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ジブリ劇場上映ラインナップにおける異色作? 『ゲド戦記』にみる宮崎吾朗の役割

リアルサウンド

20/7/5(日) 8:00

 新型コロナウイルスの影響で大打撃を受けた映画館に客足を戻す企画として、スタジオジブリの過去作がTOHOシネマズ系の映画館で6月末から公開されている。現在上映されているのは宮崎駿監督作品の『千と千尋の神隠し』、『もののけ姫』、『風の谷のナウシカ』の3作と、宮崎吾朗監督の『ゲド戦記』。この中でもっとも異彩を放っているのは、やはり『ゲド戦記』だろう。

【写真】スタジオジブリ劇場上映ラインナップ

 2006年に公開された『ゲド戦記』は、アーシュラ・K・ル=グウィンの同名ファンタジー小説をアニメ映画化したものだ。原作小説は全5部に外伝一作という連作長編で、アニメ映画化された本作は、第3部「さいはての島へ」をベースに、他のエピソードの諸要素を加えた、一種のリミックス作品となっている。

 同時に本作は宮崎駿が『ゲド戦記』にインスパイアされて執筆した(元になっている物語は、チベット民話『犬になった王子』)フルカラーの絵物語『シュナの旅』(アニメージュ文庫)を原案としており、ストレートな映像化とは言えないものとなっている。

 魔法が存在する世界・アースシーを舞台にした本作は、国王の父を刺したエンラッド王国の王子・アレンが大賢人・ハイタカと共に放浪の旅をする姿を描いた自分探しの物語だ。2匹のドラゴンが食い合うショッキングな描写からはじまり、世界の均衡が崩れ、各地で疫病や犯罪が多発しているという世界観は、どこかコロナ禍の現在を思わせるものがあり、本作を再上映する意図はとてもよくわかる。

 同時に映画版『ゲド戦記』には『風の谷のナウシカ』、『もののけ姫』、そして、宮崎駿が東映動画時代に参加した高畑勲監督の『太陽の王子 ホルスの大冒険』といった宮崎駿的な要素が散りばめられている。だが、これは順序が逆で『風の谷のナウシカ』から『ハウルの動く城』に至る「すべての作品は『ゲド戦記』の影響を受けている」と、当時の宮崎駿は、ル=グウァンに対して語っている(引用:世界一早い「ゲド戦記」インタビュー(完全版) – スタジオジブリ|STUDIO GHIBLI)。

 確かに、現在上映されている宮崎駿作品といっしょに本作を観ると『ゲド戦記』こそが、全ての根源にあるのだとよくわかる。その意味でも宮崎駿作品の影響が強い作品なのだが、だからこそ決定的に違う部分に目が行ってしまう。

 真っ先に目が向かうのが主人公のアレンだ。父親を刺して逃亡するアレンは、終始何を考えているのかわからず、鬱々としている。おそらく当時「キレる14歳」などと言われていた犯罪少年のイメージなのだろうが、こういった現代的な少年を主人公にすることで、本作は宮崎駿作品のカウンターであろうとしていた。

 そして、監督を駿の息子である宮崎吾朗が務めたことで、この作品が(物語としても作品としても)“父殺し”の作品だと印象付けようとしたことは、最初の数分でわかる。その意味でジブリの跡目争いという親子の確執を自作自演的にみせる露悪的な作品だったと言えるだろう。

 ただ、今観ると、アレンが父親を刺す場面は、もっとも印象に残る一方で、出落ち的なところもあり、物語としても作品のテーマとしても、浮き上がって見える。このシーンは、プロデューサーの鈴木敏夫によるアイデアだったそうだが、おそらく吾朗にとっては、あまり切実なモチーフではなかったのだろう。

 吾朗はアニメ監督になる前は、公園や都市緑化の建設コンサルタントをしており、その経験を買われて、ジブリ美術館の総合デザインに参加した。そこでの役割は、宮崎駿の現実離れしたイメージやアイデアを、現実的な図面に落とし込んでいくという橋渡しする調整役だったという。

 つまり、天才作家である父親が提示する無理難題を現実化する補佐的役割こそ吾朗の仕事であり、それを粛々とこなせる実務能力こそが、吾朗の才能だったと言えるだろう。これは当時、ジブリに参加した外部のアニメ監督の多くが定着せずに去っていき、結局、吾朗と鈴木敏夫しか残っていない現状を考えると、より実感する。

 同時に建設コンサルトという観点から『ゲド戦記』を観返すと、終盤に登場するお城の描写に光るものを感じる。宮崎駿の作品は生命感に溢れており、人間だけでなくロボットやお城ですら生物のように見える。対して吾朗の作品は人間ですらぎこちなく、生物としての精細さに欠けるが、逆に建築物の描写になると、構図やアングルに「すべての辻褄が合っていることの気持ち良さ」のようなものが宿る。これは間違えなく、吾朗の作家性だ。

 『山賊の娘ローニャ』に続き、次回作の『アーヤと魔女』は3DCGアニメとなるが、彼の作家として論理的であろうとする気質はCGと相性がいいのだろう。3DCGで宮崎駿のような作品を作るという試みは、いまだ達成されたとは言い難いが『ゲド戦記』に感じた窮屈さと比べると、はるかに可能性を感じる。おそらくそれが達成された時に見える風景は、過去の宮崎駿の作品とは全く違うものになるはずだ。その意味でも、本当の宮崎吾朗作品に我々が出会うのは、これからなのかもしれない。

(成馬零一)

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