さが伝わってくる。

 物語には直接関わりがないものの、主人公エルウッドがいた当時のフロリダの現実、アメリカの現実、そして物語最後の“彼”の姿の尊さの意味がこれらからより強く感じることができる。

 本作で描かれた制度化された差別と暴力のシステムは、個人が“良心”を容易に棚上げできしてしまうグロテスクな様を浮き彫りにしている。それはニッケル校だけでなく実際には同様の施設がほかに多くあったことが容易に推察でき、またこの時代のアメリカの一部がこれらの醜悪な制度の下に存在していたという事実なのである。

 静かに、彼がただそこにいる姿を後に物語は終わる。しかしそのまま本を閉じることができず、再びこの物語の始まりからページをめくり始めた。彼の姿がいかに尊いことなのか、それを実感するために。

 本作のモデルとなったドジアー校では、虐待を受けた当時の生徒たちが出所後も長い年月にわたり苦しむ中、学校関係者やフロリダ州、そして当時の加害者はいまだ責任を問われてはいない。

■すずきたけし
ライター。ウェブマガジン『あさひてらす』で小説《16の書店主たちのはなし》。『偉人たちの温泉通信簿』挿画、『旅する本の雑誌』(本の雑誌社)『夢の本屋ガイド』(朝日出版)に寄稿。 元書店員。

■書籍情報
『ニッケル・ボーイズ』
著者:コルソン・ホワイトヘッド
翻訳:藤井光
出版社:早川書房
価格:本体2,200円
出版社販売ページ
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※コルソン・ホワイトヘッド『地下鉄道』(早川書房)は、『ムーンライト』でアカデミー賞監督賞を受賞したバーリー・ジェンキンス監督でドラマ化予定。(日本配信日未定)

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